忘れ得ぬことども

まぼろしの「武南市」

 埼玉県下南部の川口市・鳩ヶ谷市・蕨市の三市が合併して武南市になることが「決定」したのは2004年7月の半ばだったと思うのですが、翌8月の2日には速攻でとりやめとなり、住民のひとりとしてはあっけにとられる想いです。
 名称を武南市にすることをやめたという話ではなく、合併話そのものが破談になったのでした。市町村合併を進めるのが全国的趨勢ではありますが、個々の事例となるとそれぞれの主張がぶつかり合って、なかなかスムーズには運ばないようです。

 新しい市の名称まで決まっていたものが、なぜ急に破談になってしまったのかと不思議に思って調べてみますと、まさにその名称自体が原因になったようです。
 武南というのは「武蔵の国の南部」ということで、確かに埼玉県南部一帯を指す地域名称として使われてはいました。蕨市にはスポーツや吹奏楽などいろんな分野でけっこう活躍している武南高校という高校がありますし、鳩ヶ谷市には武南警察署があります。だからまあ、新市名に武南という候補が上がるのは妥当とも言えます。
 が、住民公募をおこなった結果、武南市を推すのは僅か2パーセントに過ぎなかったのでした。
 これに対し、明らかに最大規模であり合併の中核である「川口市」をそのまま用いるという意見が52パーセントに及んだとのことです。
 にもかかわらず、合併協議会での投票では、22対19で「武南市」が通ってしまったのでした。
 住民公募結果というのはあくまで参考意見であって、最終決定は合併協議会の投票によるということになっていたのは確かなのですが、それにしても26倍の差がついた公募結果がまったく反映されなかったというのはいかがなものか。
 かくて川口市は、合併を断念することにしたのでした。

 川口市の現住人口は49万弱であり、鳩ヶ谷市・蕨市はいずれも6、7万です。面積の上でも、日本最小面積の市が蕨、第二位が鳩ヶ谷という有様で、ふたつ合わせても川口市の5分の1程度です。
 従って、客観的に見ると、合併とは言い条、川口市が他の2市を吸収するようにしか見えないのは事実でしょう。
 この上名称まで川口市のままにするとなると、2市が吸収された、もっと言うなら軍門に下ったような印象がさらに強くなるのではないか、鳩ヶ谷市・蕨市の住民にとってはそれは屈辱なのではないか……というのが協議会の面々の懸念だったのだろうと思います。
 市町村合併は対等な立場でなされるべきであって、中のひとつが他を吸収するような印象は避けるべきであると配慮したに違いありません。
 静岡市清水市が合併した時も、圧倒的に大きい「静岡市」をそのまま新市名にしてしまったため、旧清水市側からの不満が大きく、多数のごり押しという印象が強くなってしまいました。
 住民公募にしても、単純に人口比で考えても「川口市」が優勢になるであろうことは容易に想像できることであって、2市の意見は通りづらいはずです。あまり公募結果を重視すべきではないという先入観がはじめから協議会委員の頭にあったのではないでしょうか。
 52パーセントという数字は、たとえ川口市と他の2市との人口比(約4対1)で割ったとしても「武南市」の6倍ほどになるという計算はあまり考慮されなかったようです。

 「武南市」に決定したことが報道されると、川口市当局の元に、住民からの抗議が殺到したそうです。
 それにしてもすみやかな離脱決定でした。
 なんだか、圧倒的勢力を持つ川口市が、「川口市」にならなかったというのでつむじを曲げて離脱したというワガママのようにも見えるのですが、もちろん名称が気に入らないからというだけの理由ではなかったようです。
 他にも、在任特例(市町村の議員数は人口規模によって定員が決まっているのですが、合併する場合、合併前の議員数の合計はたいてい合併後の定員を上回ることになります。そこで彼らの任期が終了するまでは、特例として定員以上の議員を抱えることが認められているのでした。ただしこれは「認められている」だけのことで、個々の判断により特例を援用しない場合もあります)により市議をそのまま抱えるばかりか、その議員報酬は3市中最高水準であった川口市に合わせるというような決定もなされています。これは言ってみれば、川口市の負担によって2市の市議を昇給させるみたいなものです。
 それ自体は、合併に際して、財政水準の好調な側にたいてい生じる問題であって、珍しくもないのですが、市名決定経過の疑問に伴い、川口市民の不満が急激に高まったというところなのでしょう。

 ほぼ対等の規模を持つ浦和市大宮市(と与野市)が合併したさいたま市では、合併後3年を経てもいまだに旧浦和市と旧大宮市の対立が続いているようですし、同じくほぼ対等の規模による4市合併案(和光市・朝霞市・新座市・志木市)は和光市の離脱により流れてしまいました。
 今回は、誰が見ても中核となる市が存在するケースであって、対等規模の合併よりすんなりゆくのではないかという観測もありましたが、結局こういう結果に終わりました。なんとも難しい話です。
 国では、市町村という区別を撤廃して、全国を300ほどの市にまとめる方針だそうですが、前途遼遠というべきでしょう。
 「日本一狭い市」蕨と「二番目に狭い市」鳩ヶ谷の消滅を惜しむ(?)声もありましたが、当分は消滅しないことになりそうです。ただこの2市、特に鳩ヶ谷市の財政はきわめて悪化しており、早晩立ちゆかなくなるのではないかという話もあり、合併する以外の選択肢がなくなる可能性もないとは言えません。
 そうなった場合に「武南市」という名称が復活するとは到底思えません。「武南市」は結局まぼろしのままで終わってしまうことになりました。

 川口市の当初の意図としては、合併することで人口が50万を突破し、政令指定都市の要件を満たすというのがいちばんの眼目だったのではないかと思います。埼玉県ではすでにさいたま市が政令指定を受けていますが、これを受ければ、さまざまな財政的・権限的な特典が得られて、市の運営がやりやすくなります。宝くじを発行することができるなど、財源を拡げられるという旨味もあります。
 ところが、近年土地区画が緩和されたために、川口市内には大容量の高層マンションが林立しはじめ、それに伴って人口が急に増え出しました。この分だと、あと一両年のうちに、自力で50万を超えそうです。
 そうなれば、合併しなくても政令指定を受けられる可能性が出てきます。「自力で50万」の展望が見え始めたあたりから合併に消極的になってきたと見るのは邪推でしょうか。少なくともその事実が、離脱するにあたっての追い風になったことは確かでしょう。
 50万以上の人口があれば必ず政令指定を受けられるというわけではないのですが、それについてはそれなりに自信があるのかもしれません。いずれにしろ数年内にはなんらかの動きがあるのではないかと思います。


【追記】
 川口市の人口は2006年に50万人を突破しましたが、まだ政令指定を受けようという動きは起こっていないようです。

(2004.8.13.)

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