忘れ得ぬことども

珍客到来?

 朝から出かけて、昼過ぎに帰ってきたマダムが、玄関に入るなり、
 「ピアノの部屋の窓、開けた?」
 と唐突に訊ねました。
 私の家は、マンションと称していますが、どちらかというと公営住宅や社宅といった雰囲気で、アパートと呼んだほうがふさわしい集合住宅です。エントランスのオートロックも無いし、管理人は午前中しか詰めていないし、中に入ろうと思えば誰でも入れてしまう開けっぴろげな建物なのでした。
 私は1階に住んでいますが、床の下はすぐ地面で、縁の下というものがありません。従ってベランダなども地面と同じ高さにあり、柵を乗り越えるのも簡単なので、防犯上いささか不安があります。
 ピアノを置いてある部屋は、建物の正面のほうにあります。それだから帰ってきたマダムがすぐに気づいたわけなのですが、その部屋は防音のため二重窓になっており、窓を開けることは滅多にありません。もちろん今日も開けた憶えはなかったので、驚いて確認しました。
 すると、二重になった外側の窓が大きく開いており、あまつさえガラスの一部が割れているではありませんか。

 シリンダー錠に近いところが割れている有様には、見覚えがありました。
 もう十何年も前、私が今の家にひとりで住み始めてそれほど経っていない頃のことですが、何度か続けて空き巣に入られたことがあるのでした。
 最初に、ベランダ側の窓が割られていました。今回と同じく、シリンダー錠の近くです。割れ目から手を入れて、錠を廻し、窓を開けて入ったと思われます。子供たちがボール遊びでもしていてぶつかった、というのとは明らかに異なります。割れたガラスの破片が外側に散らばっているのが特徴です。
 さほどの額ではありませんが、現金を奪われていました。
 仕方なく、ガラス屋を呼んで直しました。現金を盗まれた上にガラス代まで支払わなければならず、はらわたが煮えくりかえるようでした。
 ところが、それでは済まなかったのです。
 しばらくして、帰宅してみるとなぜか玄関の錠前が開いていたことに気づきました。確かに閉めて出たはずなのに……どきどきしながら中へ入ってみると、またも空き巣にやられていました。今度は窓は破られていませんでしたが、どういうことだろうかとよくよく確かめてみると、スペアの鍵が無くなっています。
 つまり、最初に入ったヤツが、現金と一緒にスペアの鍵も持って行き、今度は堂々と入りやがったのに違いありません。
 私は憮然として、錠前屋を呼び、ロックを取り替えました。
 それからまたしばらくして、またもやベランダの窓が破られていたのでした。今度は盗まれたものは無かったのですが、どうも、スペアの鍵でまた入ろうとしたドロボーが、錠前が新しくなっていて入れないので腹を立て、再びベランダを破って侵入したと思われます。
 被害はなくとも、ガラス代は取られるわけで、私は怒り心頭でした。

 犯人らしき人物をちょっとだけ見たことがあります。
 なんだか物音がするので、行ってみると、側面の窓をじりじりと開けようとしている男が居ました。その窓は、その時は錠が下りていなかったのでした。
 「おい」
 と声をかけると、そいつはものすごい勢いで逃げて行きました。そんなに速く走る人間を、間近で見たことは一度も無いほどでした。
 虚を衝かれた感じで、私も茫然としていましたが、気を取り直してから、黙って入らせておいて取り押さえるべきだったかな、とも思いました。あんまり強そうな男ではなく、どちらかというと貧弱な印象がありましたし……でも刃物でも持っていたら危ないかな。
 空き巣の被害は、それっきりぱったりと無くなりました。
 とはいえ、マンションの他の家も何軒かやられたようで、ほどなく、正面からベランダ側に廻る通路のところに、鉄の扉が設置されました。
 堅固な意志を持って乗り越えようと思えば、乗り越えられないものでは決してありませんが、物色する程度のつもりであれば二の足を踏むでしょう。子供たちが庭で遊ぶこともできなくなりましたが、これはやむを得ません。

 今日のガラスの割れ方を見ると、空き巣にベランダの窓を破られた時のとほとんど同じ様子だったのでした。誰かが何かの目的で──はっきり言えば盗みに入る目的で破ったに違いありません。
 実はピアノ室の外側の窓は、建て付けが悪いのか何かひっかかっているのか、開け閉めがとてもやりづらいのです。マダムなど自力では開け閉めできないほどで、私がやっても渾身の力を込めてがたぴし音を立てなければ容易に動きません。
 それがすっかり開いていたので、ドロボーながらよくやったものだと感心しました。誰にも気づかれずに外から開けられたのは、なかなか幸運だったのではありますまいか。

 ところが不思議なことに、そこまでして外側を開けたのに、内側の窓はまったく手つかずではありませんか。
 外側は普通の窓ですが、内側は防音のため、もう少し分厚いガラスで、枠もがっちりしています。
 思うに、外側のガラスを破り、シリンダー錠を開け、さて窓を開けようとしたらえらく大変で、大汗かいてようやく開けたと思ったらもう一枚内側があって、ドロボー氏もさすがに諦めたのでしょう。
 もう一枚の窓に突き当たって、泣きそうになりながら
 「こんちくしょおおお!(#゚Д゚;;」
 と心の叫びを上げているドロボー氏の様子を想像すると、けしからぬヤツバラにもかかわらず、なんとなく笑えてきます。
 それにしても、外側の窓の上半分は普通の素通しのガラスなので、二重窓であることは最初からわかりそうなものですが、暗い時だとよくわからないのでしょうか。あるいは人が通りかかったか。

 ともかくすぐにガラス屋を呼んで取り替えましたが、またもやガラス代を払わなければならなかったのはもちろんのことで、やはり笑い事ではありません。またリベンジにこないとも限りませんし、なんらかの対策をとらなくてはならないでしょう。どんな対策かは、ここで書くわけに行きませんが……(^_^;;
 いずれにせよ、街の治安が悪化しているのは間違いないようです。皆様もどうかご注意下さい。    

(2008.5.14.)

   

【後記】 その後マダムがマンションの理事会で提案し、数箇所にセンサー付きの照明を取り付けました。気休め程度ではありますが、通りかかって急に明るくなったところで作業するのは、「珍客」としてはやはり気が引けるのではないかと思います。

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