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倭(わ)…………日本の古称だが、必ずしも日本列島に住む人間だけを指したわけではないらしい。南朝鮮にも倭人が住んでいたと記録されている。昔は国境もなかったから、混在していたのだろう。「倭」という文字は、「小さくておとなしい」という意味であるが、中国人が周辺民族につける名前としては、ニンベンがついているだけかなり好意的な方である。ただし、ある時期から中国では、蛮夷の国は一字の国名を持つべきではないという思想が生まれ、国号が「日本」となったのはその関係でもあったようだ。俗称としてはその後も「倭」が使われている。今日でも韓国人などが用いるが、これは完全に蔑称である。
倭の使臣(わのししん)…………「魏志倭人伝」には、倭の使臣が何度か洛陽を訪れていることが記されている。239年に最初に訪れた難升米には「率善中郎将」、副使の牛利には「率善校尉」の肩書きが与えられた。この時の様子は、魏王朝が卑弥呼に宛てた書状の写しが収録されているのでかなり詳しくわかる。243年には、伊声耆、掖邪狗など8人が洛陽に行っている。245年、247年には、魏はいずれも難升米に詔書や黄幢旗(こうどうき=魏王朝の権威の象徴である黄色い旗)を与えて倭に持ってゆかせている。これで見ると、難升米はほぼ一貫して外交の元締めになっていたらしい。これらの使臣の名前をどう読むかは定説がない。難升米にしても、本によって、なんしょうまい、なしめ、なそめ、等々とルビがつけられている。