忘れ得ぬことども

怪我の顛末

I

 私の家に、もうじき住人がひとり増えることになるものですから、このところ蜿蜒と大整理をしております。
 何しろすでに18年半ほども住んでおり、その間大きな模様替えはもちろん、大掃除と言える作業もほとんどしていないため(水回りだけは一昨年改修しましたが)、不要なもの、なんだかわからないものがたまりにたまっています。
 このたび新しい住人を迎えるにあたり、床を張り替えたり、畳・フスマ・壁紙を取り替えたりと、わりと大きな改修をすることになりましたので、それら18年間の堆積を処理しなければならなくなりました。新しい住人だって、持ってくる荷物はあるわけなので、それらを収納するスペースも捻出する必要があります。
 私だけでは、なかなかラチがあかないものですから、実家の母がちょくちょく来ては、不要と思われるものを容赦なく処分しています。どうしても私がやっていると、古いものは懐かしくて見入ってしまったり、なかなか捨てる覚悟ができなかったりして、むやみと時間がかかってしまうのでした。
 その甲斐あって、ほとんど足の踏み場が無かった私の自室もすっかり片付きました。ここ一ヶ月ばかりで、何十袋のゴミを出したかわからないほどです。半月ほどあとから改修工事が入り、私の住まいの面目も一新することになると思います。

 そんなわけで、昨日も母が来宅して整理を続行していました。もちろん私も手伝っています。というか、本当は母が私の手伝いをしに来ているはずなんですが、処理量からしてどう考えても母のほうがメインと見るべき状態なのでした。
 午前中から作業を進め、夕方になって、それは起こりました。
 私もこのところ眠りが浅くて、ちょっとぼーっとしていた気配はあるのですが、本棚に入れるべき書物を向こうの部屋から運んできて、自室に入った途端に、床の上に転がっていた、かつてフロッピーディスク入れであったプラスティックのケースを踏んづけてしまったのでした。
 大体、フロッピーなど使わなくなって久しいのに、そんなものがまだあったのが問題なのですが、ともあれケースは私の体重を支えきれずにバリバリと音を立てて壊れ、その拍子に私は勢いよくつんのめって、大声を上げてすっ転んでしまいました。
 右足の甲に疼痛を覚え、次の瞬間には飛び上がっていました。ベッドの上に転がり、少しだけ落ち着くと風呂場へ駆けて行って、残り水に足を漬けました。
 それでも痛みがちっとも減じないもので、やはり医者へ行くことにしました。すでに夕刻でしたが、7、8年前にかかった整形外科の診察券が見つかり、18時半までやっているらしい。
 ただ少し家から遠いので、やむなくタクシーを呼んでその医院まで走らせました。

 すぐにレントゲンを撮られ、しばらくして呼ばれて診察室に入ってみると、初老の医師は私に写真を示し、
 「え〜と、ここ。第2指と第3指のこの、付け根のとこね、これ、折れてるですよ
 と言いました。横からの写真も見せて、
 「ほら、こことここ。これが折れてるですよ」
 「え〜〜、やっぱり折れてたんですか」
 私は落胆しました。痛みからしてそんな気もしたんですが、単なる打撲だという望みも捨てがたかったもので。
 ギプスを作るため、熱した型を当てられながら、私は
 「普通こういうの、どのくらいで治りますかね?」
 と訊ねました。
 「まあ、2ヶ月ってとこかねえ」
 それを聞いて僅かに安堵。結婚式に繃帯姿で登場する醜態は避けられそうです。しかし、今後いろいろ歩き回る必要もあるし、もちろん家の改修もあるしで、あれこれ支障はありそうですが。
 ギプスとは違って、足の裏に固定具を当てて繃帯で縛るだけで、寝る時などは外してもいいそうですし、風呂にも入れるとのこと。これから暑くなる季節なので、その点はありがたいことです。手などと違って、足の指は本来それほど動かすことがないので、それで充分なのでしょう。踵をつけば歩けるので、松葉杖なども無し。薬局で出されたのは湿布だけでした。

 それにしてもこんな時期にこんなことになってしまうとは、ついていません。
 考えてみれば今年は本厄の年だというのに、仕事は順調だし、結婚は決まるしと、私の人生の中でもいやに好調な年と言ってよいほどでしたが、これでようやくバランスがとれたというところかもしれません。
 昨夜は母が泊まってくれたので助かりましたが、今日は看護学校の授業のある日で、朝から出かけなければなりませんでした。
 固定具の上から繃帯を巻いてしまうと、履ける靴がありません。昨日病院からの帰りは、ポリ袋で足全体を覆って貰いましたが、授業をするのにそんなわけにもゆきません。
 百円ショップで買って愛用していた健康サンダルを犠牲にしました。バンドを切って、繃帯の上からガムテープで留めて、なんとか外出できるようにしたのでした。しかし歩いているうちにだんだんずれて、非常に歩きづらいことになってしまいました。

 授業は坐ったままでやらせて貰い、帰りに成増の商店街の靴屋によって相談しました。
 靴屋のおばさんはしばらく絶句していましたが、
 「とにかくいちばん大きなサンダルを出してみましょう」
 と、28センチのサンダルを取り出しました。甲のバンドをマジックテープで留めるようになっているものです。
 踵はかろうじて入りましたが、甲のほうは、テープがリングには届いたものの、それではマジックテープがうまく咬み合わないようです。
 「ここに孔を開けて、靴紐を通して固定してみましょうか。すぐできますから」
 おばさんは10分ばかりかけて細工してくれました。かっちりと固定され、いい感じの履き物ができました。言ってみるものだなあ。
 もちろん痛みはあるので、歩きづらいことは相変わらずですが、とにかく繃帯がずれたり、踵がずり落ちたりはしなくなりました。
 歩き方も、だんだんと馴れてきました。普通に歩こうとせず、普段の倍くらい時間をかけるつもりで、小刻みにゆっくり歩けば、なかなかはかは行かないものの、さしあたって行動はできるようです。
 痛みを庇って歩かないでいると回復が遅くなりそうな気もするし、無理のない範囲で、普通に行動するのが良さそうです。

 ダンスをやっている妹の話によると、ダンスの稽古でも時たま足指を骨折してしまう人が出るものの、一ヶ月ほど休むとすぐ復帰して稽古に参加しているとのこと。
 私はダンサーたちほど肉体を鍛えていませんから、一ヶ月で治癒というわけにはゆかないかもしれませんが、とにかくなるべく早く固定具をはずせるようにしたいものだと思う次第。

(2005.6.9.)


II

 アホな事故で足の指を骨折してかれこれ一週間。
 繃帯ぐるぐる巻きの足を見ると、会う人会う人みんなびっくりするのですが、そのあと口を揃えて、
 「でも、フィアンセに看病して貰えてラッキーじゃないですか」
 とニヤニヤしながら言われます。フィアンセといえども、何も毎日逢っているわけではないのですが……。

 さっき医者のところへ行きますと、またレントゲンを撮られ、
 「変わってないですね」
 と言われました。
 「え〜、変わってないんですか」
 「いや、変わってないのがいいんだけどね」
 変な風にずれたりしていると、癒着しづらくなるということのようです。最初のままの状態とは、まあまあ好調ということなのでした。まずはひと安心。
 今日から理学療法がはじまりました。ジャグジーの足湯といった趣きの浴槽に10分ばかり足を漬けます。泡を直接患部に当ててはいけないのですが、足先が痺れが切れた時のようにじ〜んと来て、なかなか気持ちが良いのでした。なるべく頻繁に来てやってゆくようにとのこと。

 そうは言われても、医院までは1.5キロ以上あって、普段の私の足でも20分近くかかります。現在は歩行速度が半分以下、ひどい時には3分の1くらいにまで落ちていますので、片道40分以上かかるものと思われます。
 最初の日は往き帰りタクシーを呼びましたし、次に行く時も同様でした。迎車料金がかかったとはいえ、川口市内はけっこう一方通行などが複雑で、ワンメーターでは到底行きません。2度目に行った時は、帰りはそのあと用事があったため、川口駅まで歩いてみましたが、500メートルばかりのその距離を歩くのに難渋し、一旦帰宅して出直すなどという気も失せました。
 毎回タクシーを呼ぶとなると、お金がいくらあっても足りたものではありませんので、自転車を買いました。
 本来私はかなりの自転車ユーザーで、かなり遠方までも自転車で行っていましたし、浪人中に野辺山なんてところまでサイクリングをしたこともあります。もっとも私の乗っていたのはサイクリング車でもなんでもなく、ただの軽快車、いわゆるママチャリでしたので、野辺山へ行く途中、内山峠越えでへばってしまい、同行した友達のお父さんのクルマで途中まで迎えに来て貰ったりしましたが……
 しかし、15年ほど前に盗まれてから、買い換えることなく現在に至りました。買い物などの時、自転車があればなあと思うこともちょくちょくありましたが、無い生活に一旦馴れてしまうと、何かふんぎりがないと再び買う気になれないものです。
 そんなわけで、今回がそのふんぎりであり、医者への行きがけに、近くの自転車屋で一台購入したのでした。
 実はもうひとつのふんぎりとして、もうじき結婚するので、そうしたら相棒とお揃いの自転車を買おうかとも考えていました。それが少し早まったわけです。

 自転車に乗ってみると、いや速い速い。
 商店街を抜けるのにちょっと手間取ったとはいえ、10分とはかからずに医院に着いてしまいました。
 こんな便利なものに、15年間も乗らずに済ませていたとは、なんだか信じられないほどです。
 怪我をしてから、いろいろな場所へ行くに当たって、できる限り歩く距離が少ないように乗り換えプランを立てたりしていましたが、家から川口駅までだけはどうしようもありませんでした。ひたすら一本道を歩くしか仕方がありません。
 これが、普段だと6、7分というところで、それでも退屈な道なのですが、現在は歩いてみたら15〜20分ほどかかってしまうのでした。いやもううんざりします。
 自転車ならこの道を、2、3分ほどで走ってしまえます。ただ駅前に停めておく場所が、有料駐輪場以外ではいつ撤去されても文句が言えない状態なので、200円ほど払わなければならず、これが業腹ではあるのですが、まあ足が治るまでの1〜2ヶ月間は仕方がありますまい。
 もう少し良くなってきたら、王子田端など近場での用事には、電車など使わず自転車で行ったらどうかなどとも考えています。というのは、川口駅には下りのエスカレーターがなく、足が悪い時というのは上り階段よりも下り階段のほうが遙かにしんどいものですから、できれば駅を使いたくなかったりするのでした。
 つい先日も、銀座に用があって行ったのですが、銀座駅というのは地下鉄駅として大変古いせいか、エレベーターはもちろん、エスカレーターも無いところが多く、あったとしても上りだけなので、移動にかなり難渋しました。
 お年寄りで足腰が弱っていると余計につらいことでしょう。エスカレーターは、健常者が楽をするためでなく、本気でバリアフリーを考えるなら、上り下りのどちらかしか設置できないのであれば下りを優先させるべきだと考える次第。

 ともあれ自転車を購入したので、近場での移動はずいぶん楽になるのではないかと思います。ペダルを踏む時に指先の側に力が入らないよう気をつける必要はありますが、健康にも良いし、これからせいぜい自転車で走り廻ってやろうと考えています。

(2005.6.14.)


III

 掃除中に転倒して右足指の骨を折ってから、ちょうど6週間が経ちました。
 ここしばらく、さすがにいろいろと不自由でした。歩く速さは半分以下、ほとんど3分の1くらいになってしまいました。自転車を買ってからは行動が少し楽になったものの、電車に乗ってどこかへ行こうとすると、駅前の駐輪場に自転車を駐めるたびに200円ずつ飛んでいってしまうのであほらしくてなりません。スーパーマーケットなどで買い物をする時は、必ずカートを借りて、それを杖代わりにして歩きました。
 幸い、ギプスをはめていると言っても、全部石膏で固めたようなものではなく、足の裏だけ型を取って当てるようにした板を繃帯でくくりつけているだけで、寝る時などは外せるので、湿気の多い季節ではありましたが、蒸れるようなことがなかったのはありがたい話です。
 足の先のほうに体重をかけないように、かかとだけで歩くと、どうしてもピョコリピョコリと不自然な歩き方となり、いろんな人から

 ──痛々しいですねえ。

 と言われましたが、じっとしていても痛かったのは最初の数日だけでした。次いで、患部をかばって歩くことにより、左足とか、右足でもふくらはぎなどに筋肉痛が出たりしましたが、それも一二週間もすると馴れました。あとはただただ、骨がくっつくのを待つばかりの退屈な日々であったわけです。

 むろん本当は、この時期私は非常に忙しく、退屈する間など薬にしたくとも無かったようなものです。
 結婚準備を進めつつ、家の片づけとリフォーム、さらに差し迫った仕事もあって、サイトの更新すらままなりませんでした。
 リフォームに際して、今までパソコンを乗せていた、中学時代から使っていた勉強机を処分し、新たに注文したパソコンラックが届くまで、コタツ卓に乗せて床にべったり坐って作業をしていましたが、ギプスをつけていていちばん難儀だったのがこれだったように思います。脚を伸ばしても曲げても、あんまり具合が良くなく、変な坐り方をするのでそのうち腰だの背中だのも痛くなってきました。
 今日、ようやくパソコンラックをはじめとして、ソファやベッドなどが届きました。昨日は近くのホームセンターで買い求めた組み立て式の棚を作ったりして、いよいよ家の中が新生活モードに入りつつあるようです。

 さて足のほうはというと、今日医者に行ってレントゲンを撮って貰ったところ、
 「ほら、ここんとこ。ふわふわと新しい骨ができてきてるでしょ」
 確かに古い骨を包み込むように新しい骨組織ができてきているのがわかりましたが、それにしても骨を「ふわふわ」と表現するのは奇想天外です。この初老の先生、ものの言い方にどことなくぶっとんだユーモアが感じられて、なかなか面白い人でした。
 「一応、今週末までギプスをつけときましょう」
 とのこと。次の日曜には外して、靴を履いてもよろしいというお墨付きです。
 助かりました。足の骨折は回復が長引くことが多いと言われ、何人もの年配の女性から、
 「わたしも前やりましたけど、治るのに1年かかりましたよ。いえ、MIC先生はまだお若いから、そんなにはかからないでしょうけど」
 などと言われていたのです。最初医者に行った時は、全治2ヶ月と言われたものの、それはよほど順調な場合の話であろうと思いました。
 6週間半でギプスが外れるのは、最高に順調とは言えないまでも、まあまあうまく行ったほうであると思われます。
 とりあえず8月6日(土)に、教えているピアノ教室の発表会があり、私もいくつか弾かなければならないので、その時に繃帯姿というのは避けたいものがありました。格好の問題だけではなく、この状態だと右足でペダルを踏めないものですから、いささか困ったことになります。いまのところ右ペダルを左足で踏んでいますが、姿勢が不自然になる上に、左ペダルとの併用ができないため、音の上でも万全というわけにはゆかなくなります。
 はたしてピアノのペダルを踏むという、思いっきり足指に力のかかる動作が、それまでに完全にできるようになるかどうかは微妙ですが、ともかくギプスが外れるというのはその第一歩です。

 今年は本厄年であったのに、仕事は次々と入るし、結婚は決まるしと、順調すぎたので、骨折したというところでなんとか帳尻が合ったかのようでもあります。
 それが長引くこともなく、結婚式に繃帯姿で出るようなはめにならずに済んだのは、この正月に初詣した折り厄払いをして貰ったおかげかもしれません。
 好事魔多しとか、不幸中の幸いとか、楽あれば苦ありとか、このところいろんな格言を耳にしましたが、私が実感しているのは「人間万事塞翁が馬」というヤツです。この成語にも、確か足の骨を折る話が出てきたはずでしたし。
 ともあれ、皆様、どうもご心配をおかけいたしました。

(2005.7.20.)


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