忘れ得ぬことども

学校と冷房

 今日は気温はそれほどでもないにせよ、おそろしく蒸した一日でした。
 私は北国生まれでもあり、かなり肥ってもおり、暑いのが苦手です。暑いと活動力がはっきり減衰し、何をする気もなくなってしまいます。寒い方は結構強いと自負しているのですが……。
 それなのに、今日は冷房のない小学校の体育館で、地元の「第九を歌う会」の伴奏ピアノの仕事がありました。ピアノの前に坐って、汗をだらだら流し、ほとんど合唱指導者の声も耳に入らないような状態でぐったりしていました。終わってみると、シャツの背中はもちろん、ジーパンのお尻のところまでぐっしょり濡れているので、さすがにびっくりしました。
 世の中、これだけ冷房が普及しているのに、学校だけは依然として冷房なしというところが大多数なのはどうしたわけだろうかと思います。
 私の関係している合唱団のうち、上記の「第九を歌う会」を含めて3つまでが、学校を練習場所に使っていますが、いずれも冷房がなく、夏の間は全くやりきれません。

 職員室や事務室、保健室などだけは冷房が入っているところもあるようです。また、音楽室は場合によって入ります。場合によってというのは、まわりが住宅街だったりすると、音楽の授業で音を出す時、窓が開けられないので、そういうところでは入っていることがあるというわけです。
 もちろん、全国の学校が一斉に冷房を使い出すと、電力の消費が莫大なものになるであろうことは理解できます。エコロジーの観点からも、入れるべきでないという意見もあるでしょう。
 ただ、学校以外のほとんどの公共の建物では使っているわけで、莫大と言っても何%くらい増えるのかな、という気もします。最近では、夜間の、電力が余っている時間帯に氷を作り、その氷で日中の冷房を行う、というシステムもあるので、それを全面的に導入すればいいのではないでしょうか。
 そんな予算はとれない、という反論もあることでしょう。
 しかし、私の印象では、どこか精神論的な主張があるような気がするのです。

 つまり、学校は心身の鍛練の場であるから、冷房などという軟弱なものを使うのはけしからん、という想いが、なんとなく関係者の間にあるように思えてなりません。
 学校が心身の鍛練の場だなどという主張は、私には納得できませんが、それはおくとしても、子供たちの勉強の能率がもっとも上がるように配慮するのが学校経営というものの当然の姿勢だと思います。
 どこへ行っても冷房が効いている中、学校だけ暑苦しいために、生徒はその暑苦しさに馴れていないに決まっています。それは生徒の鍛え方が足りないなどという問題ではなく、誰だって昔の人に較べればこらえ性がなくなっているわけで、学校の先生や生徒だけに我慢を強いるのが、はたして妥当でしょうか。
 暑さに耐えきれず、机に突っ伏して朦朧としているのでは、勉強の能率が上がるわけはありません。
 少なくとも世間並みに快適な環境で、すっきりと授業を受け、心身の鍛練などというものがもし学校に求められるならば、授業以外のところで鍛錬すればいいだけのことです。授業は授業として、そこに授業内容以外の余計な狙いを込めるべきではないというのが、私の意見です。

(1998.8.2.)

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