忘れ得ぬことども

しし座流星群

 私は昔から理科は好きだったのですが、どうも観察ということが苦手で、理屈ばかりを好む性癖がありました。
 だから、例えば動物や植物の話を読んだり聞いたりするのは今でも大好きで、いろんな面白い話を知ってはいるにもかかわらず、誰でも知っているような草花の見分けがつかなかったり、昆虫の名前がわからなかったりします。あるいは、地球の内部はどうなっているのかというようなことには興味があっても、個々の岩石の種類を同定するなどということはまったくできませんでした。

 同じように、天文学もとても好きでした。しかし私の天文学に対する興味は、ブラックホールだの、惑星の組成だのといった、自分では調べようのないものへと向かい、例えばハレー彗星がやってきたとしても躍起になって望遠鏡でそれを観測しようなどという方向には進みませんでした。星空を眺めても、オリオン座北斗七星夏(冬)の大三角形くらいはわかりますが、あとは星座の名前も星の名前もさっぱりです。
 さて、そんな私ですから、このたびの「しし座流星群」の騒ぎにも風馬牛に近かったのですが、あちこちのサイトでその話題が持ちきりで、さらにここの「お客様の声」にまでいくつかの書き込みがなされていたのを見て、ひとつ見てみようかという気になりました。幸い翌朝は急がないことでもあるし。
 33年に1度の天体ショーとかいう話でしたが、考えてみると数年に1度は、「何十年に1度の……」というのがいろいろと起こっていますね。もちろん種類が違うわけですが、それにしても何十年に1度と言われるとなんとなく焦るのも人の世の常。私は流行というものに疎く、むしろ流行に乗らないことを自らの信念としている者ですが、その私もとうとう乗せられてしまったという次第。

 さて、4時少し前に目覚ましをかけて、ひとまず眠りました。
 目覚ましに起こされる直前、流星について誰かが滔々と一席ぶっている夢を見ていたようです。やはりだいぶ気にかかっていたらしい。そのため、すぐさま眼が醒めました。
 私のベッドは窓に面しているので、最初は、寝たままで窓を開けて見てやろうと、横着なことを考えていました。
 ところが、そんなことは無理だということがすぐわかりました。
 近くに高層のマンションがあります。そのマンション自体に隠されるというのではありません。しかし、この未明に、そのマンションは煌々とライトアップされていて、その灯りで空がすっかり明るくなってしまっているのです。
 諦めて寝ようかとも思いましたが、せっかく起きたのだからちゃんと見てみたい。
 そこで服を着て、外へ出ました。

 外へ出て思ったのは、街はこの時間にもこんなにも明るいのかという慨嘆。私の住んでいるのは東京都と埼玉県の境界近くの埼玉側ですが、荒川にかかった橋を渡って東京都から埼玉県に入ると、急に街灯の数が減って暗くなる、とドライバーなどはよく言います。それでも、これほど明るいというのは、今まで知らなかったわけではないのに、なんだか新しい実感を得たようでした。
 しかし、星を見るのによい場所が近くにあります。他ならぬ、荒川の土手です。
 流星群は東の空を中心に見ることができるということでしたが、荒川はこのあたりでは東西方向に流れているので、東側が大きく見晴らせるようになっています。しかも、川の上そのものには照明がついていません。
 そこで、荒川土手へ向かいました。歩いて5分程度です。
 明るさもさることながら、この時間にこれほど交通量が多いのかと慨嘆しつつ土手への道を歩きました。

 土手へ行ってみると、同じ考えの人々が何十人も集まって、てんでに空を見上げていました。
 用意のいい人は、寝ころんで空を見られるよう、大きな敷物を持ってきています。さらに、コッヘルでコーヒーか何か沸かしながら坐り込んでいる人もいました。
 土手とはいえ、やっぱり街灯が煌々と輝いていて、その光に比較的邪魔されないポイントは限られています。
 空は半分くらい晴れていました。濃淡様々な雲が流れていて、しばしばそれで星々が隠されましたが、まあそれにしても、この地でもこんなに星が見えるものなのかという新鮮な感動を覚えました。
 オリオン、北斗七星はすぐわかりましたが、さてしし座というのがどれなのか、さっぱりわかりません。レグルスという一等星が含まれているはずですが、それがどこに見えるのかも知らないのですからお話にならないわけです。漠然と夜空を見上げているしか仕方がありません。

 時々、方々で歓声が上がります。
「あっ、流れた流れた」
「今のはよく見えたなあ」
 しかし、そういう声を聞いて、彼らが見ている方角をあわてて見てみても、もう間に合いません。流星が光っているのはわずか0.7〜0.8秒だそうです。よほどの早口の人でもこの間に10文字以上を唱えることは難しく、従ってよく言われるように「流れ星が消えるまでに3回祈りを唱える」ためには、せいぜい3文字程度の祈りしかできないわけです。それに、流れ星を見ると、まず反射的に、
「あっ、流れた」
と思ってしまいますから、これで少なくとも0.5秒は無駄にします。そもそも3回も祈りを唱えるのは無理な話で、無理だからこそ御利益があるというわけなのでしょう。
 私は45分ばかり空を見上げていましたが、実際に眼にできたのは4個か5個に過ぎませんでした。何もしし座流星群が来なくても、そのくらい見上げていれば4個か5個くらいは流れるようにも思われます。

 ──こんなもんかぁ?

 というのが大方の人々の感想だったようです。もちろん、もっと田舎の、街灯などない方へゆけば、もっともっとたくさん見られたには違いありませんが。
 「シャワーみたいに、ぼっぼっと次から次へと降り注いでくるのかと思ったわ」
と、不満そうに言っている中年婦人。ジャーナリズムがイメージをあおりすぎたと見えます。
 「クライマックスを見てから帰ろう」
と言い合っている若者たちもいました。花火大会じゃないんだから、都合よくクライマックスなんか来ないって。
 それでも、人間、たまには夜空をぼーっと眺めるのもいいものだな、と思いました。

 なお、しし座流星群というのはこの時期になると毎年見られるもので、百科事典にも項目が載っています。特に派手なのが33年周期だということですが、この周期でも、それほどでもなかった場合も何度かあるようです。

(1998.11.18.)

【後記】この時の流星群は、午前零時から1時くらいがピークで、その時間帯に空を見ていた人は、相当たくさん流れ星を見つけられたようです。4時から5時頃がピークだろうという天文学者の予想は見事に外れてしまったのでした。

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