忘れ得ぬことども

表現者の「壁」

 「お客様の声」によく書き込んでくださっている岡村さんのサイト「20世紀の音楽&英文メール」に、「音楽学習掲示板」というのがありまして、音楽についてのいろいろな質問に、わかる人が答えるという形になっています。
 理論的な話であれば私に答えられることも多いので、いわばそこの常連回答者のようなことになっておりますが、最近は実際に作曲の勉強をしている人が質問を寄せてくるようになりました。
 作曲の勉強をしている人が悩むのは、理論上の問題よりも、むしろ創作姿勢とか、作曲哲学(?)のようなものである場合が多いようです。私の学生時代を考えてもそうであって、仲間とかなり激しく論じ合ったりしたことも何度かありました。私たちはどちらかというと、何かと口やかましく喧嘩っ早い全共闘世代の下の、いわゆる「シラケ世代」に属するのですが、その私たちにして、やはり熱く語り合う時間も持っていたということが、なんとなく不思議な気がします。

 さて、「音楽学習掲示板」に、ある作曲勉強中の青年が、楽曲分析をしていて、その分析の対象としている作曲家のすごさを痛感し、引き較べて自分の無力さを思って落ち込んでしまう、という書き込みをしていました。
 実際に表現活動をはじめようとする人が、必ず突き当たる壁ではあります。
 鑑賞しているだけの立場であれば、好き勝手に論ずることができるのであって、誰のどの曲はどうだ、この作曲家はこの時期かなりモウロクしていたんではないのか、などと言いたい放題言っていられるのですが、さて自分が表現しなければならなくなると、あらためて先人は偉大だったのだということが肝に銘じられて来るものです。そのコワさを乗り越えられるかどうかが、まず表現者の第一関門と言ってよいかもしれません。
 フランスの高名な女流音楽教育家のナディア・ブーランジェは、当初作曲家をめざしていたのですが、妹のリリの才能を見て、それこそ自分の無力さを思い、筆を断ったのでした。そのリリはわずか24歳で夭折してしまったのだから、ナディアの想いは複雑なものがあったでしょうが、とにかく自分自身が表現する道には戻りませんでした。いわば、表現することのコワさを乗り越えられなかった人だったのでしょう。もちろん、教育家としてのブーランジェ女史の功績は素晴らしいものがあり、日本の現在指導的地位にいる作曲家の多くが、パリで彼女の教えを受けています。

 この壁は、結局は独力で乗り越えるより仕方がないのですが、私がその青年と同じくらいの年齢の時に、どんなことを思ったか、そんなことを語れば、多少は彼の悩みを解決する足しになるかもしれないと思い、回答の筆を執りました。
 書いてみると、口幅ったく、えらそうな物言いになってしまいましたが、掲示板という場でいずれ消えてゆくのもちょっともったいないような気がしてきましたので、ここに再録しておくことにいたしました。皆さん、あきれませんように。(^_^;;
 内容は、作品リストの解説などでも断片的に触れたことと重複しておりますが、ご了承下さい。

 高校まで趣味で作曲をしていて、一応レッスンは受けていたものの、さしたる意識もなく書きたいように書いていました。
 いわゆる「現代音楽」のあり方に、漠然とした疑問を感じていたくらいです。
 そもそもその頃までは、書いた曲をどこかで発表するということも稀で、自分でピアノを叩いて終わりになっていました。言ってみれば、自分の聴きたい曲を書く、というのが創作態度と言えば創作態度だったように思います。

 それから作曲科に入って、最初についたのが故八村義夫でした。
 この人は知る人ぞ知る天才肌の作曲家で、17歳の時に、まだ日本ではほとんど知られていなかったクラスターの技法(密集音──ある音域に含まれるすべての音を同時に鳴らす)を独自に開発したり、拍節の代わりに邦楽の「間合い」といったようなものを導入したり、画期的なことをいくつもやっています。新しいことを考えただけでなく、それらの書法が、今ではごく普通のものになっているという点が驚くべきことです。
 八村先生の創作態度は非常に厳しく、47歳の若さで亡くなるまでに、わずか16曲の作品を残したのみでした。
 いきなりこんな先生のレッスンを受けて、それまでやって来たこととあまりに異なるので、私は混乱し、しばらくはろくに曲が書けなくなりました。

 当然ながら作品を見て貰ったことはあまりなく、対位法や分析といったテクニカルなことを教わりながら、先生が問わず語りに話す作曲哲学のようなものを伺いました。「ラ・フォリア」という八村先生の遺稿集が出版されていますが、そこに書いてあることとほぼ同じようなことを、ぽつりぽつりと語ってくださいました。
 納得できることも、首肯できないこともありましたが、先生に言われたことでもっとも私が肝に銘じた言葉は、
 「書きたいものを、書きたいように書けばいいんだよ……結局、それしかできないんだから」
という、平凡な、しかし深遠な一言だったのでした。
 
では自分の書きたいものというのはなんなのか?
 例えば調性音楽など書くのがなんとなくはばかられるような作曲科の空気に抗えず、エセ「現代音楽」っぽい提出作品を書きながら、どうもこれは違う、自分の書きたいのはこういうものではないのではないか、という疑念に悩まされ続けました。
 もちろん、あなたのおっしゃるような無力感は常に感じていました。

 それが、ある秋の日、晴れ渡って異様なほど青い空の下を、ぼんやり歩いていた時に、はっと気がつきました。

 ──そうか、そうだったんだ。おれのやりたいことは、「あれ」だったんだ。

 「あれ」というのが具体的に何であったかは、話すと長いし、ここでは関係のないことなので触れませんが、ふっと憑き物が落ちたように、そう感じたのです。
 それが22歳の時でした。

 それからは、それほど迷いませんでした。
 もちろん、自分の想いをどう表現するかという点での苦吟は、今なおしょっちゅうのことですが、創作の方向性そのものについては、大体一本の道を歩いてきたように思います。ゴールはまだまだ前途遼遠、というかそもそもゴールなんかないのかもしれませんが。
 史上の大作曲家の作品は作品として、そこから盗めるものは盗む、そうでないものはただ拍手を送っておく、というスタンスをとるようになりました。何も私は「ベートーヴェンのような」作品、「ショパンのような」作品、「ドビュッシーのような」作品を書こうとしているのではなく、「私のような」作品を書くべく努めているわけですから。

 あなたのお悩みは、結局「自分のやりたいこと」がよくわからず、模索している段階であるための不完全燃焼なのではないかと拝察いたします。
 私の経験からして、数年はその状態が続くかもしれませんが、まじめに模索していれば、必ず道は見つかるはずです。ただし「誰それみたいな曲が書きたい」というのではいけませんよ(^_^;;

 有名な話なので、ご存じかもしれませんが、ジョージ・ガーシュウィンがパリにやってきてラヴェルの門を叩いた時のラヴェルの言葉は、この場合励みになると思います。
 「あなたはすでに一流のガーシュウィンなのではありませんか。何を好きこのんで、二流のラヴェルになろうというのです」
 ちなみにやはり教えを乞われたストラヴィンスキーは、ガーシュウィンの年収を訊ねると、
 「それならいっそ、私があんたに弟子入りすることにしましょう」
 ガーシュウィンには、正式な音楽教育を受けていなかったことに対する非常なコンプレックスがあったのに違いありませんが、現にその時、すでに彼はジャズの巨匠として、アメリカはもちろんヨーロッパまで名が知られていました。

 ──すでに君の音楽は人々の心に届いているではないか。余計なことを考えず、自分の思った道を進みたまえ。

 ラヴェルもストラヴィンスキーも、言い方こそ皮肉でしたが、そう言いたかったのでしょう。 

 私はもちろん、自分の書くものがそれほど大したものであるとは思っていませんが、しかし「私がめざすものへの方向」という意味だけであれば、そうそう他の作曲家にひけはとらないという自負は持っております。それはあたりまえといえばあたりまえで、自分のやりたいことは自分がいちばんよくきわめられるに決まっています。
 幸い、音楽というものは、会社の営業成績とか、学校の試験の点数などとは違って、誰もが通るべきたったひとつの道というものはありません。
  「作曲家は自分がいちばんだと思っていなければ、やっていけない」
と言った作曲家もいるようですが、この場合の「自分がいちばん」というのは、何も、「あらゆる面で自分がいちばん優れている」と思わなければならないという意味ではないと思います(そういうのは普通「誇大妄想」と呼ばれる)。「自分がやりたいこと(もっとも価値を置くこと)に関しては、自分がいちばんだ」という自信を持てれば、充分でしょう。
 もし、その方向において、前方に立ちはだかっている人がいたとすれば、その人を超えるように死にものぐるいで努力すればよいだけのこと。

 端的に言うと、楽曲の形式美ということについてベートーヴェンを超えることは容易でないというか、まず無理でしょうが、例えば、「歌曲における旋律とテキストの有機的な結びつき」というようなことについてベートーヴェンを超えることは、その方向のセンスとしっかりした努力があれば、それほど困難なことではありません。そこだけをとって、おれはベートーヴェンより上だ! と考えても、これは別に不遜ではないし、誰が迷惑することでもありません。

 まだお若いのですから(私の齢でもこの世界では充分「若手」で通りますから(^_^;;)、ゆっくりと、ご自分のやりたいこと、書きたいことが「本当は」何なのか、探してみてください。

 再録してみるとやっぱりえらそうだなあ。(^_^;;
 この回答を読んだ質問者がどう考えたかは定かでありませんが、少しは元気が出たようなレスポンスが書き込まれていました。まずはよかったということで。(^o^)

(1999.10.8..)

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