忘れ得ぬことども

小さなバスの旅

 東京都内で、いちばん長い距離を走っている路線バスをご存じでしょうか?
 答えは、都営バス「梅70」系統、青梅車庫−柳沢駅前31.9キロです。都バスはだいたい23区内を主なエリアとしているのですが、青梅という、東京の中では西の奥と言ってよいあたりまで伸びる路線があるのですね。そして、青梅周辺にいくつかの路線網を持っています。
 柳沢駅前というのは、西武新宿線西武柳沢駅のことで、保谷市にあります。保谷市は練馬区に隣接しておりますから、まあ都バスの主エリアと呼ぶべき23区のごく近くということになります。
 都下で、都バスが路線網を持っているのは青梅周辺だけで、他の市にはありません。最近こそ青梅市も、都心に通勤する人が増え、人口も多くなりましたが、以前は東京都内の辺境というような場所で、バス路線を経営しても儲からないと思われていたのかもしれず、ここに限って都バスが進出しているのはそのためと思われます。公営のバスが走らないと、ということだったのでしょう。
 「梅70」は、23区と、飛び地のような青梅地区とを結ぶ路線であったわけです。実際、私が子供の頃は、柳沢駅ではなく、中央線の阿佐ヶ谷まで通っていて、ここはれっきとした杉並区です。そして、青梅地区の路線網を管轄しているのは、「東京都交通局・杉並営業所・青梅支所」でした。青梅地区が杉並営業所の支所だというのが、なんとも奇妙な感じがします。東京周辺の住民以外にはよくわからないでしょうが(^_^;;

 今日は、そのバスに乗ってきました。青梅からではなく、柳沢から。
 特に用事があったわけではなく、なんとなくどこかへ行きたくなって、しかし遠出をする時間はなく、あんまりお金も使いたくないという状態でしたので、このバスを選んだわけです。
 新宿から西武線に乗って西武柳沢駅へ着くと、12時15分くらいでした。長距離だけあって、本数はあまり多くなく、1時間に1〜2本程度。12時00分というのを逃したようで、次は12時40分発でした。
 柳沢駅前から乗ったのは、私の他はお年寄りが3人。都内のバスは、70歳以上の人は無料パスが貰えるので、とにかくどの路線に乗っても老人だらけです。いずれもごく短距離で下りてしまいました。全線を乗り通す人など、時々私のような物好きがいる程度で、まず普通はいないものと思われます。
 すぐに青梅街道に出て、その先はひたすら青梅街道を走り続けます。

 新宿あたりの青梅街道をご存じの方は、ああいう道路がずっと青梅まで続いていると思われるかもしれませんが、田無市に入ると、いきなり道幅が狭くなり、片側1車線ずつになってしまいます。
 田無というのは古くからの宿場町で、朝に江戸を発つと、大体このあたりで泊まったらしい。そのため青梅街道の周辺も昔から建て込んでいて、あとから道幅を拡げるわけにもゆかなかったようです。震災の被害もここまでは届かず、戦時中に空襲も受けなかったので、新たな都市計画で道を作り直すこともできずに現在に及びました。それで道は細いし、妙に曲がりくねっていたりします。ちなみに、私は小学生時代、田無に住んでいたことがあります。
 乗客は、立ち客が出ない程度で結構居ましたが、前述の通りお年寄りが多いだけに、昭和病院でごそっと入れ替わりました。都内のバス路線は、病院を通ると客が入れ替わるという法則を憶えておきましょう(^_^;;

 小平市内はまた道幅も広くなりますが、そのうち東大和市に入るとまた狭くなり、市役所付近で新青梅街道と交差すると、なんとなく古街道の風格が感じられるようになります。由緒ありげな練り塀の家があったり。
 武蔵村山市瑞穂町を経て、新青梅街道と合流してからは、3車線の大きな道になります。ここからはなんだか杉並区あたりを走っているような錯覚にとらわれます。なお、新青梅街道というのは目白通りの延長で、本来の青梅街道(新宿通りの延長に当たる)とはあまり関係がありません。
 100個以上の停留所を経て、約1時間45分かけて、終点青梅車庫に到着しました。
 現在、青梅駅に乗り入れているバス会社は、都バスの他、西武バス西東京バスがあります。西東京バスはこのあたりにそれなりの路線網を持っていたはずなのですが、今日行ってみると、確か前は5系統くらいあったはずの路線が、1系統だけになってしまっていました。他の路線は採算が合わず、廃止されたようです。みんなマイカーで動くようになったんだろうしね。
 帰りは青梅線の電車。バスに較べると、やっぱり速い速い。
 生憎の雨の日でしたが、結構楽しめました。

(1998.9.7.)

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