ベートーヴェンのピアノソナタ──その飽くなき探求心

 ベートーヴェンのピアノソナタが「ピアノの新約聖書」と呼ばれていることはよく知られています。「旧約聖書」バッハ平均律曲集で、どちらもピアノ弾きたる者、隅々まで通暁している必要があるということでしょう。
 ピアニストにとってのみならず、作曲家にとってもバイブルみたいなものです。オーケストラ曲に較べると、単一の音色で書かれているゆえに、より両者の音楽のエッセンスみたいなものが凝縮されている感じで、汲めども尽きぬアイディアに満ちあふれています。
 「旧約聖書」はプレリュードフーガという決まった構成で、すべての長調・短調のために書かれています。従って24組となりますが、それが2セットそろっているので、48組が書かれていることになります。バッハがこれを書いた当時、すでにフーガという形式は時代遅れなものになりつつあったのですが、それだけに執念をこめてカタログ的な曲集を書き上げたのでしょう。自分でも、フーガの集大成というつもりがあったに違いありません。バッハはこのあと『フーガの技法』というやはりカタログ的作品を試み、もう少しで完成するというところで力尽きましたが、平均律曲集に較べると『フーガの技法』はやや変化球的なものが目立つように思います。
 フーガという形は、バッハ以前に多くの作曲家によって作られ、だんだんと整理されて、形式的にはだいたい完成されていました。だから、バッハの若い頃の作品からして、すでにフーガという形式そのものについて試行錯誤した形跡は見られません。平均律曲集は、プレリュードとフーガという決まった形の中で、さまざまなアイディアを盛り込み、実験を試みてはいますが、やはりそれまでにおこなわれてきたことの集大成という性格が強いようです。
 それに対し、ベートーヴェンは自分自身がソナタの完成者であったと言えます。バッハの息子であるカール・フィリップ・エマーヌエルあたりからソナタ形式が案出され、ハイドンモーツァルトを経て、一応定型のようなものができあがってはいましたが、ふたつの主題の強烈な対比とその独立性だとか、主題展開の構築性とか、ベートーヴェン以前にはまだまだ不充分だった要素が非常に多く、それらが完成の域に達するにはベートーヴェンを待たなければなりませんでした。
 前も書いたことがありますが、ベートーヴェンはソナタ形式に、一種弁証法的な考えかたを持ち込んだのだと私は思っています。これも既述ですが、ベートーヴェンとヘーゲルはまったく同い年(1770年生まれ)であり、地域は違うものの同じドイツ人でもあります。両人に面識があったという証拠はありませんが、たとえ直接的な接触は無くとも、テーゼアンチテーゼアウフヘーベンというヘーゲル流弁証法を産み出す精神的な空気が、当時のドイツには共通して流れていたような気がします。その空気が、一方でヘーゲルを産み、一方でベートーヴェンを産んだのだと考えても、それほど突飛ではありますまい。
 そうだとすると、ソナタ形式の第一主題はテーゼであり、第二主題はアンチテーゼであると考えられます。両者はまったく相容れないように見えます。それが「展開部」という名の葛藤を経て、「再現部」と呼ばれるアウフヘーベンに連なってゆきます。アウフヘーベン(止揚)というのは、テーゼとアンチテーゼの対立を内包しつつより高次な統一をおこなうというものですが、これはソナタ形式で言えば、両主題の「曲想」はそのままで、「調性」を統一するというやりかたで表されます。つまり、最初の部分では、主調(その曲の本来の調性)で登場する第一主題に対し、第二主題は属調とか並行調とか、違う調性で登場しますけれども、再現部ではこれがどちらも主調(同主調──ハ短調に対するハ長調のような関係──の場合もありますが)になることによって、対立が止揚されるわけです。
 ただしこういう調性の組み立てかたは、それこそバッハ以前から普通にあったことで、ベートーヴェンの発明ではありませんが、彼はその伝統的な調性構造に、弁証法的な意味を見いだしたと考えられるわけです。

 ソナタ形式についてももちろんベートーヴェンは完成者でしたが、そのソナタ形式による楽章を含む組形式である「ソナタ」に関しても完成者だったと言えます。石桁真礼生先生は「ソナタ構造」と命名しましたが、各種ソナタの他、弦楽四重奏曲や交響曲、協奏曲などに共通する楽章構造のことです。
 ここに名前の挙がった弦楽四重奏曲・交響曲・協奏曲のいずれにおいてもベートーヴェンは新境地を拓いていますが、共通する構造を持つ楽曲群であってみれば、その構造自体をブラッシュアップしたベートーヴェンにとって、そのジャンルでも革新的なことを成し遂げたのは当然であったかもしれません。
 ただその中でもピアノソナタは、彼の思想的遍歴がもっとも早く顕れ、非常にわかりやすい形でそれが示されています。32曲という数も物を言っています。これも前に書きましたが、ピアノソナタで到達した境地に交響曲で達するまでには、ベートーヴェンはだいたい2〜5年くらいを要しています。その意味で、ピアノソナタを研究することは、いちばん純度の高い形で彼のアイディアを探すことができるのだと言えます。
 もちろん、ベートーヴェンのピアノソナタについては、すでに数多くの高名な演奏家や音楽学者が詳細に研究しており、それについての本も何種類も出ています。それらに伍するような気持ちは私にはありませんが、自分の創作のための心覚えとして、彼がそれぞれの曲の中で何をしようとしたかということをまとめておくのも悪くないように思います。彼は自分で完成したソナタ形式・ソナタ構造にすら安住しようとせず、ほとんどの曲で、何か目新しいことができないかと模索しているのです。
 これだけでも、詳しくやろうとすれば相当に手間と暇がかかりそうですが、いずれ実行してみたいものです。
 今はその方法序説というか、つまみ食い的に気になった箇所を列挙してみます。心覚えのそのまた心覚えといったところでしょうか。
 なお、私は別に各曲の楽曲分析をしようとしているわけではありません。それぞれの曲について、それ以前には見られなかった新しいアイディアを盛り込んでいるかという点についてチェックしているだけです。従って、曲そのものが名作であるかどうかはまた別の話です。私があっさりとしか触れていない作品は、特にその曲で導入された目新しいアイディアを私が発見できなかったというだけのことで、その曲の質が劣っているということではないわけです。そのことによって、ベートーヴェンという人物がいったい何をしようとしていたのかを探り、自分の創作の上で大いに参考にしてやろうともくろんでいるのでした。
 音楽用語のたぐいは、説明無しに使うことが多くなるかもしれず、あらかじめお詫び申し上げておきます。あくまで私自身の覚え書きであるとご諒解ください。

 ●第1番 Op.2-1● なんと言っても驚くのは、この最初のピアノソナタからして、4楽章を持っているという点です。先輩であるハイドンもモーツァルトも、4楽章を持つピアノソナタは1曲も書いていません。ベートーヴェン自身のこれに先んずる『選帝侯のソナタ』も3楽章です。彼がピアノソナタを、交響曲や弦楽四重奏曲と同じように4楽章で書いてみようと考えたきっかけはなんだったのでしょうか。その動機を知りたいものです。
 第1楽章は非常に整然とした、お手本と言っても良いようなソナタ形式ですが、まだ第2主題の独立性はそれほど高くありません。第2楽章はゆっくりした楽章で、モーツァルトに近いように思われます。第3楽章はそれまでの交響曲などの例と同じくメヌエットですが、わりに速めのテンポです。第4楽章はソナタ形式、ロンド形式、ロンドソナタ形式などいろいろ解釈されていますが、要するにまだあまり整理されていないフィナーレということであるようです。展開部の代わりに中間部を持ったソナタ形式というところがいちばん近い気がします。

 ●第2番 Op.2-2● 第1番に較べ、急に各楽章のサイズが大きくなったように思えます。作曲時期はわずか数ヶ月の差だろうと思いますが、モティーフ展開のやりかたも急激に堂に入った観があります。
 第3楽章にメヌエットではなくスケルツォを導入したのが眼を惹きます。以降、ソナタの第3楽章はスケルツォというのが常道になってゆきます。メヌエットの穏やかさや、舞曲としての縛りが、ベートーヴェンの発想にとって少々邪魔になったのでしょう。第2・第4楽章では、終結部分であらたな展開を見せるという構造をとっています。これが発展したのが、中期以降に現れる「4部構成のソナタ形式」です。
 この第4楽章で、ロンドソナタ形式を確立したようです。ただしロンドソナタ形式には2種類あり、いずれもA-B-A-C-A-B-Aという構造を持っていますが、Cの部分が単なる中間部である場合と展開部になっている場合があり、ここでは前者のタイプとなっています(ちなみに、ロンド形式とロンドソナタ形式の違いは、Bが「第二主題」として扱われているかどうかで判別します。第二主題ですから、最初に出てくる時は主調以外であり、後半に出てくる時は主調か同主調となり、ここがソナタ形式と共通するためにロンドソナタ形式と呼ぶわけです)

 ●第3番 Op.2-3● 第1楽章における、第1主題と第2主題の対比が俄然鮮やかになります。各部分を有機的に組み上げてゆくという意識がはっきり芽生えたのがこの第3番でしょう。スケルツォにおけるポリフォニックな処理にも注目すべきです。

 ●第4番 Op.7● 第1楽章の展開部が非常に縮小されていることに驚きます。あまり有機的な展開にふさわしくない主題だったということかもしれません。
 形式的にはあまり新しい試みをしているようには見えませんが、第4楽章の冒頭を属7和音ではじめるという、和声の上での斬新さがあります。

 ●第5番 Op.10-1● ここまで規模が拡大する一方だったピアノソナタですが、ここで一転してシンプルな構成を試みたようです。楽章も3つになりました。楽章の数やその調性の組み立て(ハ短調-変イ長調-ハ短調)などから、第8番「悲愴」になぞらえて「小悲愴」と呼ぶ人も居ます。
 終楽章にソナタ形式を用いています。ベートーヴェンとしてははじめてですが、これ自体はモーツァルトもやっています。

 ●第6番 Op.10-2● 第5番に引き続き、楽曲規模は引き締められています。第1楽章では、再現部の第一主題が主調で出てこないという点が注目されます。モーツァルトのK.555もそうなっていますが、ただモーツァルトの場合は呈示部の主調-属調の関係を、下属調-主調にずらしただけで、そんなに深い意図があったようには思えません。この曲における再現は、その直前のぶつ切れたような休止とあいまって、非常に衝撃的な印象を与えます。それが確保される時点で主調に戻るという構造が目新しいのです。
 第2楽章は明記されていませんがスケルツォと思われますが、それまでの単純なダ・カーポによる三部形式ではなくなり、再現部で変奏が加えられるという工夫をしています。
 第3楽章はフーガ風に導入されるコントルダンスで、再現部で別の調に行く点は第1楽章と共通であり、しかも第1楽章と同じ調構造をとっているあたり、意図的にしたものだと思われます。つまり、各楽章がばらばらに存在するのではなく、ある統一的意図のもとにまとめあげるという、ベートーヴェンの中期以降顕著になる発想の萌芽がこのあたりから見られるというわけです。

 ●第7番 Op.10-3● 同じ作品10の中の曲ですが、第5番・第6番がシェイプアップされた規模であったのに対し、これだけ一転して大規模になっています。しかし、特に第1楽章は、長いわりにはけっこうシンプルというか、少ない素材で効果的に組み上げられています。
 第2楽章は、ゆっくりした楽章にソナタ形式を導入した、ベートーヴェンとしては最初の例。ただしモーツァルトに先例はあります。第3楽章はメヌエットに戻っていますが、トリオ(中間部)の発想はそれまでのスケルツォとよく似ています。

 ●第8番「悲愴」 Op.13● 重厚な序奏が置かれ、その序奏自体が展開の材料として何度も使われるという斬新な構造をもった第1楽章。第2楽章は美しいメロディで大変有名ですが、形式的にはわりと平凡かも。第3楽章はロンドソナタ形式のお手本としてしばしば例に挙げられます。

 ●第9番 Op.14-1● 第5番・第6番の流れを受け、もっと無駄を省いたという観のある曲。第1楽章の両主題、展開部共に、びっくりするくらいシンプルです。

 ●第10番「おしどり」 Op.14-2● もっと以前からその傾向はあったのですが、この曲で「終止主題」というのが確立したように思えます。第一主題・第二主題が呈示されたあと、呈示部を締めるために置かれた終止の部分で、どちらの主題とも性格の異なる新しい主題が置かれ、時にはそれが展開モティーフになったりもするというのが終止主題です。場合によっては第二主題より印象が鮮烈だったりします。
 第2楽章は変奏曲となっており、これはベートーヴェンのソナタとしてははじめてです。ただしベートーヴェンの発明ではなく、ハイドンやモーツァルトにも例はいくつもあります。
 終楽章にスケルツォを置くのが斬新。ただ、曲想はスケルツォというよりロンドと言うべきでしょう。いわば、スケルツォ楽章とフィナーレ楽章を統合したような発想です。

 ●第11番「大ソナタ」 Op.22● 非常にかっちりとした4楽章構成の、教科書のようなソナタですが、さほど目新しいことはやっていません。言ってみれば、それまでのピアノソナタ書法を集大成してみたという感じの曲です。
 第4楽章のロンドソナタ形式は、中間部ではなく展開部が置かれるタイプとなっており、この点は初出です。

 ●第12番「葬送」 Op.26● 第11番まででひと区切りをつけて、ここからしばらくはさまざまな実験を試みています。この第12番は4楽章を持っていますが、第1楽章が変奏曲、第2楽章がスケルツォ、第3楽章が葬送行進曲、第4楽章が常動曲風のフィナーレというていで、ソナタ形式による楽章が見当たらないという構成となっています。それ自体はモーツァルトの「トルコ行進曲つき」なども同じですが、ただベートーヴェンは4楽章構成の中でそれをやっているわけです。トルコ行進曲つきの場合、「4楽章構成からソナタ形式の冒頭楽章を省略した」という見かたもできますが、この第12番はそういう解釈ができません。より斬新なソナタを求め続けたベートーヴェンの意欲が見て取れます。

 ●第13番「幻想」 Op.27-1● この曲は3楽章構成ですが、第3楽章の前にかなり長大で形式的にもまとまった序奏が置かれているので、準4楽章構成と言っても良いでしょう。この第13番にも、ソナタ形式の楽章がありません。第1楽章は少々とりとめのない、文字通り「幻想」的な曲(強いて言えばロンド形式でしょうか)で、第2楽章は分散和音だけでできているような特異なスケルツォ、第3楽章は上記の通りまとまった序奏を持ち、比較的まっとうなロンドソナタ形式です。
 3つの楽章はそれぞれ完結しているものの、第1・第2楽章の終わりには「すぐに次につなげる」という指示が書かれていて、楽章間の休み無しで演奏されるようになっています。このあたりも「幻想」のゆえんでしょう。ソナタでありつつ、全体としては単一楽章の「幻想曲」である、というイメージを出したかったのだと思われます。

 ●第14番「月光」 Op.27-2● この曲も本来は作品27「幻想曲風ソナタ」の第2曲ですが、「月光」というあだ名があまりにも有名になりました。第13番と同じく、3つの楽章が切れ目無しに演奏されます(ただし、その指示を守っていないピアニストもよく見受けられます)。
 第1楽章は一切の無駄をそぎ落としたようなソナタ形式で、本来なら第2楽章に置かれるゆっくりした楽章と、冒頭のソナタ形式楽章とを融合したという意図ではないかと思います。第3楽章はダイナミックなソナタ形式で、はっきりと終結部が独立し、「第二展開部」のようになりはじめた曲ともなっています。

 ●第15番「田園」 Op.28● 第1楽章は型どおりのソナタ形式ではありますが、主題がはじまる前から、その運動性をあらかじめ与えるという試みをしています。特に第二主題などは、そのずいぶん前から導入されている音型の上に自然に忍び入ってくるような造りであるため、楽曲分析の初心者には、どこからが第二主題なのだかよくわからなくなるほどです。

 ●第16番 Op.31-1● 形式的にはそれほど目新しいことはありませんが、リズムに対する執着が目立ちます。

 ●第17番「テンペスト」 Op.31-2● のっけから属和音、しかもその第一転回型という和音ではじまるこの曲には、当時の人々は仰天したことでしょう。モーツァルトも、ソナタや交響曲の中の楽章とか、オペラの中の歌とかであれば属和音その他ではじめた曲がありますが、全曲の冒頭に持ってくるほどの度胸は無かったようです。
 また、第3楽章に顕著ですが、音型に対するこだわりが強い曲となっています。

 ●第18番 Op.31-3● 第17番に輪を掛けて斬新なことに、この曲は下属和音(正確にはII7の和音)ではじまります。この作曲者はどこまで行くつもりだろうと思われたのではないでしょうか。
 第2楽章にスケルツォ、第3楽章にメヌエットを置き、第4楽章はタランテラのリズムを持つ急速なフィナーレで、遅いテンポの楽章がひとつも無いというのが珍しいところです。なおスケルツォというのは3拍子であることが普通ですが、ここのスケルツォは2拍子となっているのも目新しい点です。全楽章を通じて、どこか舞曲風な曲想で一貫しているように思えます。

 ●第19番 Op.49-1● 作品49に属する2曲は、「ソナチネアルバム」に掲載されているのでもわかるとおり、ソナタというよりソナチネに近い小規模な作品となっています。2楽章しかありません。2楽章制のソナタというのはベートーヴェンとしてははじめてですが、先人の作品にはちょくちょく見られます。ただ、この第19番に関しては、通常の4楽章ソナタにおける第1楽章(ソナタ形式の楽章)と第2楽章(ゆっくりしたテンポの楽章)、第3楽章(スケルツォ)と第4楽章(フィナーレ)をそれぞれ融合したような発想で書かれているような気もします。
 第2楽章はロンドですが、A-B-C-B-A-C-Aという変則的な形をとっています。

 ●第20番 Op.49-2● 第19番と同じく小規模な作品です。第1楽章の展開部がきわめて短いのが、ベートーヴェンとしては珍しく感じられます。第2楽章は「メヌエットのテンポで」となっていますが、それまでの彼のソナタの中のメヌエットに較べ、少しゆるやかで古風なたたずまいを見せています。なお、この楽章の主題は、管楽セレナーデなどでも何度か用いられています。

 ●第21番「ヴァルトシュタイン」 Op.53● これも2楽章制となっていますが、作品49に較べるときわめて大規模な構造を持ちます。第2楽章にはまとまった序奏がついているので、準3楽章構成と言っても良いかもしれません。この序奏を第2楽章と見なし、3楽章まであると考えている人も居ます。
 第1楽章は整然とした4部構造のソナタ形式で、第二主題の呈示が、主調とかなり遠い調によっておこなわれていることが注目されます。主調はハ長調なのですが、第二主題はホ長調となっているのです。現代では「三度近親調」としてそれなりに関連のある調性とされていますが、当時としては斬新そのものだったでしょう。この第二主題は、再現部ではまずイ長調で出てきますが、確保される段階で主調のハ長調に戻っています。終結部は実に54小節にも及び、70小節を持つ展開部に迫る大きさで、内容的にも第二展開部と称して差し支えないような盛り上がりを見せます。
 第1楽章で相当に奔放に転調をおこなったせいか、第2楽章のロンドはハ長調をあまり離れない調で進んでゆきます。Aの部分とBの部分は、ベートーヴェンのロンドでは転調することが普通なのですが、この楽章ではどちらもハ長調のままで、それゆえにきわめて安定した曲想の印象を受けます。Bの調性から判断して、この曲はロンドソナタ形式とは呼べません。
 第21番でもうひとつ特徴的なのは、新しいピアノの導入による、高音域の盛んな活用でしょう。それまでのピアノは3点Fまでしか出せませんでしたが、エラールが1803年に68鍵ピアノを発明し、高いほうに音域が拡がりました。第2楽章では、この上のほうの音域を、まるで嬉しくてたまらないかのように使いまくっています。楽器の最新の機能をすぐさま活用するベートーヴェンの進取性には感心するほかありません。

 ●第22番 Op.54● 引き続き2楽章制のソナタです。しかもこの曲には、第13番以来になりますが、はっきりしたソナタ形式の楽章が存在しません。第1楽章は「メヌエットのテンポ」で、相当強引な見かたをすればソナタ形式と解釈できなくもありませんが、まあ普通はロンド形式と見るべきでしょう。しかしその中でもモティーフ展開が積極的におこなわれていて、型どおりにはなっていません。ベートーヴェンはこのあたりから、新しい形式構造を模索しているようでもあります。第2楽章は常動曲風で、主題がひとつしかないソナタ形式と考えることもできますが、やはり模索のひとつと考えたほうが良いような気がします。

 ●第23番「熱情」 Op.57● この曲でよく指摘されるのが「循環作法」というものです。各楽章に同一のモティーフに基づく主題を配することで、全体の統一感を高めるというもので、フランクなどが好んだことで知られます。同一のモティーフと言っても、ぱっと聴いただけではすぐにはわからない程度にしておくことが多いようです。
 その点はもちろん重要ですが、この曲には他にもいろいろ独創的な発明が施されています。
 それまでお約束であった、「ソナタ形式の呈示部をリピートする」ということを、ベートーヴェンはこの曲で放棄しました。ゆっくりした楽章にソナタ形式を活用しているような場合はリピートしていないこともありましたが、堂々たる第1楽章でリピートをやめたのははじめてのことです。リピートする時に必然的に発生する「ゆるみ」というか「休止点」のようなものを排除して、緊張を保ったまま次の展開部へつなげたいという気持ちがあったものと思われます。
 第一主題と第二主題をつなぐ部分に、わりと印象的な別のモティーフをはさみこみ、そのモティーフがまた展開の素材となってゆくという、「推移主題」と呼ばれるものを明確に使用したのもこのあたりからだと思います。第10番あたりから明確になってきた「終止主題」も含めると、最大4種類の主題が使われることになります。テーゼアンチテーゼという、単純な二項対立の次元を超克しはじめていると言えば褒めすぎでしょうか。

 ●第24番「テレーゼ」 Op.78● 作品57から78まで、ベートーヴェンにしては珍しくピアノソナタをまったく作らない数年間があったようです。この頃、ベートーヴェンのみならず古典派の作曲家たちは、自分の創作に深刻な転機が訪れていることを感じていたと思われます。1810年をはさんだ10年間くらいのあいだに筆を断っている作曲家は、ハイドンサリエリクレメンティなど何人も居るのでした。ナポレオン戦争とその後のナショナリズムの高まりが、音楽の世界にも波及して、ロマン主義傾向が生まれてきたのがこの時代です。ベートーヴェンといえども例外ではなく、作品70台・80台あたりには、かなり迷走した形跡が見られます。
 第24番は音楽としてはとても美しいのですが、特にモティーフとして重要でもない序奏がついていたり、呈示部のリピートを復活させたばかりか、展開部と再現部をまとめてリピートするという古い形に戻してみたり、第二主題がいやに走句的であまり独立性を感じなかったりと、形式的には少し時代が巻き戻ってしまったかのような印象を受けます。たぶんそれが、ベートーヴェンの迷いを如実に顕しているのでしょう。
 第2楽章は主要主題が4回にわたって現れ、そのあとの展開を少しずつ変えてゆくという、あまり他に例を見ない形となっています。

 ●第25番「かっこう」 Op.79● ソナチネと表記している版もあるほどで、3つの楽章それぞれにわりとこぢんまりして可愛らしい印象を受ける曲です。しかし、第1楽章の展開部が他を圧して大きいという、ソナチネらしからぬところも見受けられます。第2楽章は「複合三部形式」になっていない単純な三部形式、第3楽章はA-B-A-C-Aという形のもっともシンプルなロンド形式で、いずれも彼のいままでのソナタでは使用例の少ないものです。

 ●第26番「告別」 Op.81a● このソナタも序奏を持ちますが、第24番などとは違って、序奏の主題が、第一主題や第二主題を差し置いて、第1楽章のみならず全曲を支配する循環主題になっているという重要性をおびています。3つの楽章に「告別」「不在」「再会」と作曲者自らによるタイトルがつけられているのも珍しいですね。これもまた、ロマン派的な潮流に乗るべきか乗らざるべきか、ベートーヴェンが悩んでいた痕跡であるように思われます。

 ●第27番 Op.90● この曲と次の第28番は、楽章の冒頭にある発想標語がドイツ語になっています。これまたベートーヴェンの迷いを象徴しています。音楽用語は基本的にイタリア語ですが、ロマン派時代のドイツの作曲家たちは、ドイツ語による表記を好みました。
 2つの楽章を通して、著しくメロディックであることが感じられます。私はこのソナタが大好きなのですが、残念ながら、上記の楽語表記の問題以外には、音楽的に新しい発想とか実験とかはあまり見当たりません。

 ●第28番 Op.101● ゆっくりした楽章を兼ねたような第1楽章、行進曲風な第2楽章、華麗なフィナーレとなる第3楽章より成ります。この曲も、第3楽章の前にわりに大きな序奏があるので、準4楽章構成と言っても良いでしょう。
 この曲からベートーヴェンの後期作品がはじまると見なされていますが、それだけにいろいろな新しいアイディアが詰め込まれています。
 まず第1楽章ですが、属和音からはじまるというのはすでに見られたものの、その属和音が主和音に解決しないまま曲が進んで行ってしまうという、前代未聞の和声上の大冒険をおこなっています。わずかに経過的に主和音が現れることもありますけれども、しっかりした形でイ長調の主和音が確立されるのは、なんと102小節あるうちの77小節めで、ほとんどラストに近づいてからなのでした。主和音に落ち着かないことによる不安定さをわざと演出しているのです。のちにシューマン幻想曲でこのやりかたを模倣していますが、調性音楽でここまで主和音を避けているという曲は、それほど多くありません。
 リズムの上でも、「前打ち」を多用して、和声と共に浮遊感を強調しています。ちなみにこの「前打ち」、第1楽章では次の拍にタイでつながっているために不安定感が出ていますが、第2楽章ではそのタイを取っ払うことで、今度は力強さを表現しています。見事な対比と言うほかありません。
 第3楽章の序奏のあとで、第1楽章が一瞬回想されます。のちに「第九」の第4楽章で大々的に使われる手法です。また、第3楽章は全体として、カノン風というか、ポリフォニックな展開を徹底しています。次の第29番で本格的なフーガを導入することになりますが、これはその前駆と言っても良いでしょう。
 なお第28番と第29番は、ピアノ製造業者のブロードウッドから新型のピアノを贈られたことに感激して書いたものと言われています。この曲から左右のペダルの指示がおこなわれるようになりますが、おそらくそれが新型ピアノの新機能だったのでしょう。第21番での音域拡大に続いて、楽器の新機能をすぐさま使いこなした例です。

 ●第29番「ハンマークラヴィーア」 Op.106● 全ピアノソナタ中で最大の規模を持つ大作であり、いろいろと新機軸も打ち出しています。ぱっと見てわかるのは、各楽章にメトロノーム記号がつけられていることです。ベートーヴェンの友人だったメルツェルがメトロノームを発明したのは1816年、この第29番はそのあとしばらくしてから書かれています。これもベートーヴェンの新し物好きのひとつでしょう。ただし、彼のピアノソナタにメトロノーム記号が付けられたのはこの曲が最初で最後です。
 それから、第4楽章に本格的なフーガを導入しているのも注目点です。しかもバッハの向こうを張るかのように、反行型、逆行型、拡大型、二重主題など、ありとあらゆるポリフォニーの手法を詰め込んだ大フーガとなっています。さらに、かなり即興的な序奏がついており、この第4楽章だけであたかも「トッカータとフーガ」みたいな構造になっています。
 ポリフォニーの手法は第4楽章だけではなく、他の楽章でも多用されています。わりと目立つところを挙げれば、第1楽章展開部の前半に出てくるフガート(フーガ風の「入り」)、第2楽章中間部に出てくるカノンなどがあります。
 あと、少々専門的な話になりますが、ソナタ形式で展開部が終わりに近づき、再現部がはじまるまでの間に、属音が何度も鳴って強調されるということがよくあります。オルゲルプンクト(オルガン点)という術語もあるくらいです。属音を執拗に鳴らすことで、それが主音に解決するカタルシスと共に再現部がはじまる、という構成で、これは最小スケールのソナタ形式と言っても良い、クレメンティのハ長調のソナチネなどにも見られる現象です。さてこの第29番の第1楽章でも、展開部の最後で、ある音が執拗に強調されています。ところがそれが、変ロ長調という主調に対して、属音であるファの音ではなく、なぜかその下のミの音なのです。それが、一瞬だけ現れるファを経て再現部に突入します。私は学生時代にこの曲を分析させられた際、このミの音は、属音の倚音(いおん)であり、ベートーヴェンはあえてそれを強調することで、属音そのものを強調するよりももっと劇的な再現部への回帰を演出したのだと解釈し、八村義夫先生に感心して貰ったことがあります。私が八村先生に感心されたのは、たぶんその一度だけのことでした。

 ●第30番 Op.109● 矢代秋雄先生はこのソナタを、古今東西でもっともすぐれたピアノソナタだと言っていましたが、第1楽章のまったく無駄のないソナタ形式には実際驚愕させられます。第一主題から、ほとんどなんのつなぎも置かれずにまるで性格の異なる第二主題に突入し、展開部はひたすらに第一主題のリズムモティーフのみを繰り返し、あれよあれよという間に再現部に入ります。諸井三郎先生はこの楽章をロンド形式と評価していましたけれども、これは矢代先生の見かたが正しいと思います。矢代先生自身のピアノソナタの第1楽章も、これに倣って非常に圧縮されたソナタ形式を用いています。
 第2楽章のシンプルなトッカータを経て、全曲の重心を占める第3楽章の変奏曲へ連なってゆきます。変奏曲としても、第5変奏以降はきわめて自由に書かれており、のちの大作『ディアベリの主題による33の変奏曲』を予感させるものとなっています。ちなみに矢代先生のソナタでも、第2楽章はトッカータ、第3楽章は変奏曲で、この第30番への傾倒ぶりがよくわかります。

 ●第31番 Op.110● ゆったりとした第1楽章でのソナタ形式の用いかたは、もはや融通無碍なものになっていることを感じます。型を踏まえながら型にとらわれない、自在の境地に達していると言えましょうか。残念ながら、ベートーヴェンは交響曲においてはこの境地までは達せなかったように思えます。弦楽四重奏曲では同じくらいのところまで行けたようですが。
 第3楽章のフーガは、第29番のフーガよりもはるかに整理され、まとまったものになっています。これもかなり大きな序奏がついて、「プレリュードとフーガ」みたいな形になっていますが(だから準4楽章構成とも言える)、その序奏に出てくるアリオーゾのメロディが、ひとしきりフーガが展開したのちにもう一度回想されるという構造になっています。

 ●第32番 Op.111● 最後のピアノソナタは、充実した2つの楽章から成りますが、構成上の目新しさとしては、第1楽章でソナタ形式とフーガとを融合しようとしたことが挙げられます。ソナタ形式の展開部でフーガ風な手法を用いたことはいままでにもありましたが、この曲では呈示部の主題確保部分からはやばやとフーガ風な扱いをはじめています。展開部では新しく対主題が導入されたりして、とにかくポリフォニーという18世紀前半までの技法を、19世紀にふさわしく装いを新たにしようという意欲がそこかしこに見て取れます。ベートーヴェンはこの時かなり耳疾が進み、ほとんど聴力を失いかけていましたが、何か新しいものを、斬新なものをという気持ちだけは、最後まで持ち続けていたようです。
 第2楽章は変奏曲ですが、第30番の変奏曲よりもさらに凝りまくって、ほとんどモウロウとしてきたような趣きがあります。

 32曲のピアノソナタを見てきましたが、まったくフォーマットどおりあてはめて、惰性のごとく作ったという曲はほとんど無く、常に何か目新しいこと、斬新なことを求め続け、飽くなき探求心を燃やしているのがよくわかります。
 あらためて、どのピアノソナタをとっても、ほとんどの場合、何かしら新しいアイディアを指摘できたことに、われながら驚いています。自分が新作を書く時に、それほどにあれこれ新機軸を試みているかと考えると、どうも忸怩たる想いにかられます。もうたいていのことは実験され尽くしてしまった……などというのは、逃げ口上に過ぎないでしょう。人がまだ眼をつけていないところは必ずあるはずです。
 もちろんベートーヴェンといえども、ピアノソナタ以外のすべての曲においてもいちいち目新しいことを試していたというわけではないでしょうが、少なくとも惰性で書く、やっつけで書くといったことはほとんど無かったに違いありません。その姿勢だけでも、やはり銘記するに価することなのではないでしょうか。

(2014.3.15.-16.)


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