「十二音技法」の興亡

 私はあんまり十二音技法や、それを拡張したセリー音楽には興味が無く、今まで全面的に用いたのは『フルートのためのパルティータ』の終曲だけです。それもいささかパロディ的に使っていて、全体としては無調である『パルティータ』の中で、十二音を使ったこの終曲がいちばん調性的に聞こえるという仕掛けになっていたものです。
 言うまでもなく、十二音技法は新ウイーン楽派と呼ばれるシェーンベルクヴェーベルンベルクなどによって確立されたシステムです。なんでそんなシステムが出来たかというと、19世紀末あたりからそれまでの長調・短調という響きが飽きられ(というと言葉が悪いですが、よく言えば「それらの響きから得られる効果では表現しきれない」ものが生まれたわけです)、それらに依らない響きのありかたを模索する方向に進んだのでした。
 長調・短調という調性の呪縛を解き放とうとして、いろんな人がいろんな方法を試しました。いかにして調性を感じさせない新しい響きを作り上げるかが、20世紀初頭の野心的な作曲家たちの課題となったのでした。
 ドビュッシーなどが用いた全音音階(例えばド・レ・ミ・ファ#・ソ#・ラ#というように、全部が2半音ずつ等間隔に置かれた音階)もそのひとつです。バルトークなどは半音同士をぶつけて打楽器的な効果を狙いました。スクリャビンはそれまでの調性音楽が3度音程の積み重ねでできていたことに着目し、代わりに4度音程を重ねることで新奇な響きを得ようとしました。
 いずれも賛同者や継承者は居たものの、それ以上の発展性があまり無かったため、その後の主流派を占めることはありませんでした。
 十二音技法も、そうやって「新しい響き」を目指して作られたシステムのひとつです。しかしこの技法は、あれこれと応用を利かせることができたせいか、かなり長期間にわたって、現代音楽界に君臨したのでした。

 十二音技法の基本的発想は、

 ──調性を感じるのは、特定の音が強調されて出てくるからだ。それなら、どの音も強調されないような仕組みを作れば、調性を感じなくなるんじゃないのか?

 ということです。長調や短調には、主音という中心になる音、属音という支配的な音、それに次ぐ下属音とか、主音に連なってゆく導音とか、ひとつひとつの音の序列とか役割がけっこうきっちりと決まっています。それらの序列や役割を壊してしまえば、調性も壊れるということはわかっていたのですが、さてその壊しかたが問題だったのでした。
 シェーンベルクたちは、オクターブの12の音を全部均等に使うという方法で、音の序列を放棄することを考えたわけです。
 均等に使うにはどうするか。ある音が鳴ったとしたら、残りの11の音が全部出てくるまで、その音を二度と使わないということに決めたらどうだろう。
 これはうまい方法でした。確かにこうやれば、無調感というのがわりに簡単に得られます。
 ただ、12の音が順番に巡回しているだけでは、いかにも発展性に乏しく、短い曲ならともかく、5分10分とかかる長い曲を作るのは困難です。
 そこで彼らが導入したのが、「音列操作」でした。

 曲を作る前に、12の音を並べて「基本音列」を作ります。理論的には、12の階乗、すなわち4億7900万1600通りの音列が可能ですが、この中には調性を感じさせてしまう並びかたも含まれていますので、そういうのは使いません。
 この基本音列に対し、「移高」「反行」「逆行」「反逆行」という4通りの操作をおこないます。
 移高というのは、例えば基本音列がミから始まっているとしたら、それをソから始めて、全体の音列をそれに伴って変えてゆくという操作です。調性音楽の場合は「移調」と呼ばれ、ハ長調の曲をニ長調に移したりするのがそれにあたりますが、調がないので、高さを変えるという言いかたになるわけです。
 反行は、基本音列をそっくりそのまま上下逆転します。基本音列の最初の音から2番目の音が、短3度上がっている(例えばミ→ソ)としたら、反行音列では短3度下がる(ミ→ド#)ことになります。
 逆行は、基本音列をうしろから読むというものです。基本音列の12番目の音が最初になり、11番目の音が2番目に、以下同様です。
 そして反逆行は、逆行音列をさらに反行にしたもの(反行音列を逆行したものと言っても同じことです)となります。
 これらを組み合わせることで、ひとつの基本音列から、最大48種類の音列を得ることができます。これだけ使えれば、曲にもだいぶ多様性が生まれます。
 シェーンベルクたちはこのアイディアをどこから得たかというと、実はルネサンス以前からの伝統を持つ「カノン」からでした。
 カノンについては、「カノンの愉しみ」という文章で詳しく書きましたので、そちらを参考にしていただきたいのですが、「移高」も「反行」も「逆行」も、全部カノンの手法として含まれています。反逆行だけは古典的なカノンの中には見当たらず、彼らのオリジナルと思われますが、ここまで用意されていれば、反行と逆行を組み合わせるというのはそんなに大天才でなくとも当然思いつくことです。
 ある意味、こういう古典的な手法に新たな光を当てて応用したという点が、十二音技法のシステムとしての強靱さにつながっていたのではないかと思います。

 音列操作の導入によって、音楽的な拡がりが確保されましたが、ちょっと疑問に思われたかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
 例えば、基本音列と逆行音列を並べた場合、例えば基本音列の9番目の音は逆行音列の4番目の音になりますから、間に挟まれている音は6つだけになります。ひとつの音が、他の11の音が鳴ってからでないと再び現れない、というのが十二音技法の原則だったのに、おかしいのではないか、という疑問が生じるのも当然です。
 が、これは学術ではなく音楽での話ですので、その点は眼をつぶることになっているのでした。
 それどころか、「同じ音を繰り返す」のもOKとなっています。音列の中の任意の部分を取り出して繰り返すのもアリです。実は冒頭に触れた私の『パルティータ』終曲も、それを利用してイ短調っぽく響かせています。
 音列の作りかた、音列操作のやりかたによっては、「十二音技法なのに調性的に聞こえる」という曲も充分書けることになります。新ウイーン楽派の中でも、ベルクはあえてそういう方向を模索した様子があります。一方、ヴェーベルンはもっと潔癖で、とにかく一切の調性感を排除しようとしました。その結果、ヴェーベルンの曲はいずれも非常に短いものとなりました。ベルクはご承知の通り、「ヴォツェック」「ルル」などの大規模なオペラを書いています。ベルクの行きかたのほうが、長い曲をまとめるためには適していたのでしょう。ただし、そういうベルクをやや「不純」と見なした人も多く、1980年代くらいまではベルクよりヴェーベルンのほうが高く評価されていたような気がします。
 ともあれ、こういう「誰にでも利用できる」システムを開発したのが彼らの強みだったと思います。十二音技法を用いれば、誰でも無調の曲を書くことができたわけです。それまでの長調・短調に代わる音のシステムとして、十二音技法は大いに利用されました。わが国には入野義朗さんが導入し、やはり一時期流行しました。日本人の書いたピアノソナタとしては最高傑作のひとつと思われる矢代秋雄さんのソナタも、その主題に十二音技法が用いられています。
 のち、音列操作の考えかたを、音の高さだけではなく、リズム、音の強さ、音色などにまで応用しようというアイディアも生まれました。こうして拡張された概念となったのがセリー音楽です。セリーというと難しそうですが、要するに「シリーズ」のフランス語読みです。音の高さの並び、リズムの並び、音の強さの並び……等々を、それぞれのセリー(シリーズ)と呼んだだけのことでした。

 ところが、セリー音楽の流行は、思わぬところから破れはじめました。
 私が経験したふたつのことで、ほぼ説明には充分でしょう。
 ひとつは、知り合いの作品を聴きに行った時のことです。
 彼は大学の何年か後輩で、なかなか面白い曲を書く男でした。「あっ、そう来るか」と唸りたくなるような作品をいくつも作っており、私もけっこう敬意を持っていました。
 その時の作品は、3つの楽章から成る組曲のようなものでしたが、確か第2楽章が「セリーで書いてみた」とパンフレットに書いてありました。
 驚いたことに、冒頭の楽章と終楽章は彼らしい面白い曲なのに、セリーを用いたという第2楽章だけは、著しく非個性的だったのです。いったいどうしたんだ、と問いたくなるようなシロモノでした。
 もうひとつの経験は、音楽学校で教えている知人の学生の作品を聴かせて貰った時のことです。
 作曲科の学生ではありません。確かビジネス音楽学科というところの学生でした。先生は試みに十二音技法を説明し、課題として学生に曲を作らせたとのことです。提出された楽譜から、先生がシンセサイザーで打ち込んだものを聴かせて貰ったのでした。
 なんと、ど素人と言うべき学生の作った弦楽四重奏曲が、ほとんどシェーンベルクの中期頃の作品と紹介されてもわからないような出来になっていたのです。知人に聞くと、別にその学生は図抜けた天才というわけでもなんでもなかったようです。
 作曲家仲間何人かで聴いていましたが、みんな唖然としていました。

 「……セリーって、なんだったんだろう?」

 そんな疑問が、全員の胸に湧いてきたに違いありません。
 つまり、十二音技法〜セリーというのは、便利すぎたのです。
 誰がやってもそれなりに「無調」っぽい曲が作れるシステムでしたが、同時に、誰がやっても、よほどの工夫と創意をこらさない限りは、似たようなものができてしまうシステムでもあったのでした。
 「セリー音楽の個々の差ってのは、せいぜいクルマのナンバープレートが違う程度の差でしかないね」
 と言ってのけた知人も居ます。よくよく見れば違いがあるのですが、ぱっと聴いた印象ではどれもこれも似たように聞こえる、という状況をうまく言い表していると思います。
 現在では、あえてセリー音楽を全面に標榜して書いている作曲家は、ほとんど居ないのではないでしょうか。

 私はセリー音楽を志したことはありません。全面的に使ってみた唯一の曲がパロディめいたものであったことは上述の通りです。ちなみに『パルティータ』は私が高校生の時の作品ですから、最初から否定的であったと言っても良さそうです。
 とはいえ、全否定するつもりもありません。部分的に用いたことなら何度かあります。
 それは、上に書いた「誰がやっても似たようなものができてしまう」特性を、逆用することも出来るからです。「似たようなものができてしまう」ということは、技法そのものにある種の色合いがあるということでもあります。その色合いがあえて欲しいというケースが、特に劇音楽などを書いていると、時々出てくるのです。
 全面的にセリーを活用する気はまったくありませんが、そういう時に、ある小部分だけセリーを利用するとか、あるパートにだけ利用するとか、そんな使いかたならなかなか便利です。
 シェーンベルクやヴェーベルンが生きていたら眼をむきそうな振る舞いですが、彼らが必死になって追究した「無調」も、いまやパレットの中のひとつの色という以上の意味合いは感じられません。そういう独特の「色」を開発してくれた彼らには感謝したいと思います。
 CDショップへ行くと、いまだにシェーンベルクが「現代音楽」のコーナーにあったりするのですが、すでに歴史的存在と言って良く、いつまでも現代音楽扱いしているのも気の毒だなあと思ったりするのでした。

(2012.2.5.)


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