つれづれこらむ

卑弥呼の死

 「魏志倭人伝」の最後の方に、卑弥呼の死についての記事があります。
 
 ──卑弥呼、以て死す。大いに塚を作る。径は百余歩。殉葬者は奴婢百余人。

 狗奴国(この小説では「クマの国」としてある)との戦争の記事のすぐあとにこの文が来るので、卑弥呼は戦死したと考える人が多いようです。しかし、戦争と卑弥呼の死との因果関係は、陳寿の簡単な文章からは、なんとも判断できません。かなり大きな墳墓が作られたようですが、戦争中のあわただしい時期にそんなものを作っている余裕があったかどうか。戦争が終わってから作ったとしても、何しろ、このあと倭国は再び動乱の世の中になってしまうのです。
 なお、この「塚」が発見されれば、邪馬台国の位置も確定するのですが、日本で大きな古墳が作られるようになるのはもっと後のことですから、見つかる可能性は小さいように思われます。

 女王ナミが実弟に暗殺されたというこの小説の設定は、「魏志倭人伝」とは関係がなく、「古事記」に由来します。
 すでにお気づきと思いますが、この小説では卑弥呼とアマテラス大神をオーバーラップさせています。そして、女王の死と新女王の擁立という筋書きは、「天の岩戸」神話を敷衍した形です。新女王擁立に尽力するのが、強女(おずめ)ミクナと力士(たじからお)パルであるということで、ははあと思われた方も多いでしょう。

 言うまでもなく、岩戸の前でストリップを踊って神々を騒がせ、岩戸に隠れてしまったアマテラスの顔を出させたのがアメノウズメの命、その機を逃さず岩戸を押し開けてアマテラスをひっぱりだしたのがタヂカラオの命です。
 天の岩戸の話は、日蝕を説明する伝説だとも言われますが、陽の神を司祭する女王の死と、新しい女王の即位を意味していると考えてもよさそうです。
 よく知られた神話ですが、一応おさらいしてみましょう。

 この地を創造したイザナギの命は、黄泉(よみ)の国で妻のイザナミの命と訣別したのち、汚れたからだを洗うべく川でみそぎをしたところ、左眼を洗うとアマテラス大神が、右眼を洗うとツクヨミの命が、鼻を洗うとスサノオの命が生まれいでました。イザナギは大いに喜び、アマテラスに天上界を、ツクヨミに夜の世界を、スサノオに海の世界を支配するように申し伝えました。
 ところが、スサノオの命は、髭が生えて胸に達するような齢になっても、おんおんと泣き続けています。その泣き声のすごさに、山の木は枯れ、荒ぶる神たちが蠢動し、この世は災厄に包まれました。
 父神のイザナギが叱りつけると、スサノオは、母イザナミのいる黄泉の国へゆきたいと駄々をこねました。イザナギは怒り、ならばどこへでも失せろとばかりにスサノオを追放しました。

 スサノオは、黄泉の国に旅立つ前に、姉のアマテラスに挨拶してゆこうと考え、天上界へ赴きました。ところがアマテラスは、これはてっきりスサノオが天上界を乗っ取りに来たのだろうと疑い、武装してスサノオの前に立ちはだかったのです。
 スサノオは釈明しましたが、アマテラスは半信半疑で、

 ──ではお互いの持ち物を交換して、それにより神を産もう。

 と提案しました。生まれた神の性別によって、スサノオに邪心があるかどうか判別しようと言うのです。

 結果は、スサノオの剣を含んでアマテラスが産んだ神は男、アマテラスの玉を含んでスサノオが産んだ神は女(日本書紀では逆)でした。そこでスサノオは、

 ──私に邪心がなかったので、女の子が生まれたのです。私の勝ちです。

 と言い、勝った勢いに任せてさまざまな乱暴狼藉を働きました。アマテラスは最初のうちこれを庇って弁護していましたが、機織り場にスサノオが皮をむいた馬を投げ込んで、それに驚いた機織り女のひとりがうっかり板に陰部をぶつけて死んでしまうに及び、アマテラスも堪えかねて、天の岩戸の中に隠れてしまいました。
 たちまち、天地は真っ暗になり、さまざまな災厄が群がり起こりました。神々は困り果て、知恵者のオモイカネの命に相談しました。

 こののち、アメノウズメのストリップとなり、それを見た神々がどっと笑ったので、アマテラスは何事かと顔を出したところをタジカラオにひっぱりだされることになります。

 アマテラスの岩戸隠れは、女王の死に相当するでしょう。
 ある説では、陰部をぶつけて死んだのはアマテラス自身だとも言います。とすれば、弟のスサノオに殺されたということになります。
 災厄(古事記原文「萬妖《よろずのわざわい》」)を動乱と読み替えれば、このくだりは、卑弥呼死後の倭国の状態とよく似ています。そこで、これらをクロスオーバーさせ、女王が補佐役の実弟に殺されたというストーリイを作ってみたわけです。
 なお、殉葬者の奴婢百余人というのは、小説の中では、女王暗殺に関連して刑死した人々ということにしてあります。