つれづれこらむ

言葉遣いのこと

 この物語を書く上で、結構苦労するのが、言葉遣いの問題です。
 一般の時代小説・歴史小説を読んでいても、

 ──この時代に、こんな言葉や言い回しがあったんだろうか?

 と気になることがよくあります。
 NHKの大河ドラマ「毛利元就」で、

 ──殿、チャンスでございます!

 というセリフがあったとかなかったとかいう噂が立ちました。なんぼなんでも戦国時代に「チャンス」はあんまりです。この真偽は明らかでありませんが、この番組については私もいくつか気になった言葉遣いがあります。
 元就の息子の隆元と元春が差し向かいで酒を飲んでいます。隆元が何やら愚痴っているのに対し、弟の元春は徳利を差し出して、

 ──兄上、呑みが足りませんぞ。

 と言いました。「呑みが足りない」……学生のコンパではあるまいし。
 会議の席で。いろんな意見が出て収拾がつかなくなりかかりました。当主の隆元がやや強引に結論を出します。その時、弟の隆景が一言。

 ──兄上、何をまとめに入っているのでござる。

 「まとめに入る」……これも現代語ですね。
 このように、時代に適わない言葉が出てくると、どうも違和感を覚えます。

 と言って、それらしく作ってみても、本当にその時代に適っているのかどうか、わかったものではありません。特に日本語は語彙に関しては甚だ流動的な言語で、50年違えば言い回しも全く違っていたりします。
 現代日本人がタイムマシンで過去に行ったとして、言葉で意思が通じ合える限界は、せいぜい室町時代だと言います。平清盛や源頼朝に会ったとしても、言葉はほとんど通じないだろうと言うのです。とすると、平安時代や鎌倉時代を舞台とした小説のセリフは、完全に嘘っぱちということになります。
 逆に、言語考古学を詳細に研究して、当時使われていた言葉を正確に再現し得たとしても、私たちにはその意味はほとんどわからないことになります。文章語でさえ、「古文」には学校で四苦八苦させられたのに、ましてや口語では……。

 「まほろばの国へ」は、平安時代どころか、3世紀を舞台にしておりますから、登場人物の使う言葉はもはやわれわれとはまるで違うと考えるべきでしょう。ひょっとすると、当時の日本語は韓国語とそれほどの差はなかったかもしれません。
 発音の上で、今のHがPになったり、SがTSになったりということはわかっています。「ひみこ」は「ぴみこ」もしくは「ぴみか」と発音されていたものと思われます。私は登場人物の名前をつけるにあたっては、これを援用して、例えば「パル」のように、今ではまずないPで始まる名前を使ったりしています。

 しかし、セリフを当時の発音で記しても、あまり意味のないことでしょう。
 それとは別に、その頃の会話を表すにあたって、致命的に困難なことがひとつあります。
 現代日本語の6割以上を占めると言われる「漢語」が、ほとんど入っていなかったろうと思われることです。

 漢語を封じられれば、われわれはほとんど知的な会話ができなくなるのではないでしょうか。やまとことばだけで長い小説を作るのは、まず不可能でしょう。
 この小説では、セリフの部分ではなるべく漢語を使わないように心がけていますが、それでも全く使わないということはできていません。

 しかも、やまとことばだけならよいのかと言うと、そうも行きません。漢語を訓読みしただけのやまとことばも沢山あって、そういうものは明らかにもとの漢語が入ってからのちに生まれた言葉です。その他にも、新しくできたやまとことばはいくらでもあるはずです。
 どうせ当時の日本語は今のものとは似ても似つかないのですから、セリフにしても「翻訳」したものと割り切って、現代日本語の会話体で書いて行っても構わないのではないかという考え方もあります。「呑みが足りませんぞ」なんかは、そういう考え方で入れられたセリフかもしれません。しかし、読む方としてはやはり違和感があるでしょう。

 3世紀の人間が戦国時代の人間のようなものの言い方をしているな、と思いながら、まあここは目をつぶろう、と妥協しながら書いているというのが実際のところです。
 こういう問題、他国を舞台にすれば全く起こりません。古代中国だろうと、中世ヨーロッパだろうと、日本語で書く分にはなんの問題もないわけで、因果なものだと思います。
 もっとも、他の惑星を舞台にしたSFなどで、人名や施設名、武器の名前などが思い切り英語っぽいというのも、私は違和感を覚えますが……。