忘れ得ぬことども

鈍行旅行今昔

 長雨もようやく上がって、晴天です。こんな日はどこかへ出かけてきたい気分ですが、さすがに毎週そういうわけにもゆきません。
 この時期(10月はじめ)はちょうどJRで「鉄道の日記念フリーきっぷ」というのが発売されており、JRの全路線の普通列車に乗り放題3日分ということになっています。青春18きっぷより若干高くつきますが、同様なものと考えてよいでしょう。いつもこの季節になると購入してどこかへ出かけたいと思うのですけれども、通用期間が10月2日〜15日と短く、その期間中に3日を捻出するのがなぜか毎年無理で、断念しているのでした。JR西日本では、西日本管内のみ通用する一日用のものも売り出しているらしいのですが、東日本ではそれもありません。今年も指をくわえているしかなさそうです。

 もっとも、普通列車による旅行も、昔ほどの風情がなくなりました。
 昔のことを言ってもむなしいばかりなのですが、国鉄時代には老朽客車を連ねた長距離鈍行列車がそこかしこに走っており、昔ながらの「汽車旅」の気分を味わうに事欠きませんでした。
 私はそれほど長距離の鈍行旅行をした機会は多くないのですが、それでも青森──仙台間の鈍行に乗り通したり、下関──出雲市を乗り通したりしたことがあります。今はそんな運転区間の鈍行は全く無くなりました。
 大きい駅では20分以上の長時間停車もしょっちゅうおこなわれ、改札を出て街をぶらついたり、駅ビルで買い物をしてきたりということもできました。
 長距離を乗り通す客など滅多におらず、相客はどんどん移り変わってゆきます。進むほどに、彼らのしゃべっている方言がだんだん変化していることに気づいたりしました。
 眠くなってきたらそのままうとうとするもよし、デッキへ行って扉を開け放ち、風に当たって来るもよし。さすがに手動扉というのは私もそんなに経験がありませんが、学生時代くらいまでは時々眼にした憶えがあります。
 田舎の小駅で、通過待ちや列車交換のためにしばらく停車することもあります。しんと静まりかえって、どこかから鳥の声が聞こえます。やがて轟音を立てて特急や急行が近づいてきて、あっという間に通り過ぎてゆきます。なんとなく悔しいような、それでいて

 ──何をそんなに急いでいるんだ?

 と嘲笑したいような気分でそれを見送り、こちらはゆったりとした時間に戻るのでした。
 昔はよかった、などと言うつもりはありませんが、鈍行旅行に関しては、確かにいい時代だったと思います。

 今は、鈍行旅行があまり面白くなくなりました。
 まず、長距離の列車がほとんど無くなりました。「快速」という名目で夜行の長距離列車が走ったりすることはありますが、昼間は大半が短く、せいぜい2時間も走れば終点に着いてしまう列車ばかりになってしまいました。合理化の結果とはいえ寂しいことです。
 ちなみに現在、最長距離を走っている普通列車は、山陽本線岡山──下関367.4キロを走っている「シティライナー」で、上下4本ずつくらいあって便によって異なりますが、だいたい6時間半くらい走り続けます。かつて「最長鈍行」と言われた山陰本線門司──福知山間列車に較べると3分の1あまり程度の所要時間ではありますが、これだけ乗り通せばかなりのボリュームではありましょう。距離は短いですが飯田線豊橋──上諏訪間電車(下り1本・上り2本)も6時間〜6時間半走ります。
 ディーゼルカーでは根室本線の滝川──釧路間列車(片道のみ)が最長で、所要時間では「シティライナー」を上回る8時間弱となっています。富良野で21分、帯広で44分という長時間停車があるせいですが、それにしても滝川──釧路間程度の列車が「最長距離」に数えられるようになったかと思うと、隔世の感があります。

 運転距離の問題だけではありません。車輌もお手軽なステンレスカーばかりになってしまい、なんだか通勤電車に乗らされているような気分になることが多くなりました。さらにロングシート車輌が増えて、車窓を楽しむこともしづらくなりました。いくら鉄道好きでも、山手線みたいな車輌に何時間も揺られているのは苦痛以外の何物でもありません。ひどい時にはトイレも付いていなかったりします。
 ダイヤも合理化されて長時間停車が少なくなり、駅弁を買いに行くどころか缶ジュースを買うのも大変というていたらくです。
 駅弁といえば汽車旅の大きな楽しみのひとつでしたが、ロングシート車輌だと、これが非常に食べづらいのでした。向かいや両隣、もしくは立っている人々の視線を感じながら弁当を開くとなると、何やら住所不定者のごとき、みじめな気分になってきます。
 それから、かなり混むことが多くなりました。これは客が増えたのではなく、これまた合理化で短編成の列車ばかりになった結果です。ローカル線では昔からディーゼルカーの単行運転が多かったのですが、幹線では6輌、7輌と連ねた長大編成の鈍行が少なくありませんでした。長大編成列車がガラガラにすいているのもわびしいものがありましたが、現在ではその列車のいちばん閑散とするところでだいたい席が埋まる程度に計算して編成しているようで、都市が近づいてきたりするとえらく混み始めるのです。合理化はやむを得ないとしても、客を立たせるのが当然みたいな考え方はいかがなものかと思います。
 JRも商売っ気が強くなってきて、イベント列車などかなり工夫したものを走らせたりもしているのですが、鉄道というものは一回限りのイベントで評価されるものではありません。日常的に「旅情」など追究するのは難しいとは思いますけれども、あまりに「ただの輸送機関」になってしまうのは寂しい気がします。

 このところ、せかせかと短時間で乗り降りすることばかりやっていて、そろそろ何時間乗りづめというゆったりした鉄道旅行が恋しくなっているのですが、そんなわけで鈍行旅行の魅力が薄れてきており、せっかくのフリーパスがあってもあまり食指が動かないのでした。これは私にとって良くないことであるように思えます。

(2004.10.6.)

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