忘れ得ぬことども

名前の話

I

 アメリカの小説などを読んでいると、知り合っていくらも経たないのに、すぐファーストネームで呼び合うようになるらしい。
 「それで、この件に関してですが、ミスター・ジョーンズ
「いやいや、ディックと呼んで下さい」
「そうですか、では私のこともボブと呼んで貰いましょう」
なんてシーンがよく出てきます。
 ファーストネームで呼び合うのが、親愛の情を示す証拠だと考えているらしいですね。上の例の場合、ディックはリチャードの、ボブはロバートの愛称ですから、さらに一段進んでいると言えるでしょう。
 おっちょこちょいの日本人は、外国へ行くとすぐ真似をしたがります。
 かつて中曽根元総理が、レーガン元大統領と「ロン」「ヤス」と呼び合ってはしゃいでいたことがありましたが、考えてみると、アメリカの風習に取り込まれたというだけの話で、日本の首相にとって名誉なことだとはどうも思えません。
 アメリカ暮らしの長い人の書いた本など読むと、研究仲間や現地での知り合いなどをファーストネームや愛称で呼ぶのはまだしも、他の日本人のことまで「ケン」とか「ノブ」とか書いていたりするのであきれます。彼らは日本の公式の場でそんな呼び方をするのでしょうか。
 しかし、あの司馬遼太郎でさえ、このアメリカ人の風習を、

 ──「個人」がたかだかと自立している印象を覚える。

 などと褒めているのですから、仕方のないことかな。日本人は普通苗字を呼ぶ、つまり「個人」ではなくて「家」の単位でしかない。あるいは苗字すらも滅多に呼ばず、役職(「課長」など)や居住地(「中野のおばさん」など)で呼ぶ、つまり「会社」や「地域」でしか立つことができない。まだまだ個人が独立していると言うには程遠い、というわけなのでしょう。

 しかし、ビジネスの場でそんなに馴れ馴れしくするのが、グローバルスタンダードだとは思えません。他の国を大して知っているわけではありませんが、小説などを読む限り、やたらとファーストネームや愛称を呼び合うのはアメリカ特有の風習ではないかという気がします。
 シャーロック・ホームズワトスン博士は、17年間ひとつ屋根の下で暮らしていながら、ただの一度もファーストネームで呼び合ったことがないようです。推理小説の世界では、名探偵と助手というフォーマットがそれからずいぶん使われましたが、英国産のものではお互いファーストネームで呼び合っているケースは大変稀です。つまり、同じ英語圏でも、英国にはファーストネームを軽々しく呼ぶ習慣はほとんどなかったと判断せざるを得ません。これをもって、英国人はアメリカ人より個人が自立していないと言い切れるでしょうか。
 フランス人も、ドイツ人も、スペイン人も、ビジネスのような公的な場では姓を呼ぶのが普通のようです。フランス人は面と向かってはむしろ姓さえも呼ばず、ムシューと言うだけかもしれません。フランスが西洋式エチケットの総本山だとすれば、だらしなくファーストネームなど言い合うアメリカ人が田舎っぺで、日本人はむしろエチケットに即しているということも言えるでしょう。
 中国では、姓に「先生」をつけるのが普通です。日本でいう先生より意味が軽く、ミスターという程度の尊称ですが、面と向かって(下の)名前を呼ぶのは相手を軽く見ることになるという感覚は、日本人と同様であるようです。

 言語社会学者の鈴木孝夫氏は、硬骨な人柄で知られますが、研究のためアメリカにしばらく滞在した時、

 ──日本ではファーストネームを軽々しく、しかも省略して呼ぶなどというのは、相手に大変失礼だということになっています。

 と言い張り、誰にも「タカ」などとは決して呼ばせなかったということです。
 私個人としては、この鈴木氏の態度に拍手を送りたいと思います。
 もっとも、日本人の名前は音節数が多く、アメリカ人には発音しずらいという事情もあるでしょうけどね。
 英語名で4音節以上の名前というのがあるだろうかと、この前ちょっと考えてみたのですが、男性名のアレグザンダーAlexanderとか女性名のエリザベスElizabethくらいしか思いつきませんでした。その短い名前でさえ、何がなんでも1音節まで略してしまいたがるのがアメリカ人ですから、確かに日本人の名前にはうんざりするのかな、とも思ったのでした。

II

 ヨーロッパ人の名前(ファーストネーム)というのは種類が少ないようです。
 名前は基本的には洗礼名であるため、聖書からとられたり、いろんな伝承からとられたりしますが、ネタに限りがあるのはやむを得ません。新しいオリジナルな名前などはほとんど生まれないのでしょう。
 日本人の、それも男の名前となると、これはもう変幻自在で、任意の漢字を二文字組み合わせればそれで名前ができてしまうと言っても言いすぎではないようです。西洋人から見ると日本人の名前というのは複雑怪奇なようで、だからかえって、向こうの人の書く小説などに出てくる日本人は実に珍妙な名前になっていたりします。
 「蝶々夫人」という、日本を舞台にしたプッチーニの有名なオペラがありますが、これに出てくる女中の名前がスズキといいます。台本作者は大まじめでスズキが女名前だと信じていたのだろうと思われます。ちなみに同じくプッチーニの「トゥーランドット」は、空想的中国が舞台ですが、ここでも献身的な婢(はしため)が登場し、名前はリュー。これまた中国人によくある姓の「劉」に違いありませんが、台本作者はファーストネームだと信じていたでしょう。
 かくのごとく、外国人の名前というものはわかりずらいのですが、ヨーロッパの主な国の主な名前となれば、大体見当がつくのが面白い。

 英語名でありふれたジョンという名前は、聖書のヨハネ(何人か登場しますが)に由来しています。これがドイツへ行くとヨハン(転じてハンス)となり、フランスだとジャン、ロシアだとイワン、イタリアだとジョヴァンニ、スペインだとフアンに変化します。つまり「ドン・フアン」をイタリア読みすると「ドン・ジョヴァンニ」となり、ドイツ語流だとフォン・ヨハン、英語流だとサー・ジョンということになります。
 聖書ネタの名前は各国で使われているので比較がしやすいですね。主なものをざっと並べてみましょう。

聖書の人物 英語 フランス語 ドイツ語 イタリア語 スペイン語 ロシア語
ヨセフ ジョゼフ ジョセフ ヨーゼフ ジュセッペ ホセ
ペテロ ピーター ピエール ペーター ピエトロ ペドロ ピョートル
パウロ ポール ポール パウル パウロ パヴロ パヴロフ
ヤコブ ジェイコブ ヤーコブ ジャコモ
マリア メアリー マリー マリア マリア マリア マリア
マルタ マーサ マート マルテ マルタ
ミカエル マイケル ミシェル ミヒャエル ミケロ ミゲル ミハイル

 さらに、男性名の女性化、女性名の男性化などもあります。ジョンは女性化してジェイン、以下各国でヨハン→ヨハンナ(ハンナ)、ジャン→ジャンヌ、イワン→イヴァーナ、ジョヴァンニ→ジョアンナ、フアン→フアナのように変化します。女性名の男性化の例では、イタリア人によくあるマリオという名前はマリアが原型となっています。
 神話、伝承、歴史からの命名もありますが、これは国によっていろいろ好みがあるようです。フランス人に多いセザールはシーザーのことですが、対応する名前は他の国にはあまり見当たりません(イタリア語ではチェザーレとなりますが、チェザーレ・ボルジアの悪名のせいか、現代ではあまり使われないようです)。
 英国に多いアーサーはアーサー王伝説が元ネタでキリスト教とは無関係ですが、フランスにはアルチュールと変化して多少入ったようです。なおアーサー王伝説ネタでは、英語の女性名ジェニファーもそうで、王妃グエネヴィアが元になっていますが、この王妃は騎士ランスロットと浮気をします。そのせいかジェニファーという名前は、英語圏ではいささか色っぽすぎる印象があるのだとか。
 ともかくどの名前も結構由緒正しいので、何百年間も同じ名前を使い続けています。日本で今「ナントカ左衛門」といったような名前をつけようとしたら、親戚一同から止められるに決まっていますが、名前にあんまりはやりすたりがあるのも考えものですね。

 ただし、日本人は名前のつけ方のはやりすたりがあったればこそ、初期の天皇が架空らしいということがわかったという点もあります。第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは、その名前が明らかに後世風で、つまりその時代のはやりとは思えないというので、あとから作られて挿入された架空の人物だったに違いないという推論の根拠になっています。こういう具合に役に立つことも、ないことはないようで。

 それにしても、女の子の名前の変化には驚きますね。あすかちゃん、わかばちゃん、さやちゃん、じゅりちゃん等々、かわいらしい名前が次々とはやります。
 が、考えてみると、半世紀後には、これらのかわいらしい名前が、中年〜老年女性の代表的な名前となるのです。あちこちにあすかばあちゃんじゅりおばさんが輩出するわけで、その種の名前はなんとなく古くさい、年寄りじみた印象を与えるようになるでしょう。
 その頃になったら、かえって小さい子の名前に「うめちゃん」とか「とめちゃん」なんてのがリバイバルしやしないかと私は楽しみにしています。

III

 前に、ローマ字表記のことを書いた時に、私はこういうことを書きました。

 ──(日本人が姓名をローマ字表記する時)いまだに姓名をひっくり返して言うという点も、一度じっくり考えなくてはならないところだと思いますが、とりあえず今は別のことを書きたいので、措いておきます。

 その時措いておいた、姓名をひっくり返すことについて書きたいと思います。

 考えてみると、外国へ行った時に、自主的に姓名をひっくり返すなどというのは日本人だけです。
 名より姓の方が先に来るというのは、何も日本に限らず、中国でも韓国でもヴェトナムでも同じことで、ヨーロッパでもハンガリーなどの例があります。
 「ナントカのナニナニ」という語法の時に、まずナニナニの方を先に言って、その属性であるナントカをあとに言う(ナニナニ of ナントカの形になる)か、まず大きな属性を言ってから細分してゆくかという、いわば世界の認識方法の差が、名前にも顕れていると考えられます。姓より名の方を先に言うところでは、多分住所を記す時も、街区名──町名──州名のように、小さい方から書くことになっているでしょう。これらはどちらが正しい、どちらが優れている、という問題ではなく、世界認識に対するふたつの異なった立場というに過ぎません。
 中国人は欧米へ行っても、別に姓名を逆にしたりはしませんし、韓国人もヴェトナム人も同様です。
 毛沢東はどこへ行っても毛沢東であって、沢東・毛などと呼ばれることはありません。
 強いて言えば、韓国生まれでずっとドイツで活躍していた有名な作曲家の尹伊桑(ユン・イサン)が、時折「イサン・ユン」と表記されることがありますが、他の例は知りません。
 そんなわけで、中国人や韓国人はしばしば、日本人の自主性のなさを嘲笑することになります。

 しかし、これは時代を考えればやむを得ざるものがあったと言えるでしょう。
 幕末の黒船ショックは大変なものがあったはずで、このままでは確実に欧米列強の植民地にされてしまうという危機感が、日本全土を覆ったのです。
 あれほど威張っていた中国の清王朝が、わずか何隻かの英国軍艦の前に、なすすべもなく敗れ、領土割譲を余儀なくされた阿片戦争という実例が、この当時つい最近の実例としてあったのです。日本は鎖国中とはいえ、世界の情勢についてはこの頃かなり正確に把握しており、それが幕府の機密というわけでもなくかなり一般に認識されていたようです。
 中国に較べると痛ましいほど小さい日本としては、ここでしっかりしないと植民地にされてしまうという意識が澎湃として巻き起こり、それについて組織の硬直化した幕府ではどうしようもない、あらたな政権を作らなければ、という気持ちが、明治維新につながって行ったわけです。
 明治政府の初期は、いかにして列強の侵略を防ぐかということを、唯一最大の主題として動いていたと思われます。
 そこで明治政府がとった方法こそ、まさに独創的でした。
 積極的に相手の懐に飛び込み、見栄も外聞もかなぐり捨てて相手を真似し、とにかく相手のやることを全部吸収してこっちでもやってやろうとしたのです。物真似ばかりだと嘲られようと、猿が洋服を着ていると罵られようと、とにかく相手の武器を自分の中に引き込むのが先決で、それにより相手と対等な立場に立とうと考えたのでした。
 一歩間違えば民族本来のアイデンティティが消滅しかねない危険性も顧みず、そこまでやったというのは、すごい決断だったと思います。明治の指導者たちには、アイデンティティが少しくらい破壊されようと、支配されるよりはましだという、明確な優先順位があったのでしょう。もちろんそれに対して反撥も生じました。西南戦争などその最大のものですが、明治政府は断固としてこれを鎮圧したのでした。現在の政治家に、ここまでの意識と覚悟があるでしょうか。

 さて、姓名を逆にするという一事をとっても、この涙ぐましいまでの明治人の奮闘が反映されているのです。
 その当時世界を支配していたと言ってよいヨーロッパ人たちは、いずれも名が先で姓があとになっています。姓が前に来る中国人は、なすすべもなく敗れています。
 文明人たるもの、姓をあとに置かなければならないのだろうと、当時の人々が考えたのを、笑えるでしょうか。姓が先にあるというそれだけで、あの情けない清国と同類に見られて軽蔑されるのではないか、と考えたとしても、無理はないのではないでしょうか。
 文部卿森有礼は、日本語を廃止して英語にしたらどうかという、とてつもない提案をしていますが、これもまた、英語を使えば日本人の理解力が上がり、欧米人が尊敬してくれるのではないかという、痛々しいあがきのひとつだったのです。幸い、相談を受けたエール大学ホイットニー教授は良心的な人で、
 「どこの国でも自国の言語を守ろうと汲々としているというのに、こともあろうにそれを自分から棄てるなどという馬鹿なことは、決してするべきではない」
 と忠告してくれましたが、まったく危ないところでした。
 しかし、姓名を逆転させる必要はないと忠告してくれる人は、残念ながら、おりませんでした。
 ただ、ここが日本人の知恵なのですが、国内では依然として姓が先のままにしておきました。姓名逆転は、外国人を相手にした時だけの、特例ということになったのです。これにより、日本人のアイデンティティの一部は、完全に破壊されることなく残ることになりました。なかなか融通無碍な方策ですが、国内と国外で名前の呼び方が変わるという、日本だけの奇習が始まることにもなりました。

 西洋と対等になるんだ、という当時の人々の必死の想いを考えると、

 ──姓名を逆転させるなど馬鹿なことをしたものよ。

 と笑う気には、私はとてもなれません。
 中国も韓国も、そこまで必死の危機感を抱いたことがあったかと問いたい。日本という前例があって、どうやら名前の呼び順などは文明と関係がなさそうだということがわかってきたから、平気でそのままにしておくことができたのではありませんか。

 ただ、そろそろいいんじゃないかな、とは思います。
 先人たちの苦闘は苦闘として、そろそろ外国でも、本来の名前を使うようにしたらどうでしょう。
 これだけ国力が上がり、すでに文明の担い手という意味での日本を軽視するような国はほとんどどこにもなくなったのですから、西洋式の順序にこだわる必要性は、もうないと思うのです。
 ここまで大国になった日本には、むしろ、地球上には欧米人とちがった世界認識をしている人々がたくさん居るのだということを、欧米人に対してもきちんと示す責任があるのではないでしょうか。

(1999.10.23〜25..)

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