忘れ得ぬことども

ピアノ教室の発表会

 今日は教えているピアノ教室の生徒たちの発表会でした。
 そこで教えはじめてかれこれ10年半になります。学生時代からの仕事です。
 ヤマハとかビクターとか、大きな組織に属してはおりません。しかし全くの個人教室というのでもありません。
 そもそもの初めは、ある酒屋の若奥様の趣味でした。
 その酒屋は、代々その土地に根を張っていて、地元の名士でもあり、かなりの地主でもありました。
 その若奥様というのが、まあ今で言うヤンママで、高校時代などはかなりブイブイ言わせておられ、20歳くらいで早々と結婚してしまわれたような方なのですが、なぜか音楽が好きで、しかもヤンママのイメージと相反することに、ピアノや合唱などが好きだったのです。
 音楽教室を開くのがずっと夢だったとかで、嫁ぎ先の酒屋の有り余る土地を利用して、教室用の建物を建てました。そこに、A楽器という、埼玉一円にチェーンを展開している楽器店の音楽教室を誘致しました。さらに、有名な児童合唱団の支部も誘致するという気合いの入れよう。
 ところがそのうち、A楽器の思惑と、彼女の思惑とが、すれ違うようになりました。楽器店としては、音楽教室を経営するいちばんの目的は、楽器を買って貰うことですから、どうしてもその態度が表に出ます。それに正直言って、送られてくる講師の質もあまり良くなかったのです。音楽的にどうのというより、2、3年ですぐやめてしまったり、教室の周りで恋人と逢ったり、どうも気に入らない行動が多すぎる。
 楽器店を通さず、自前の先生を雇って、自分の手で経営したい、と彼女は思いました。
 たまたまある行事で、上記の児童合唱団の伴奏者として私がピアノを弾きに行ったことがあり、私が同じ市内に住んでいることを知った若奥様は、あの人に来て貰えまいかと、合唱団の指導者に打診したのでした。
 というわけで、私はピアノ教室で教えるようになりました。その後先生ももうひとりふたり増えることになり、一応音楽教室の体裁は調いました。
 その後、彼女はもうひとつスタジオを作り、私たちのレッスンはそこで行うようになり、A楽器から間借りしているような状態ではなくなりました。
 以来、10年余りが経ちました。
 数年前、その若奥様は、ご主人、すなわち酒屋の若旦那別れてしまいました。この旦那もなかなかやり手で、持っている土地に全国的なレコード店チェーンの支店を建てたほか、店の主力をセブンイレブンのフランチャイズに切り替えてかなりの成功を収めています。
 音楽教室はもっぱら奥様の好みで運営されていたため、一時はどうなるかと心配しましたが、幸い存続することができました。旦那としても、別に教室からの収入はあてにしておらず、一種のメセナ(企業文化活動)のように考えてくれているようです。
 1年半に一度くらいの割で子供たちの発表会を開催し、今日はその第7回目でした。最初の頃からの生徒もまだ残っていて、初めはほんの小さな、かわいい小学生だった子が、すでに高校生です。時の経つのは早いものだなと思います。私もその分、齢をとったわけで、微苦笑を禁じ得ません。

(1997.12.7.)

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