忘れ得ぬことども

餃子といもフライ

 人が大勢出かける時に一緒に出かけるなどというのは、自由業の人間としては愚の骨頂という観もありますけれども、マダムのスケジュールがわりと一般人とシンクロしているため、やむなくゴールデンウィーク中に一泊旅行に出かけています。今年(2010年)もそのつもりでいたのですが、年明け以来のものすごい忙しさがようやく一段落つき、前方の展望が少し見えてきた頃には、もうゴールデンウィークまで一週間足らずという時期で、どこへ行くにもろくに宿が取れません。と言うより、目の玉が飛び出るほど高額なプランしか残っていないのでした。
 マダムのほうも、この9日にちょっとした演奏会を企画していて(私も少々関わっていますが)、その準備に手がかかるということで、今年はやむなく、日帰りでどこかへ行ってこようということになりました。
 日帰り旅行を私が考えると、例えばJR東日本のホリデーパスを入手し、範囲内の鉄道をできるだけ乗り潰そうというような発想になってしまうのですが、マダムはそのあたり明快で、

 ――宇都宮餃子を食べに行きたい。

 とのたまいました。
 宇都宮に往復するだけならわけないことで、家の近くを通っている東北線の電車に乗れば、乗り換え無しで行ってくることができます。ただ、それだけではどうも面白くない気がして、何かオプションをつけたいと思いました。
 宇都宮からバスで益子へ出て、連休中開催されているはずの陶器市を覗いたのち、真岡鐵道→関東鉄道→つくばエクスプレスと乗り継いで帰ってくるとか。
 両毛線上毛電鉄で、前橋にあるマダムの祖父母のお墓参りをしてくるとか。
 いろいろ考えて計画を立ててみたのですが、どうも時間が中途半端だったりしてうまくゆきません。
 「餃子の他に何かない?」
 とマダムに訊ねると、
 「いもフライを食べたい」
 とこれまた明快きわまる答えが返ってきました。食べることしかないんかい!
 私は知らなかったのですが、最近……なのか以前からなのか、栃木県では芋を揚げて串に刺したものがえらく流行っていて、高校生などオヤツ代わりに食べているのだとか。それを栃木出身の芸人が大いに喧伝していて、それを見ていたマダムが食指を動かしたということらしい。
 それで調べてみると、そのいもフライの発祥?本場?は佐野市のようです。厄除け大師で有名な佐野は、いつの頃からかラーメンでも定評を得るようになっていましたが、こんな名物もあったとは驚きです。
 それではというわけで、宇都宮で餃子を食べ、次いで佐野へ移動していもフライを食べる、という行程ができあがりました。

 昼食時に宇都宮に着こうと思って調べると、ちょうど12時ちょうどに到着する湘南新宿ライン経由の快速電車がありました。グリーン車以外は全部ロングシートという、旅情のカケラもない電車ですので、多少なりとも旅気分を出すべく、奮発してグリーン車に乗ることにしました。この線のグリーン券は、乗車してからでも買えるのですが、乗車前にプラットフォームでSUICAに登録するとやや安くなります。それでマダムの分と私の分と、電車が入線してくるギリギリの時間で登録作業をおこない、大あわてで乗車したところ、しばらくマダムのSUICAが見当たらなくて狼狽しました。いろんなものを手に持っていたので、裏返った私のパスケースの背に挟まっていたのに気がつかなかったのでした。
 落とし物が無かったことに安心してグリーン車へ向かってみると、こはいかに、満席でデッキに立っている人も居ます。普通電車のグリーン車は指定席でも定員制でもなく、普通に自由席で、従って坐れないこともあり得るということは知っていましたが、実際坐れない目に遇うとなると腹立たしいものです。坐れないことがあるにしてはグリーン料金が高すぎるではないかと思います。
 上野発の東北線電車でしたら、小山くらいまで坐れないこともあり得ましたが、幸い湘南新宿ラインでしたので、横浜とかもっと遠くから大宮へ行くという客も少なからず居り、大宮でふたり並んで坐ることができました。私らも、小田原あたりからグリーン車に乗って赤羽で下りたことがあります。上野から赤羽や大宮までグリーン車に乗るなんてことはまず考えられませんが。
 もっとも、終点の宇都宮まで行く客も決して少なくなく、かなりの人数が宇都宮のプラットフォームに下り立ちました。実は日帰りの決断をする前、宇都宮駅附近の宿をずいぶん探したのですが、ほとんどことごとく満室で驚いたものです。宇都宮に来る人がそれほどに多いのかと思いました。たぶん、日光とか鬼怒川とかの宿が先に埋まり、そういう大観光地に泊まれなかった人々が、次善の策で宇都宮市内に泊まるというような現象があったのではないでしょうか。

 マダムのお目当ての餃子店は最初から決まっていて、「みんみん」という高名なチェーンの、駅の東口に新しくオープンしたばかりの店舗でした。彼女は十数年前、「みんみん」がそれほど高名でなかった頃にそこの餃子を食べ、すっかりファンになったとのことです。その後この店はぐんぐんと手を拡げ、市内に十あまりの支店を持つチェーンに成長しました。駅の改札を出ると、柱にいきなり「宇都宮みんみん 駅東口店」の表示が出ています。
 構内の土産物屋をちらりと覗いてからそちらへ行くと、再開発中とおぼしき東口側に、妙にかわいらしい建物がありました。それがお目当てのみんみんらしい。
 ただし、階段を下りると、まずは「宇都宮餃子館」という別の餃子屋の店がありました。何やらオープンカフェみたいな造りで、敷地の入り口のところでおじさんが試食の盆を持って客を呼んでいます。みんみんに流れる客を少しでも奪おうという魂胆が見えます。われわれは試食だけして、もちろん寄らずにみんみんへ。
 こちらにもいくつもパラソルが立って、一見オープンテラスかと思いましたが、なんとみんな待っている客です。別棟の待合室まであるのですが、そこに入りきらないので、パラソル付きのテーブルを並べているのでした。店の入り口へは直接行けず、ロープが張ってあり、そこに名簿を持った男性が陣取っていました。他にも何人か、制服を着た女の子たちがうろついており、店に近づくと、
 「お食事ですか?」
 と訊いてきました。
 「ただいま1時間半から2時間待ちとなっておりますので、お名前をいただいて、1時間15分ほどしたらお戻り下さい」
 これには仰天。私の当初の予定では、14:30の電車に乗って佐野へ向かうつもりでしたが、最悪で2時間待たされたとしたら、全然間に合いません。餃子を食べるくらいなら、2時間半もの滞在は長すぎるのではないかと思っていたほどでしたが、とんでもない話でした。
 他の支店に行っても状況は似たようなものだということでしたので、名前を告げてその場を一旦後にしました。まあ、みんみんの餃子を食べるというのが主目的だったわけなので、やむを得ません。
 おなかが空いてきたので、餃子を食べる下地作りにラーメンでも食べたいと訴えるマダムをなだめながら、西口側の商業地域で時間を潰しました。マダムはこれまた栃木県限定の「レモン牛乳」「レモンウインナー」なるものを買いたいという要望があり、それらをあちこちの店で探したのでした。レモン牛乳は普通にコンビニなどでも売っていましたが、レモン牛乳をツナギに使用したというレモンウインナーのほうはなかなか見当たりません。その存在自体、つい数日前に家の近くのスーパーになぜか入荷していたので知ったばかりです。
 結局レモンウインナーは見つからず、ただマダムがある店でいもフライを発見しました。
 「これ食べる」
 「あとで佐野で食べるのに」
 「佐野のいもフライと較べてみたいから
 まあ、見ると大して大きなものでもないし、確かに空腹を覚えてもいたので、一本だけ買い求めました。私はいもフライという名前から、札幌中山峠でよく食べた揚げイモ(こちらは実のところ私の大好物だったりします)を想像していたのですが、衣にパン粉を使ってソースに浸してある点が違っていました。イモの切れも小さいようです。ちなみに私の考えていた揚げイモの衣は、アメリカンドッグのように小麦粉主体で、たぶん小イモを切らずに丸ごと揚げていると思われます。
 みんみんの待合所に戻り、屋外のテーブルでいもフライを食べました。もうすっかり冷めてしまっているので、味を云々するほどのこともありませんでしたが、まあ手軽なスナックとして好まれているのはわかります。

 さてそれからほとんど1時間近く、名前を呼ばれるのをぼーっと待っていました。最初のうちはじりじりしていましたが、だんだんとのんびりした気分になってきました。こんな具合に、なんにもしないでぼーっとしている時間というものを、久しく持たなかったような気がします。年明けから、大量のオーケストレイションの仕事(実はクライアントの了解を得て中断しているもののまだ終わっていない)やら、恒例の板橋オペラの編曲の仕事やら、それに加えて急遽頼まれた音楽劇団熊谷組の公演でのピアノ弾きの仕事(当日だけではなく、もちろん20回近く稽古にも出なければならなかった)やら、今も進行中の合唱編曲の仕事やら、とにかく次から次へと押し寄せてきて、場合によって仕事が手につかない時でもそれらが気にかかって焦りばかり覚え、ほとんど休息した気分になれなかったのでした。
 天候が荒れまくった4月中とは打って変わって、空は申し分なく晴れ、晩春の陽光がやわらかく降り注ぐ中、なんにもしないで屋外に坐っているのは、なんとも贅沢な時間ではないかと思い始めました。
 結局、最初に記名してから1時間50分ほど、待合所に戻ってきてから55分ほどして、ようやく名前を呼ばれました。
 みんみんのメニューはすこぶる簡略で、「焼き餃子」「揚げ餃子」「水餃子」それにライスがあるだけです。餃子はどれもひと皿6個載って240円。マダムは
 「前は200円だったけど」
 と言いましたが、十数年も経っているのでは値上げも仕方がないでしょう。この「焼き」「揚げ」「水」をひと皿ずつ頼むのが通なんだそうで、そのため家で餃子を作る時もマダムは「焼き」「揚げ」「水」を揃えたがり、けっこう面倒くさいことになります。
 ともあれ3皿18個で720円とはずいぶんリーズナブルで、みんみんがこれほど勢力を伸ばしたのも、この廉価さによるのでしょう。もちろん味も、人気だけのことはありましたが。
 もっとも時々お手つきもあるようで、相席で隣に座っていた初老の夫婦が頼んだ焼き餃子と揚げ餃子は、皿になぜか5個ずつしか載っておらず、早速クレームがついていました。あとで揚げ餃子を2個持ってきましたが、本来は焼きと揚げを1個ずつ持ってくるべきだったでしょう。

 私たちが食べ終わる頃には、ぼちぼち空席もあるようになって、外の待合所にも人が少なくなっていました。時刻はもうじき14時半というところで、このくらいの時間帯に来れば待たずに入れたと思われます。私たちはいちばん混んでいる時間に来てしまったのでした。
 急げば予定していた14:30の電車に乗れそうでしたが、マダムがもう少し宇都宮の街を歩いてみたいと言うので、40分ばかりあとの電車に乗ることにしました。小山で乗り換える両毛線の電車の都合です。
 駅前の少しごちゃごちゃした路地をへめぐってから、大通りに出て1キロばかり歩いて往復しました。それにしても餃子店の多いこと。いつ頃からこんなことになっていたのだろうかと思います。中学生の頃、よく知りもしない宇都宮を舞台にした学園マンガのようなものを描いていたことがあり、一応一度だけ「取材」にも行ったのですが、その頃――約30年前――は特に餃子店だらけということもなかったような気がします。
 もちろん餃子店だけということはないのですが、マダムはイタリア料理店を見ると
 「餃子パスタとかメニューに加えればいいのに」
 そば屋を見ると
 「餃子そばを作るべき」
 喫茶店を見ると
 「デザート餃子も作れるんじゃない?」
 と大変なテンションになっていました。
 「それでこそ、統一感のとれた町並みというものよ」
 だそうですが、宇都宮の商工会議所の皆さん、ここをご覧になっていたらご一考下さい。

 15:11の電車で小山まで戻り、両毛線に乗り換えましたが、これがえらい騒ぎでした。
 小山着は15:37、両毛線の小山発は15:39ですので、充分乗り換えられるように思えます。ところが、小山駅が近づいて車内アナウンスを聞いていると、「両毛線の乗り換え」は16:26と言っているではありませんか。15:39の電車は乗り換え相手として想定されていないらしいのです。
 小山駅構内に入線して、その理由がわかりました。と言うか私自身、前に体験していたはずのことをすっかり忘れていたのですが、小山駅の両毛線の乗り場というのは、他の線からえらく遠い場所にあるのです。渋谷駅の埼京線乗り場ほどではありませんが、駅としてほとんど独立しているような位置関係なのでした。2分ではまず乗り換えは困難です。
 とはいえ、切符は短距離で途中下車前途無効ですので、これを逃すと47分間小山駅の中で過ごさなければなりません。宇都宮発を1本前にすれば良かったと思いましたが、そうすると20分前の電車となり、街を歩くようなことはできなかったでしょう。
 とにかくダメモトで走りました。コンコースを突っ切り、両毛線の乗り場に駆け下りると、発車ベルが鳴り続けています。同じフレーズを繰り返していますが、これが途切れれば電車は出てしまいます。階段を下りてからも電車の停車位置までは無意味なほどに遠く、これは無理かと思いましたが、幸い発車を待つ車掌の眼に止まったようです。車掌が眼に止めた以上、乗せずに発車するということは、この列車頻度の路線ではまずないでしょう。
 迷惑そうな表情を浮かべる車掌の脇をすり抜けて、まず私が、続いてマダムが車内に駆け込むと、電車はすぐに発進しました。
 次の思川駅で、対向列車とのすれ違いのためしばらく停車しました。こんなことなら小山発をもう少し遅らせてくれれば良いものをと歯がみしました。

 佐野までは30分あまり、16:12に到着しました。両毛線は何度か全線踏破したことがありますが、佐野で下りたのは初めてです。ガラスのドームのようなものがついた、妙におしゃれな駅舎でした。マダムは
 「なんか、モンペリエの駅に似てる」
 と言いました。とにかくフランス大好きな彼女は、モンペリエにも滞在したことがあります。
 さて、いもフライです。私はネットで調べて、「さの いもフライマップ」なるものを発見し、プリントアウトして持ってきていました。なるほど沢山ありますが、大雑把なプランとしては、東武鉄道で佐野駅の隣になる佐野市駅まで歩き、そこから東武電車に乗って帰るつもりでしたので、そのルートに近い店を選びます。
 まずは駅近くの「飯島商店」なるところでいもフライが入手できるらしいので、歩き始めました。どうもマップの縮尺が思ったより小さいらしく、予想したよりも長く歩いてその商店を発見しました。「いもフライ」と大書された黄色い幟(のぼり)が店の前に立っており、これは他のところでも同様でした。
 小さくて地味な食料品店で、奥におばちゃんがひとり坐っていましたが、いもフライを頼むと立ち上がって、戸口のそばの調理台にやってきました。
 すでに茹でてあるらしいイモの切れを串に刺し、衣をつけて、油の入った鍋にしばらく漬け、引き上げるとこんどはソースの入ったボウルにしばらく漬け、2本の串を次々に渡してくれました。その手際の良さに、マダムも私もすっかり感服しました。
 熱々なだけでも、さっき宇都宮で食べたものとは雲泥の差がありましたが、衣のつけ方が絶妙と言って良く、歩き食べしながらふたりでしきりに歓声を上げました。
 しかも1串60円という手頃さです。マダムがテレビでくだんの芸人から仕入れた情報では、大体値段は40〜70円ということでしたが、まさにドンピシャでした。

 一本だけでは物足りないので、他の店にも足を伸ばしました。次に近いのは、厄除け大師の向かいにある観光物産館でしたので、行ってみました。確かに例の幟が立っていましたが、見るとなんと200円で、途端に食べる気を失いました。観光客目当ての場所とはいえ、これはぼりすぎではないでしょうか。
 次に狙った「半久食品」では、おばちゃんはやたらと愛想が良く、
 「学校帰り?」
 などと40代と30代の夫婦相手に信じがたい質問をしてきたりしましたが、なぜかいもフライはやっていませんでした。そういえば幟も立っていなかったようです。
 歩いているうちに佐野市駅に着いてしまいました。駅の時刻表を貰い、もう少し足を伸ばすことにしました。マップによると「IMOZO」なる店が近くにあるようです。
 ところが、これが遠いこと。ダウンロードしたいもフライマップは、このあたりになるともう縮尺がめちゃくちゃになっているようでした。マダムが観光物産館で貰ってきたラーメン屋マップと突き合わせないと、どの辺を歩いているのかもよくわかりません。
 数百メートルと思ったのが2キロ近く歩いて、ようやく「IMOZO」に着きました。店と言うよりスタンドと言うべきなような店舗で、いもフライしか売っていないようです。ここでは1串80円でした。
 もう少し歩くと、うちの近くにあるのと同じチェーンのスーパーがあり、なんだかひどく懐かしいような気分で立ち寄りました。なんとここに、宇都宮で探して見つからなかったレモンウインナーが置いてあり、マダムはご満悦でした。
 もう一回だけいもフライを試したのち、夕食としてラーメンを食べてから帰ることに話が決まり、スーパーのイートインコーナーでラーメン屋にも当たりをつけて、再び歩き出しました。

 「くりた」という弁当屋で最後のいもフライを入手。ここは60円でしたが、売れ筋の弁当には「いもフライ付き」という注記があったので、思わず笑ってしまいました。
 ラーメン屋は、最初に考えていた店はもう閉店していましたが、もう一軒は開いていて、佐野ラーメンならではの手打ち麺を堪能しました。
 すっかり暗くなった道(街灯が少なくて本当に暗い)を歩いて佐野市駅へ。佐野に来てからかれこれ7、8キロくらい歩き回ったように思えます。
 館林に出て、特急「りょうもう」に乗り換え、帰宅しました。
 考えてみると、グリーン車や特急に乗ったため、今日の交通費はふたりで1万円近くかかっています。それに対し、目的であった餃子といもフライ、それにラーメンまで含めても、ふたりでせいぜい2600円というところです。こういうのを「粋」と言うのかどうかよくわかりません。何しろB級グルメな日帰り旅行でした。  

(2010.5.3.)

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