忘れ得ぬことども

仕事と人間関係

 何かと忙しい毎日です。次々と仕事の依頼が入るのは、文句を言うべきことではなくありがたいことには違いありません。まるっきり暇になってしまうというのも、自由業をしていると心許ないものがあります。
 私はおおむね締め切りを守るほうですが、締め切りに向けて按配よく仕事のペースを割り振ってゆくという器用なことはあまりできません。

 ──この仕事は○月×日までだから、あと△週間ある。ということは一日にこれくらいずつ仕上げてゆけば、大体楽な安定したペースでやれるわけだ。

 ということを、最初の段階では一応考えるのですが、そんな心づもりが実現することは滅多にないのでした。始めてしまうとかかりきりになって、ほとんどそれだけみたいな生活になってしまいます。だから私の仕事は、時間はともかくとして、期間は比較的短く済むことが多いのでした。ただし、始動がいつになるかは場合によって異なり、時には締め切り間際になって大あわてということになります。逆に、始動が早い時は、締め切りより遙か以前に仕上がってしまうというようなこともあります。
 昨日も、再来月中に仕上げる約束をしていたかなり大部の編曲を、早々と終わらせてしまいました。ここ2週間ばかりは、家にいる時はほとんどその仕事ばかりしていたような気がします。もちろん正味でそればかりやっていたということではありませんが、ともかくかなりの勢いであったことは確かです。
 いくつかの編曲ものを済ませたばかりで、そのテンションが下がらないうちに手をつけてしまおうと思ったのでこういうことになりました。一旦エンジンが冷えてしまうと、例えば再来月中に渡すのだから来月くらいからやればいい、という都合のよいことにはならず、おそらく当月中旬くらいになってからあわてふためくはめになることが予想されます。
 こんな仕事をしていると、「機運」ということが何より大事なのでした。

 この日誌に時折、自分の仕事について自慢たらたらに見えるようなことを書いていないでもないので、意外かもしれませんが、私は売り込みが下手です。人前で臆面なく自分の仕事や能力をPRするということがどうも苦手です。
 まあもっとも、最初からそういうことが得意だという人はそんなに居ないのであって、表現者というのは概して営業能力が低い場合が多いようです。作品の中で表現力を使い果たしてしまって、それを売り込むための表現力はあまり残っていないのかもしれません。
 それでも、食べていかなければなりませんから、気力を奮い起こして売り込みに走ることになります。
 やっているうちにだんだん要領もわかってきて、そのうちけっこう営業上手になっていたりもするのですが、そうなった頃には大切な感性のほうが磨り減っていたりすることがままあるので、なかなか難しいものがあります。

 私などよく食っていられるなと、時々われながら驚きます。目下のところ定職というほどのものは持っていません。以前は非常勤とはいえ、週3日ほど学校に勤めていたこともあるのですが、その学校の組織替えでリストラされてからは、看護学校で4月5月だけ授業をするのがすべてになりました。もちろんこんなものは定職とは呼べません。
 週に一度ピアノ教室にレッスンをしに行っていますが、これも生徒の人数によって月謝の総額も変わるわけで、定収入としてあてにするほどのものではありません。
 合唱指導や伴奏ピアノの仕事なども、現在、定期的なものはないのでした。ローテイションで2ヶ月に3度くらい廻ってくる伴奏仕事とか、産休をとった正指導者の代役でしばらくやっている指導仕事とかがあるばかりです。
 ということは、作曲なり編曲なりの、書くほうの仕事によって糊口をしのいでいるということになるのですが、自ら認める営業下手なのに、よくもまあ干上がらないものだと思う次第。
 一応期日を守るとか、それなりの水準を保っているとかの理由で、徐々にあちこちで信用を得てきたのかな、とも思いますが……

 はっきり言えますが、音大の作曲科を卒業したところで、それだけで作曲家としてやってゆけるなんてことはまずありません。学部だけでなく、大学院だって同じことです。
 私よりずっと才能がありげだった人が、さっぱり啼かず飛ばずでそのうち筆を折ってしまっているというケースも、決して少なくはないのでした。
 正直なところ、大学の成績としては優とか良とかつけられますが、素人目にもわかるほどの画然とした実力の差などというものはないと言ってよいかと思います。誰が聴いてもその才能がはっきりわかるというような天才は、せいぜい数十年にひとり出るかどうかです。
 それではその後の差はどこで生まれてくるのかですが、結局「コネ」なのでした。
 コネというといい印象がありませんが、言い換えれば人間関係です。人間関係に恵まれた人はたくさん仕事にも恵まれ、それらをこなしているうちに経験値を重ねることができ、実力そのものがアップしてゆくわけです。
 私の同年代にも、テレビで大活躍している作曲家が何人も居ますけれども、それらの多くは、身内がテレビ局関係者です。これはヤッカミで言うのではなく、そういう関係を大切にして、丁寧に誠実に仕事をこなしてきたから、大活躍もできるようになったのだということを言いたいわけです。
 信用を得るということこそが大事なのでした。ある人に信用を得れば、その人が保証することで他の人からも信用されることになります。そうして次第に人間関係が拡がってゆくのですが、最初の段階で信用を得ることに失敗すると、一向に拡がらず、仕事も来ず、結局たとえ有り余る才能を持っていてもそのまま立ち枯れてしまうという悲劇的なことになります。
 信用を得るのに必要なのは、もちろん才能ということもあるでしょうが、それは言ってみればある水準を満たしてさえいればあとは大した問題ではありません。それよりも、期日を守るとか、打ち合わせに遅刻しないとか、誠意を感じさせるとか、一見つまらぬことのほうが大切だったりします。実力のほうは、場数を踏んでいるうちに上がってくるものですし、甚だしく低水準のものさえ作らなければさしあたりOKです。

 一応食えているということは、とりあえず私もそういう道を辿ることができたのだろうかと思います。あまり実感はないのですが……
 考えてみれば、これは作曲の世界だけの話ではなさそうです。まっとうなサラリーマンであっても、今後、会社の名前だけで仕事をしてゆくのは難しい時代になるのではないでしょうか。そういう時に役に立つのは、やっぱり人間関係の豊かさであろうかと考えられます。
 インターネットもやはり人間関係のひとつですから、ネット付き合いも大切にしたいですね。リアルとネット上とで、まるっきり性格の違う人も多いようですが、

 ──どうせネットは匿名の世界だから。

 と軽く考えているのであれば、その程度に軽い恩恵しか受けることはできないはずです。
 私はネットで知り合った人も、リアルの友人と同じように考えております。それがうざったいという人も居るでしょうが、そう思っていたからこそ、「想い出が ふわり」「秘密の小箱」「Suite: Sweet Home」などの作品も生まれ得たわけで、これからもネットでの人間関係を大切にしてゆこうと思っています。

(2004.5.27.)

トップページに戻る
「商品倉庫」に戻る
「忘れ得ぬことども」目次に戻る