忘れ得ぬことども

作品展「この歌のとどくかぎり」

I

 2009年の7月23日作品展をやることになりました。
 作品展というのは、過去に一度だけやったことがあります。1990年の5月に、当時参加していた混声合唱団誠ぐみが、定期演奏会のひとつとして、私の作品だけによる演奏会を開いてくれたことがありました。
 合唱団の演奏会ですので、その時のプログラムは合唱曲ばかりでした。高校・大学時代に書いた単発の合唱作品「道」(現在つけている作品番号ではOp.2)と「序の歌」(Op.8)、それから「二つのモテット」(Op.23)を第一ステージとし、第二ステージでは『神無き民のミサ曲』(Op.20)を演奏しました。後半はコーロドラマ『鬼子母の園』(Op.24)を上演しました。そのくらいの時期で、すでにひと晩の演奏会として成り立つだけの合唱作品があったことにわれながら驚きます。
 その時は「この歌をあなただけに」というタイトルをつけました。当時としてはやや歯が浮くというかハズカシイというか、いささか赤面モノだったのですが、今はすっかり面の皮が厚くなっているのか、なかなか良いタイトルだったのではないかという気がします。それで、今回の作品展にも、「この歌のとどくかぎり」というタイトルをつけることにしました。「この歌」という言葉にひっかけて、あとはひらがなだけ続けてタイトルにする……というつけ方はなかなか便利そうで、今後も作品展を開く機会があれば同じパターンで命名しようかと思っています。「この歌におもいはせて」「この歌とあゆみともに」……うん、いろいろ出来そうだ。

 今回の作品展は、「ハートフェルトコンサートVol.88」というタイトルもついています。これは境企画という社団が運営しているコンサートシリーズで、主に小編成アンサンブルや独奏・独唱などを扱っています。その一環として私の作品展をやることになったわけです。
 代表の境新一さんとはずいぶん前からの知己で、ほとんど家族ぐるみの付き合いをしています。ご本人より、むしろ奥様でソプラノ歌手の松永知子さんとの関係が先にあったのでした。今は松永さんは退会しましたが板橋区演奏家協会の仲間でもありましたし、女声合唱団コーロ・ステラを共に指導する間柄でもあります。そのコーロ・ステラには私の母が入っており、母はまた個人でも松永さんに声楽のレッスンを受けたりしているのでした。そういったところから、ご亭主の境さんとも親しくなったわけです。
 境さんはもと銀行マンで、今は大学で経営学を教えている人ですが、区民合唱団に入って歌っていたところ、ヴォイストレーナーに来ていた松永さんと知り合って結婚されました。それ以来、奥様の売り出しも兼ねて演奏会企画を始め、それがすでに87回を数えることになりました。始めて12年くらいだそうですから、年7回以上というペースです。私も演奏家協会でコンサート企画に携わったりしていますので、これがいかに大変なことかというのはよくわかります。
 何が大変と言って、出演以来交渉や、印刷や発送といった事務仕事もさることながら、みすぼらしくないだけのお客をその都度集めることこそいちばん神経を使うところです。宣伝にかなりの力を注がなければならないことは演奏家協会でもわかっているのですが、残念ながら音楽家の悲しさ、その辺の営業力はお寒いもので、毎回出演者にノルマを課してチケットをさばかなければならない状況になっています。
 その点、境さんは銀行マン上がりだけに営業はお手の物で、いろんな雑誌に広告を載せたり、評論家を呼んだり、活発な宣伝活動をおこなって、ハートフェルトといえばけっこう知る人も多いシリーズとなりつつあります。もちろん、最初から順調であったとは思いませんが、とにかく続けてゆくことによって軌道に乗ってきたというところでしょう。

 ハートフェルトコンサートの一環で私の作品展をやろうという話は、何年か前から出ていたのですが、なかなか実現しませんでした。
 ひとつには、私自身がなかなか踏み切れなかったという点があります。
 正直な話、作品展というのは、当然ながらひとりの作曲家の作品、従って多かれ少なかれ同工異曲な作品を蜿蜒と聴かされることになるわけです。これは、その作曲家としては名誉なことですが、聴客にとってはかなり苦痛なのではありますまいか。私も他の作曲家の個展を聴きに行って、いささかうんざりしたことが少なくありません。

 ──またこの手の曲か……

 と思ってしまいます。
 自分では、いろいろな実験もおこない、新機軸も求め、次々と違った曲想の作品を創っているつもりではありますが、他人から見るとやはり似たようなものに聞こえるのではないだろうかと危惧します。実際のところ、私の作品については、

 ──MICの曲だってことは、聴くとすぐわかるね。

 と言われることも多いのでした。作品に明確な個性があるという意味なら、表現者として喜ばしいことではありますが、どれもこれも似ているという意味だとするとゆゆしきことです。いや、似ていたとしても個性があるに越したことはないのですが、それで何曲も並べるというのはどうなのか。そしてさらに厄介なことに、自分ではどこが「すぐわかる」点なのか、いわば「MIC節」というのがあるとしてそれがなんなのか、さっぱりわからないという怖さがあるのでした。
 これは私だけの話ではありません。星新一氏がエッセイにこんなことを書いていたことがあります。

 ──これから作品を書く人は大変だと思う。こう展開すれば小松(左京)さん、こっちへ転がれば筒井(康隆)さんの作風になってしまう。……だが、「こうすれば星さん」というのはどうしてもわからない。知らぬは本人ばかりなりだ。

 星新一氏の小説の個性など、誰が見ても一目瞭然だと思いますし、文体や発想を真似たらしい後続作家も枚挙にいとまがありませんが、その星氏にしてこうなのです。個性などというものは、本人にとっては全然意味のない、見ようとしても見えないものなのかもしれません。
 ともあれ、私の作品を何曲も並べられて、お客は愉しめるものなのかどうか。ベートーヴェンショパンならいざ知らず、ほとんどの人はどの曲も聴いたことがないのです。
 私の作品だけだった催しが無いわけではありません。オペラ『豚飼い王子』と『葡萄の苑』は単独公演でしたので、当然ながらお客は私の作った音楽だけを聴くことになりましたが、これはまた別の話でしょう。そんなわけで、作品展の開催には二の足を踏んでいたのでした。

 それでも、機が熟したというのか、今年明けくらいにいよいよ開催が決まりました。
 名古屋で初演したモノドラマ『愛のかたち〜パラクレーのエロイーズ〜』Op.65をメインステージとして持ってくることは比較的早く決めました。ドラマ性のある作品のほうが、聴いている側としては気持ちを入れやすいでしょうし、『エロイーズ』はまだ東京では上演していませんので、一度やっておきたいと思ったのでした。
 そうすると、楽器編成はピアノ、フルート、ヴァイオリンとなります。実は弦楽四重奏曲も再演したかったのですが、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという必要楽器を他の作品で使う機会が無さそうなので、これは断念しました。マリンバのためのソナチネなどもやりたかったものの、これも同じ理由で外さざるを得ませんでした。好きなだけ演奏者を使って良いわけでもありませんので、『エロイーズ』をやる以上、フルートとヴァイオリンを使った作品で他のプログラムを埋めなければなりません。
 なお「エロイーズ」のソプラノには、『孟姜女〜巨いなる墓標〜』を初演して貰った水島恵美さんに頼むことをすぐ決めました。またフルートは、音楽劇団熊谷組でも何度も共演している吉原友惠さんに頼みました。二人とも板橋区演奏家協会のメンバーで、気心が知れている上に顔を合わす機会も多いので、何かとやりやすいのでした。この曲のピアノはまあ私が弾くとして、問題はヴァイオリンです。最近付き合いのあるヴァイオリニストは、上手下手は別としても、こういうタイプの曲にはあまり向いていないような人ばかりです。そこで学生時代にいちど私の曲を弾いて貰ったことのある、最近ではけっこう名前を見るようになったヴァイオリニスト──ここに名前を記すのは遠慮しますが、作品リストを見ればすぐわかるかな(^_^;;──に頼んでみたのですが、残念ながら奉職している学校の試験があるとかでダメでした。ダメなのがわかったのがかなり差し迫ってからだったので、少々焦りましたが、境さんの紹介で松村一郎さんにお願いすることになりました。

 それと別に、せっかくなので松永さんにも一ステージくらい歌って貰おうというわけで、歌曲集『幼年幻想』Op.44を入れることにしました。松永さんの声は「エロイーズ」のようなものよりは歌曲に向いていると思われます。『幼年幻想』は新潟県見附市で全曲初演していますが、東京では部分的に歌われただけで、全曲演奏はしていませんので、この機会にそれもやってしまおうと思いました。このステージのピアノは、松永さんがいつも伴奏して貰っている笈沼甲子さんに頼みました。笈沼さんはコーロ・ステラのピアノも弾いてくれているので、これまた気心が知れて顔を合わす機会があります。
 結局、フルート曲としては高校生時代の作品『無伴奏フルートのためのパルティータ』Op.3を、そしてヴァイオリン曲としては『Nostalgia』Op.61を選び、さらにわが伴侶マダム・ヴィシソワーズの出番として『気まぐれな三つのダンス』Op.26を入れることにしました。この5曲で全部です。
 5曲とは、作品展にしては少ないと思われそうですが、『エロイーズ』は20分以上、『パルティータ』と『幼年幻想』はそれぞれ18分近くかかり、7〜9分ずつの『三つのダンス』『Nostalgia』を加えると、演奏正味時間だけで70分以上となり、ひと晩の演奏会としては充分です。こうしてみると、あらためて私は長い曲を沢山書いているなあと思います。
 うまいことに、作曲時期がかなり違っているので、それなりの曲想の差が出ているようです。『パルティータ』は17歳、『三つのダンス』は26歳、『幼年幻想』は31歳、『Nostalgia』は39歳で『エロイーズ』は40歳の時の作品です。
 あえて新作や初演作品は入れないことにしました。新作を書いている時間が無かったというのもひとつの理由ですが、久しぶりの──ほとんど初めてと言っても良い──個展に際し、すでにどこかで演奏されて、自分の耳で確かめてある曲だけを並べようと思いました。聴かされるお客のことを考えれば、これはむしろ良心的態度であると考えています。
 それでいて「東京初演」であるとか「まともなコンサートでの初演」であるとかの曲が多く(東京のまともなコンサートでやったことがあるのは『三つのダンス』だけ)、これは純粋に演奏会としてなかなか面白いのではないかと思えてきました。

 『三つのダンス』は『エロイーズ』と同じ、ぶんげんさんのリサイタルで小杉裕子さんにより初演されました。作曲から14年後のことで、場所は前述の通り名古屋です。その後、マダムがある小さなジョイントコンサートで、原宿アコスタディオで演奏していますので、一応今回が3回目になります。
 『パルティータ』はそのぶんげんさんが、作曲後21年を経て初演してくれましたが、場所はやはり名古屋で、しかもオフ会でのことでした。まともなコンサートとしては今回が初めてになります。
 『Nostalgia』はだーこちゃんの委嘱で書いた曲で、初演はだーこちゃん自身の結婚式で、だーこちゃん自身のピアノにより為されました。ヴァイオリンはマルグリット・フランス女史でした。実はその時にこの曲を聴いて、マダムが私に着目して話しかけてきたという経緯があり、私にとっても忘れがたい作品となりました。その後マダムと私の結婚式で、マダムのピアノにより、チェロ版で演奏したことがありますが、これまたまともなコンサートでは今回が最初です。
 『幼年幻想』は前述の通り、見附で初演されました。見附は詩人・矢澤宰の郷里で、言ってみれば矢澤宰の顕彰事業の一環として委嘱され、初演された観があります。中の数曲を別の人が歌ってくれたこともありますが、全曲通しての演奏は今回が2度目です。
 そして『エロイーズ』が2度目。今までのモノドラマを見ると、『蜘蛛の告白』も『孟姜女』も2回以上演奏されておりますので、『エロイーズ』もぜひ再演したいと思っていました。

 曲間には、ふんだんにオシャベリを入れようと思っています。
 作曲者が作品について語りまくるというのは、なんだか言い訳っぽいようでもありますが、ほとんどの曲に耳馴染みのないお客にとっては、そういう解説があったほうがわかりやすいと思います。
 前に、20世紀の作品ばかり集めて、なおかつマニアックな客を対象としないコンサートを企画したことがあります。基本的には「現代音楽」としては耳に馴染みやすい曲を選びましたが、それだけというのもちょっとユルすぎますから、シュトックハウゼン「友情へ」という曲を入れました。クラリネットかサクソフォン一本だけで奏する、いかにもな現代音楽でしたが、お客が肉離れを起こさないよう、演奏の前にできる限りの解説をして、聴きかたや聴きどころをこと細かに説明しました。仲間内からは「話、なげーよ」という非難の声も上がりましたが、お客の反応は上乗で、

 ──難しいと思っていた現代音楽が、とてもわかりやすく聴けて面白かった。

 という意見が多く寄せられたのでした。それ以来私は、馴染みのない曲をプログラムに挙げる場合は、多少しつこくても、当方の美意識を犠牲にしてでも、事前の説明を充分におこなうべきだという意見に傾いています。現代音楽がつまらないと思われているのは(私の持論である「九分九厘は本当につまらないから」という点は別としても)、聴き手にある程度の予備知識や素養が必要であるのに、送り手がそれらの提供を怠っているからです。シュトックハウゼンは、彼の曲が難解だという意見に対し、「聴き手も勉強すべきだ」と答えていたそうですが、ただ「勉強すべき」と言われても、普通の人は途方に暮れるばかりでしょう。

 ──曲については曲そのものを聴いて判断してくれ。余分な言い訳など見苦しい。

 という高踏的な(?)態度は確かにカッコいいのですが、いささか不親切というものでしょう。今回は私はあえて、カッコ悪いことをしてみようと思う次第です。

 境さんのおかげで、運営的な面にはほとんど気を遣わずに済んでいます。これはありがたいことで、自主企画であればそこがいちばん大変なところです。
 「レッスンの友」という、ピアノの先生向けの雑誌があるのですが、これにインタビュー記事を載せる段取りもつけて貰いました。編集部の人相手に好き勝手なことをしゃべりまくっただけですが、何やらカッコ良くまとめてくれました。
 それから、フリーペーパーのコンサート情報誌「ぶらあぼ」にも載せて貰いました。イベント情報というだけでなく、ちゃんと記事としてカラー写真付きで載っていたから驚きです。
 この辺、境さんの助力無しではとても無理だったでしょう。これらの宣伝がどれほど功を奏するか、それは蓋を開けてみないとわかりませんが……
 まだ空席は沢山あると思いますので、7月23日(木)19時より、オペラシティ・リサイタルホールで開催される「この歌のとどくかぎり──猪間道明作品展──」、お時間があればぜひご来聴下さい。

(2009.7.16.)


II

 作品展にご来聴下さったかたに心より感謝を申し上げます。残念ながらネット経由での問い合わせなどはありませんでしたが、200名近い入場者で、見た感じは大入り満員に近くなりました。
 私個人の動員力(親なども含めて)というのは、今のところ大体150人くらいかな、と思っておりますが、だとすると今回は50人くらいの、私の存じ上げないお客様がいらしたことになります。シリーズとしてのハートフェルト・コンサートの常連客とか、主宰者の境新一さんがあちこちに宣伝して下さったことの効果が、そのくらいの数になって現れたということでしょう。150人くらいの、私に「ついて」下さっているお客様はもちろん大事にしなければなりませんが、むしろ残りの50人くらいのお客様の感想などを聞いてみたいところです。

 当日は14時少し前に会場のオペラシティ・リサイタルホールに入りました。
 特に演出などがあるわけではない、普通の演奏会なので、ゲネプロ(舞台での通し稽古)というほどのことはやりません。3時間半ほどの時間をとってホールリハーサルをおこなうだけです。今までスタジオなどでリハーサルをやってきただけなので、実際のホールに入った時には響きかたが違ったりします。それでバランス調整などをしなければなりません。また、曲によってピアノの位置が違ったりしますので、それをステージマネージャーと打ち合わせる必要があります。
 私自身が演奏するのは最後の『愛のかたち〜パラクレーのエロイーズ〜』だけですが、その打ち合わせがあったり、客席にいて音を聴いたりしなければなりませんので、わりと忙しいのでした。そうこうするうち、パンフレットにチラシを挟みに来る人が到着したりして、その応接もしなければなりません。

 なんだかあっという間に時間が過ぎてしまい、早くも開場の時刻が迫ってきました。ふと気づくと、司会でしゃべることをなんにも考えていないことに気がつきました。
 その場の出まかせでしゃべることができないわけではありませんが、そういうことをするとたいてい、えらく冗長なことになります。今回、演奏する曲数は多くありませんが、全体の時間にそれほど余裕があるわけでもありません。ある程度は原稿のようなものを作っておくほうが無難です。
 あわててレポート用紙とボールペンを取り出して、最初の挨拶を書き始めましたが、そろそろ着替えをしないとまずい時間になってきました。燕尾服なので、カフスボタンをつけたりするのに手間取ります。ヒゲを剃り、頭髪をヘアリキッドで固め、挨拶文の作成に戻った時は、もう開演10分前になっていました。
 大急ぎで最初に話す分だけの原稿は書いたものの、あとはもう間に合いません。曲の演奏中に書けば良いと思われるかもしれませんが、自分の作品展ですから、演奏を全然聴いていないのもどうかと思います。
 まあ、2回目に出る時以降は、曲目について話せば良いわけなので、なんとかなるだろうと思いきりました。いちばん言葉に詰まりそうなのは最初の挨拶ですから、そこを書いておけただけでも良しとするべきでしょう。
 なんだか狼狽しているうちに、場内アナウンスがあり、やがて本ベルが鳴りました。

 マイクを手に舞台に昇って、上述の通り、ぱっと見ほとんど大入り満員に近いほどの客入りだったので、まず驚きました。
 現代音楽の演奏会でこんな状態になることは滅多にありません。客席の真ん中のブロックはかろうじて埋まっても、両脇のブロックなどはちらほらとお客が居るばかりというのが常です。最前列から数列はほとんど空いていますが、たいていそこには見たような顔が数人。見たような顔というのは知り合いという意味ではなく、一種のマニアで、現代音楽の催しをどこかで探し出して必ず聴きにきては、あとでブログなどでけちょんけちょんに酷評するという趣味の人です。作曲家や現代ものの演奏家にはよく知られている札付きが何人か居て、
 「またアイツ、来てるよ」
 と舞台袖で囁かれたりしています。顔は知らなくても、そういう人はたいてい特有の挙動があるので、大体見当はついたりします。
 見廻した感じ、今回はそれらしいお客は見当たらなかったので、ほっとしました。それ以上に、座席のふさがり具合に安堵する想いでした。
 最初に、ご来聴に対するお礼を申し述べたあと、
 「しかしですね、ひとりの作曲家の作品をひと晩聴き続けるのって、皆さん、どう思われますか?」
 と言うと、どっと笑いが来たので、ここでまた安心。早い時期にお客をつかんでしまえば、あとはけっこう楽です。
 上記の「I」の後半に書いたようなことを言い、
 「そんなわけで、ちょくちょく出て参りますので、我慢して下さい」
 と締めると、また爆笑。なごやかな気分の中で演奏が始められたのは何よりでした。

 演奏者も大変熱を入れてくれていて、嬉しい限りでした。
 最初のマダムによる『気まぐれな三つのダンス』は、比較的地味な感じではありましたが、導入にはぴったりだったと思います。ピアノのリサイタルの冒頭に、短くてさほど難解でなく、素直に愉しめるスカルラッティなどを入れておく感覚です。
 次の『パルティータ』は無調性でもあり、若書きでもあり、今回のプログラムの中ではいちばんわかりづらい曲だろうと思いましたので、曲の構成などについて説明したのですが、これはやや評判が悪かったようです。そういうテクニカルな説明を受けてもよくわからん、ということですが、ついレクチャーコンサートっぽい語りになってしまっていたかもしれません。それにしても20分近い無伴奏曲を吹ききってくれた吉原友惠さんには感謝。伴奏付きの曲とは段違いの緊張感があった筈です。
 『ノスタルジア』がいちばん良かったという感想が多く寄せられています。まあ、曲がいちばんロマン派風でわかりやすかったというのが大きな原因と思われますが、松村一郎さんとマダムの演奏も非常に熱く、それが伝わっていたのではないかと思います。
 ところでこの曲の説明の時、だーこちゃんの結婚式での初演について触れ、
 「その時の演奏は……やや微妙だったんですが」
 などと言ってしまいました。あとでだーこちゃんが来聴していたことを知って、ちょっと慌てました。補足しておくと、自分の結婚式前の鬼のような忙しさの中で、一度しかヴァイオリンとピアノを合わせる機会が取れなかったのですから、そもそも万全の演奏ができるわけがなく、決して彼を貶めたわけではないのですが、言葉が足りずやや不穏当であったと反省。だーこちゃんゴメンナサイm(_ _;;;m
 客受けはとても良かったとはいえ、上記のマニアのような人が来ていたら、この一曲で酷評されるだろうな、と思わぬでもありませんでした。

 後半は声楽曲で、『幼年幻想』を歌った松永知子さんも、『愛のかたち』を歌った水島恵美さんも、暗譜してくれていたので感激です。歌い手としては、暗譜するところまでからだに憶え込ませておかないと充分な表現がしづらいという点、私も合唱をやっているのでよくわかるのですが、それと同時に、齢と共に困難になる暗譜のしんどさもわかるので、感謝の念もひとしおでした。
 私のしゃべりはというと、なるべく短くしようとは思いながらも、前述のようにレクチャーコンサートっぽくなったり、『幼年幻想』では栃尾電車(詩人・矢澤宰の住んでいた見附市を通っていたローカル私鉄で、のちの越後交通栃尾線=現在は廃止)の話を始めてしまったり、『愛のかたち』ではアベラールエロイーズの話をこと細かに語ってしまったりで、どうもどんどん長くなってしまっていました。話が入っていたので良かった、と褒めてくれる人も少なくないのですが、否定的だった人でもあんまり正直には言ってくれないと思うので、まあ褒め言葉を半分くらいに聞いておけば良いかな、と思います。

 アンコールとして、『South Island Lullaby』を弾きました。最初、出演者全員で演奏できるような新曲を作ろうかとも考えたのですが、実際には作っている暇もありませんでしたし、演奏者もこれ以上出番が増えるのはいい加減負担が大きいので、私がひとりで短い曲を弾くことにしたわけです。最後の1週間くらいで決めて、4日くらいで練習しましたが、久しぶりに弾くとけっこう指の動きを忘れていたりして、直前までどこかにミスが出ており、実のところ『愛のかたち』より緊張ものでした。
 ともあれアンコールを終えて舞台袖に戻って時計を見ると、当初のタイムテーブルより20分近くオーバーしていました。やはりぶっつけのしゃべりではよろしくないようですね。
 各曲の演奏時間も、タイムテーブルを作る時に届けたものより少しずつ長かったようです。本番というのは、気持ちが入る分、たいていリハーサルよりは長くなるのが常です。空の客席に向かう時より、いっぱいのお客様に向かう時のほうが、ひとつひとつの表現が大きくなるのは当然で、それが生演奏の良いところでもあるのですが、タイムテーブルを作る時はその辺を計算に入れ、少し長めに設定しておくのが常道です。私も自分がステージマネージングをする時はそうしているのに、今回はなんだかむしろ短めに届けてしまったような気がします。

 作品展としては、一応は成功だったと見て良いだろうと思います。
 どの曲がいちばん良かった、という声が、すでにあちこちから聞こえてきていますが、いい具合にばらけています。趣向の異なる曲を選んでおいたのがうまく当たりました。作風の幅が広いですねえ、とか、こんな曲も作っているとは知りませんでした、とかいう感想もいただいています。
 「どの曲を聴いてもそれぞれに違いがあって、なおかつどの音をとってもその人自身の音でしかない」というのが、たぶん作曲家に対する最大の褒め言葉だと思いますが、実際には「どの曲を聴いても同じようで、なおかつその人自身の音であることをあまり感じられない」というはめになってしまいがちです。
 ある人が「ナンバープレート説」というのを唱えたことがあります。これはセリー音楽について言ったことだったと記憶していますが、

 ──確かにそれぞれの曲に違いはあるが、それはクルマのナンバープレートが一枚一枚違う程度のことだ。細部は違っていても、全体としてはどれもこれも似たり寄ったりだ。

 という趣旨でした。セリー音楽全体としてそうであるならば、ひとりの作品だけ並べる個展という場ではさらに気をつけなければならない点かもしれません。さて、今回は私は、少しはナンバープレートから脱していたでしょうか。

 初台駅近くのイタリア料理屋で打ち上げをしてから帰りました。駅まではすぐなので、まずは電車に乗りましたが、すでに午前零時を過ぎていて、新宿からの埼京線の電車は無く、おまけにマダムの衣裳箱の取っ手が壊れて、抱えなければ運べなくなってしまいました。花束でいちばん巨大だった川口市長からのものは実家の両親が持ち帰ってくれましたが、他にも大きなのをいくつか貰っています。やむなく、そのまま地下鉄で岩本町まで出て、タクシーを拾いました。岩本町から乗れば昭和通りをそのまま行ってくれると思ったのですが、クルマは御茶ノ水方向に進み、本郷通りに入りました。それなら岩本町の手前の小川町(御茶ノ水駅や本郷通りに近い)で乗れば良かったとちょっと後悔。帰宅は1時半くらいでした。

(2009.7.28.)

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