忘れ得ぬことども

「司馬遼太郎展」を見て

 日本橋の高島屋で開かれていた「司馬遼太郎展〜十九世紀の青春群像」を見てきました。私は司馬文学の愛読者で、1996年の2月に急逝されたときはかなりショックを受けたものです。
 「竜馬がゆく」あたりから入る人が多いようですが、私が最初にはまったのは大学時代に読んだ「項羽と劉邦」でした。これは今でも私の愛読書のひとつになっており、十数回読み返した新潮文庫はすっかりぼろぼろになっています。

 今でこそいっぱしの歴史愛好家を称し、「時のまにまに」などと題してたわごとを書きなぐっている私ですが、日本史に興味を持ち始めたのは大学に入ってからのことでした。高校時代の日本史の授業はとにかく面白くなかった。というより、先生がちょっと偏屈な人で、なんと明治維新から始めて、学年が終わる頃にはまだ大正デモクラシーまでしか進んでいなかったという、とんでもない授業だったのです。高校の頃はむしろ世界史が好みで(これも先生が面白かったため)、かの共通一次試験(私たちは5教科7科目を受けさせられたもっとも悲惨な世代です)でも、社会科の選択科目は世界史を選びました。
 日本史に開眼したきっかけは、現経済企画庁長官(^o^)堺屋太一さんの「歴史からの発想」という本と、「項羽と劉邦」から入った司馬さんの諸作を読んでからのことでした。そういったわけで、司馬遼太郎という作家には大変恩義があると思っています。
 作品数は膨大なので、全部は読んでいません。特に私はわりとつむじ曲がりなところがあって、あんまりメジャーなのは敬遠しがちなため、「竜馬がゆく」とか「国盗り物語」とか、代表作とされているものがまだ未読だったりします。しかしすでに司馬作品は本棚の1段を占拠し、まだまだ増えそうな雲行きになっています。

 司馬さんの歴史小説は、一貫して、「日本人とはなんだろうか」という問いかけの上に構築されているように思います。「項羽と劉邦」では中国を扱っていますが、これも、日本人が古くから古典として親しんできた「史記」を、日本人としての立場から再構成してみた、ような気がします。
 第2次世界大戦での愚行を厳しく批判しながらも、日本人とは本来そんなものではなかったはずだよ、原点に戻って考えようではないか、というような、歴史に対する温かい眼が流れていて、そのために多くの日本人に自信と勇気を与え続けてきた功績は測り知れません。誰とは言いませんが、読んでいるとつくづく日本人であることがイヤになるような、自国民や自国の歴史への愛情のかけらもない文章を書く「大作家」先生も少なからず居ることを考えると、われわれが同時代に司馬遼太郎という作家を持ち得たことは、実に素晴らしいことだったと思うのです。

 当然、ファンも大変多いわけで、特に管理職のような人たちがよく読んでいるようです。
 ──小説なんかあまり読まないけど、司馬さんの本だけは読む。
 というようなオジサンたちも数多く居ます。
 今日行ってみても、平日の昼間だというのに、会場はいっぱいで、人いきれがするほどでした。学生のグループや老夫婦なども目につき、その広範な人気が偲ばれます。
 書や絵などもずいぶんと描いたようで、たくさん飾られていました。達筆というのではないのですが、非常に風格のある書で、感心しました。そういえば前にNHK大河ドラマでやった「翔ぶが如く」の題字は作者自身の揮毫でしたっけ。

 しかし、それより感激したのは、自筆原稿です。何に感激したかというと、そのすさまじい推敲の痕にほとほと感じ入ったのでした。
 原稿の半分以上が消し痕になっており、その傍らに細かい字で訂正が書き込まれでいます。その訂正がまた消されて再び訂正され……
 最近のものは、消去や訂正に色鉛筆を使っていて、原稿用紙自体がとてもカラフルです。
 小学校の教科書のために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」など、いかなる小説にもまさった、鬼気迫るほどの推敲がおこなわれており、ほとんど最初に書いた文章などあとかたもないような状態で、私は目頭が熱くなる思いでした。最晩年に書かれたこの短い文章は、まさに次代を担う子供たちへの、血の出るような遺言だったのでしょう。インターネットなどで駄文を垂れ流している自分が情けなくなるほどでした。

 享年72歳だったのですから、特に早死にというわけではないはずなのですが、何しろあまりに突然の死で、ニュースで聴いて茫然としてしまったことを、昨日のことのように思い出します。

(1998.11.5.)

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