まほろば事典


さ〜そ

三国志(さんごくし)…………中国の三国時代(220−280)について記された史書。西晋の人陳寿(ちんじゅ)によって記されたが、記述があまりに簡単過ぎたので、のちに斐松之(はいしょうし)が詳細な注釈をつけ、今の形になった。「魏志」「呉志」「蜀志」の三部からなる。有名な「魏志倭人伝」は、このうち「魏志」の「東夷伝」の最後に倭人について記された部分を指す。だが、今日普通に「三国志」と呼ばれているのは、講談などをもとにして明代に羅貫中(らかんちゅう)によってまとめられた小説「三国志演義」のこと。善玉悪玉を明確に区分し、血湧き肉踊る大河ドラマとなっている。日本でも古くから親しまれ、江戸時代に「絵本三国志」などが発行されている。年配の人は吉川英治の小説で、中堅の人は横山光輝のマンガで、若い人はNHKの人形劇で親しんだであろう。

諸葛亮(しょかつりょう)…………あざなの孔明(こうめい)の方がよく知られている。三国時代の国のひとつ蜀の政治家兼武将。神がかりの天才軍師として令名が高いが、実は軍事的にはそれほどの才能がなかったという説もある。あくまでも大局を見据えて国を動かす政治が本領だったのだろう。を目の敵にしたのは、幼い頃住んでいた徐州で、曹操による大虐殺が行われるのをまのあたりにしたからだとも言われる。主君劉備との「水魚の交わり」は理想的な君臣関係を示すものとして中国人の模範となった。劉備の遺託を受け、魏との絶望的な戦争に明け暮れた揚げ句、五丈原で司馬懿と対陣中に病没。180〜234。

辰王(しんおう)…………3世紀の朝鮮半島東南部、いわゆる辰韓の地域に出現した英傑。しかし、どういう人物だったのかは謎に包まれている。土着の韓人ではなく、北方騎馬民族の出身だという説もある。また、近隣諸国を制圧して辰韓の盟主的な存在になったらしいと思われるのだが、その後の記録には全く名前が見えない。新羅の統一の中核となった斯廬(シラ)国との関係も不明である。私の考えでは、公然たる支配者だったのではなく、いわば独立運動ゲリラのリーダーのような存在だったのではないかと思われる。辰韓にまずこうした人物が出現したのは、辰韓が鉄の量産地で、さまざまな利権が錯綜する地域だったからではないだろうか。おおむね、鉱山の男たちは気が荒く団結しやすいものである。

曹操(そうそう)…………あざなは孟徳(もうとく)。「三国志」の英雄のひとり。姦雄、逆臣と、歴史上の評価はきわめて悪かったが、これは「三国志」を通俗講談化した「三国志演義」のせい。今世紀に入ってから再評価が進んでいる。本文中にも記したが、兵法書「孫子」に詳細な注釈を施したり、有名な詩を残したり、文学史上でも特筆すべき男である。袁紹、呂布などを撃破し、あわや天下を統一するかと思われたが、208年、長江をはさんだ赤壁の戦いで孫権と劉備の連合軍に敗北を喫し、未遂に終わる。本人は帝位にはつかなかったが、王朝を始めた息子・曹丕により、武帝と追号された。154〜220。