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       2020年に開催予定だった東京オリンピックですが、どうも準備段階においていろいろケチがつきまくっており、幸先が悪いような気がしてなりません。  そもそも、東京の8月に競技会を開くのはかなり無謀な気がします。私が生まれた年(1964年)にやった東京オリンピックでは、開会式が10月10日でした。だからこの日が「体育の日」に制定されたのです。現在は移動休日になってしまっているので、若い人の中には「体育の日」の謂われを知らない人も居るかもしれません。ともあれ、10月開催ならば気候もちょうど良さそうです。  オリンピックが8月開催になったのは、テレビ局、とりわけUSAのテレビ局の都合に合わせたのだと言われています。つまり、秋の開催にすると、野球のワールドシリーズなどの放映とかち合ってしまうので、どうも具合が悪い。それでその種の行事が少ない8月に開催するようIOCに要請したというのです。IOCとしてもお得意様のことですから無碍にもできず、要請を呑んだというわけです。  しかし、近年の東京の夏の気候を思うと、8月に野外競技をおこなうのは無理ではないかと思えてなりません。8日間も連続で猛暑日が続くなんてことが、今年だけの異常現象とも思えないのです。これから5年、むしろますます猛暑日が増えてゆく傾向にあるのではないでしょうか。
  
       鍛錬を積んでいるアスリートたちは、なんとか大丈夫かもしれませんが、観客には間違いなく熱中症患者が頻出するでしょう。ただでさえ蒸し暑い上に、応援で頭に血が昇ります。病院に担ぎ込まれるくらいならまだしも、そのまま昇天してしまうなんてことも無いとは言えません。応援の観客に熱中症による死者が出たりしたら、大会の汚点になります。 
       アスリートのほうも、あまりに苛酷な環境では、記録が伸びるとも思えません。新記録がろくろく出ないオリンピックなど、ちっとも面白くないではありませんか。 
       とにかく東京という都市は、緯度だけ考えてもヨーロッパのほとんどの都市よりも南にあり、最近の夏の気候ときたら、気温も湿度もほぼジャカルタと同じくらいになっているということを、関係者はいちおう配慮すべきでしょう。テレビの放映権料より人命のほうが大事です。 
       
       さて、ケチのつきはじめはご存じ新国立競技場です。国際コンペにより設計を決めたのは良いとして、建設費があまりに高額になってしまい、とうとう見直しがおこなわれることになりました。 
       見栄を張ってゴージャスなドレスを発注したら、思ったより代金が高くてあわててキャンセルしたみたいな、これもあんまり格好の良い話ではありません。しかもキャンセルと決まるまでえらくゴタゴタした印象があります。審査した人のメンツなどもあって手間取ったようです。 
       そもそもこういうたぐいの国際コンペというものが、どういった形でおこなわれるのか、私は全然知らないのですが、予算をあらかじめ示すということはしないのでしょうか。あるいは、建設費の見積もりを添付させるなどということもしないのでしょうか。予算の上限が示されないのであれば、それはいくらでも豪華な、また奇抜なデザインができるに決まっています。 
       審査に関わった人の話では、採用されたデザインは非常に造形が複雑で建設が難しいように思われたが、わが国の建築技術にとって大きなチャレンジとなることを重視した、というような意図があったと聞きます。芸術や学問というのは採算性をあまり考えずにやっても良いものですが、技術というのは「予算内におさめる」ことも重要であって、野放図に費用を食うのであれば、それはもうチャレンジでもなんでもないように私などは思うのですが、どんなものでしょう。 
       異常なバブル景気と、それがはじけたあとの停滞の20年を経た日本としては、こういうところで厖大なカネをかけて人の眼を驚かそうとするのではなく、むしろ低予算の中でどれだけ智慧をしぼって感動を生み出せるかということを考えたほうが、現状にふさわしいと思うのです。そう思って採用デザインを見れば、なんともバブリーであって、バブル時代を満喫した世代の連中が「夢よもう一度」とばかり選んでしまった感が拭えません。 
       日程的には厳しいかもしれませんが、見直しに決まって良かったと思います。 
       
       それから、大会エンブレムにもケチがついています。 
       もともと、黒い帯が中央を通過しているTの字のデザインは、「なんだか不吉だ」「喪章みたい」などなどとささやかれ、不評だったようなのですが、ベルギーのデザイナーが作った劇場のロゴに酷似しているという話が出て、やにわに盗作疑惑が持ち上がりました。 
       比較画像を見ましたが、なるほど似ています。 
       デザインのことですから、偶然意匠が似てしまったということが無いとは言えません。しかしそうだとしても、先行のものに似たのがあり、それが問題になったとなれば、やはりケチがついたわけであり、取り下げるのが作家的良心というものではないでしょうか。 
       しかし、この作者はしばらく音信不通ののちに記者会見を開きましたけれども、ベルギーのロゴは見たことが無いと主張し、またそのロゴと大会エンブレムがいかに「似ていない」かを必死になって訴えていました。 
       人が「似ている」と思うのは、細かい要素の配分や配置がどうだという話ではなく、全体の印象として感じてしまうものですから、そういう細かいところを持ち出して 
       
       ──どうだ、全然違うだろう。 
       
       と縷々説明されても、印象が変わるわけではありません。そういうことは、曲がりなりにも視覚表現を仕事にしている人なら常識としてわかっているとばかり思っていたのですが、どうもそうではなかったようです。 
       ところが、総合責任者と言うべき舛添都知事が 
       「(作者の説明に)非常に説得力を感じた」 
       と言って、大会エンブレムをそのまま使い続ける意向を明言してしまいました。どこに説得力を感じたのかちゃんと説明して貰いたいものです。なんとなくこれも、メンツがからんでいるような気がしてなりません。 
       不思議なことに、テレビでこの問題が採り上げられる際は、作者を擁護し、不使用を訴えたベルギーのデザイナーをくさす論調が多かったようです。また同業者のデザイナーたちも同様でした。中には 
       
       ──これを盗作だなどと言う手合いは、アニメのキャラクターの顔が区別できないオカンと変わらない。 
       
       などと挑発的な発言をする人も居ました。一体に、 
       
       ──シロートが知ったようなことを抜かすな。 
       
       という調子が同業者内の主流であったようです。しかし、エンブレムを見るのは全世界のシロートさんたちなのです。 
       
       ところが、ここ数日、風向きが変わってきました。 
       ネット上で、この作者の他の「作品」が次々と検証されはじめたのです。特に、シリーズで委嘱されていたらしいサントリーのトートバッグのデザインなどが槍玉に挙がりました。 
       その結果、かなりの割合の「作品」に、先行する「酷似したデザイン」が存在することが判明してきたのです。フランスパンのデザインは、発見された個人ブログの写真と重ね合わせてみると完全に一致していましたし、泳いでいる人のデザインも、多少手足の位置は違いましたが、人体の角度から影のつきかたまでぴったりと一致しました。まあ、中には牽強付会と思われる例もありましたが、それにしても「打率」が高すぎます。 
       もちろんデザインという部門には、コラージュという手法があることくらいは誰でも知っています。しかし、コラージュというのは既存の素材を用いて何か別のことを表現するための手法であると私は理解しています。また、しばらく前にマッド・アマノ氏の事件があったように、コラージュは盗用すれすれの技法なのであって、よほど注意深く使用しないと誤解を免れません。 
       「コラージュやフリー素材も知らんドシロートどもが」 
       最初のうちそんな調子でうそぶいていた同業者たちの中から、 
       「ありゃ、これはさすがにアウトなのではないか?」 
       と「転向」する人が徐々に出てきました。 
       また、大会エンブレムのデザインを審査した委員が、この作者の「身内」とも言うべき人たちだったことも暴露されています。ひとりは彼の「師」みたいな立場であり、もうひとりはかつて彼がコンペで入選させたことのあるデザイナーであったというのです。デザインの世界とは、そんなものなのか……という失望が拡がっています。 
       
       この作者がいささかなりともオリジナリティを発揮したと考えられる「絵」は、非常に素朴なタッチの、童画風なものであったようです。それ以上の「オシャレな」「かっこよい」ものを求められたりすると、どこかから素材を拾ってきてわずかなアレンジを施すくらいしか手がなかったものと見えます。きっと自分でも最初のうちは 
       
       ──これは「パクリ」などではない、「コラージュ」なんだ。 
       
       と自分に言い聞かせていたのかもしれませんが、それでけっこう通ってしまったために、だんだんと抵抗感が無くなって行ったのでしょう。トートバッグのデザインをしているくらいだったら、「元ネタ」を検証するような人も居なかったでしょうが、オリンピックのエンブレムともなればそうもゆきません。あいにくと、ネットで画像検索ということが簡単にできるようになっています。誰も疑わなかったうちは安全でしたが、ひとたび疑いを持たれれば旧作を含めて徹底的に検証されることになってしまいます。 
       盗作という「意識」はたぶん無かったのでしょう。エンブレムにしてもひょっとすると本当に「偶然」なのかもしれません。しかし、実際に多くの人が「似ている」と感じるロゴがあり、そちらから使用の差し止めを求められている以上、要するに「ケチがついた」わけであり、使用は差し控えたほうが良いのではないでしょうか。 
       視覚的なデザインと、音楽のことを同列には論じられないかもしれませんが、既存の曲と「似た」フレーズが出てきてしまうことは私にも無いとは言えません。 
       「ここ、○○○に似てますね」 
       と演奏者に言われたりしたこともあります。その場合、私の反応としては、 
       「あ、そういやそうだね」 
       と苦笑するか、 
       「そうかあ?」 
       と反問するか、そんなものでしょう。 
       「バカを言うな、○○○はハ長調だがここは変ホ長調だ。それにテンポも違う。だいたい扱いかたがまるで違っている。どこが似ているものか」 
       などと躍起になって否定したら、むしろ変なものです。エンブレムデザイナーの答弁は、これとそっくりである気がするのです。 
       お断りしておきますが、私は「盗作」についてはわりと寛容なほうです。オリジナルより良いものができると思うなら堂々と盗めば良い、という考えの持ち主です。それを裁判沙汰にしたりするのは表現者としての敗北にほかならない、とさえ思っています。 
       しかし、その私から見ても、今回の大会エンブレム騒動は、どうにもいただけません。 
       多くの人が「似ている」というものを、必死で「いや、似てなんかいない」と言い張るのは、やっぱりどこかにやましさがあるんではないかと思えてしまうのです。 
       
       オリンピックについては、あとボランティアの制服デザインもだいぶ批判されています。変にごてごてして、ちっとも日本的でなく、むしろ色づかいなどが李氏朝鮮時代の衛兵の服にそっくりだなどと指摘されています。 
       ネット時代で、いろいろ泡沫的な意見がかまびすしいということはありますが、関係者がそれを軽視して無理矢理押し通すというのもいかがなものでしょうか。やはり多くの人に祝福されるオリンピックであって貰いたいと思う次第です。
       (2015.8.12.)  |