忘れ得ぬことども

視線の話

 「どうして人の眼を見て話さないの?」
と言われたことがあります。
 言われてみれば、どうも私は人と視線を合わせるのが苦手なようで、すぐ眼を逸らしてしまう癖がなきにしもあらずで、これは良くないことではないかと思いました。人の眼を見て話せない人間というのは、あまり信用されないのではないでしょうか。それに異性にもがっかりされるかもしれません。眼は口ほどにものを言いと言いますが、ある場合には口以上にものを言うのが眼とも言えるのです。
 一流のプレイボーイになると、下手な口説き文句を使わずとも、視線だけで相手を落とせると言うではありませんか。
 別にプレイボーイを気取りたいと思うわけではないのですが、とにかくそう言われてから、私はなるべく人の眼を見ながら話すことを心がけるようにしました。が、なかなか身につかない。
 考えてみると、子供の頃から、親に
「人の顔をあんまりじろじろみるものじゃない」
としょっちゅう叱られました。そんなにじろじろ見た憶えはないのですが、なぜかやたらとそう言われたのです。そのため、話をする時も人の顔を見られなくなったのかもしれません。親がどうしてそんなことをやかましく言ったのか、いまだによくわかりません。
 もちろん、相手構わずガンを飛ばすというのはこれは喧嘩を売っているようなもので、そういうことで面倒に巻き込まれるのを怖れたのかもしれませんが、ちょっと薬が効きすぎたようです。
 それで、自分で心がけて、なるべく人の眼を見るようにしました。
 ところが、またも父親から叱責を受けました。

 ――何か言ったあとで、睥睨(へいげい)するように相手の顔を見るおまえの癖は、まったく鼻持ちならない。そんなことだから人にも好かれないのだ。

 睥睨というのは、「あたりをにらみつけて勢いを示すこと」なんだそうで、そんなつもりはまったくありません。人の眼を見ないと言っては注意され、人の顔を見ると言っては叱責されるのでは、一体どうしたらよいのかわからないではありませんか。
 しかし、「話す時に人の眼を見てはいけない」というのはどう考えてもおかしな論です。それではこちらの気持ちも意見も伝わるわけがないように思えます。
 多分、父もそういう意味で言っているのではないのでしょう。タイミングの問題かもしれません。私は相手の眼を見ながら話しているつもりだったのが、無意識のうちに、話している間は視線を下げていて、話し終わってから相手を探るように見る、ようなことになっていたのかもしれないのです。それがむしろ、人によっては「試されている」ように見えて、睥睨すなわち偉そうに見えないとも限りません。そうだとすると、やっぱり気をつけなければならないな、と反省せざるを得ません。
 これ、私だけの悩みでしょうか。
 似たような問題を抱えておられる方、いらっしゃいましたらご一報いただきたいなと存じます(^_^;;
 ところで、最近私が好きになった女性は、それこそ実に頻繁に人の眼を覗き込むひとで、かなりどぎまぎしてしまうのですが、平然と見つめ返しているふりをするのに苦労します。この場合視線を逸らしたら負けだという気がしています。まだ自分の気持ちを伝えてはいないのですが、とりあえず口で伝える前に眼で伝えておきたいようでもありますし、そうだとすると眼を逸らすことは、いわば戦わずして敗北するようなものですから。なんとか彼女の視線に平然と応えられる自分でありたいと思っています。 

(1998.5.14.)

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