忘れ得ぬことども

日本語のイントネーション

 「お客様の声」で、日本語のイントネーションの話が出ていました。
 日誌で日本語論のようなことを書くと、けっこう掲示板で反響があったりするので、またこんなことを考えてみようかと思うのですが……
 声楽曲を作曲することが多いもので、私は日本語のイントネーションにはわりと敏感な方だと思っています。時々間違えて、歌い手に指摘されるようなこともないではありませんが(^_^;; この前も「さぞかし」という言葉のイントネーションを完全に間違えて憶えていたことが判明。私は「さ↑ぞかし」と尻上がりに読んでいたので、それに「♪レラララ♪」というメロディーを宛ててしまったのですが、本当は「さ↓ぞかし」であると指摘され、急遽メロディーを「♪ラソソソ♪」と作り直しました。しかしながらこういうイントネーションにわりかし無頓着な作曲家も少なくありません。
 無頓着ではないけれども、私と同様間違えて憶えている、あるいは方言でのイントネーションをつけてしまう人もいて、他人の曲を見ていると時々ニヤリとさせられたりします。

 日本語は高低アクセントと言われていますが、実は仔細に見ると、単語レベルでは2段階複合語〜文レベルでもせいぜい3段階の高低差しかありません。中国語などに較べると甚だシンプルです。「国会議事堂前」というような長い言葉でも、「こっ↑かい↓ぎ↑じどうま↓え」と2段階だけ(「ぎ」の部分を下げない人も多い)で言えてしまいます。
 シンプルなだけに、イントネーションが逆になっていたりすると違和感も大きいようです。
 ただし、違和感があるだけで、それこそ中国語などとは違い、言葉として通じなくなるということはないので、外国人が習う分には楽な言語ではないかと思います。

 ずいぶん前のことですが、私の両親が中国を旅行した時、ガイドの女の子に大変世話になったので、お礼に帰国後、彼女の日本語学習の一助とすべく、日本語テキストの会話例文をうちの家族でテープに吹き込んで送ったことがありました。
 どうということはない作業だと思ったら、これがなかなか大変でした。「自転車」は「じ↑てんしゃ」なのか「じ↑て↓んしゃ」なのか。「映画」は「え↑ーが」なのか「え↓ーが」なのか。「電車」はどうだ、「父」はどうだ、などと家族内で侃々諤々の議論になったものでした。
 ある駅で「一番線に電車が参ります」と男性の声で、「二番線に電車が参ります」と女性の声でアナウンスしていましたが、男性は「で↓んしゃ」と、女性は「で↑んしゃ」と発音していたので奇妙な気分がしたことがあります。皆さんはどちらで発音なさいますか?
 ことほどさように日本語のイントネーションというのは厳密に考えると意外と難しい、一面ではわりといい加減(どっちでもいいじゃないか、で充分通用するという意味において)なものらしい。

 ところで、「カ↑レシ」という言い方が蔓延し始めた頃、テレビのCMなんかでも皮肉られていましたが、最近はすっかり定着してしまったのか、ことさらに話題にもならなくなってしまったようです。この言い方は実は栃木県とか茨城県あたりのイントネーションで、その辺の女の子たちが東京に遊びに来てそういう発音でしゃべっているのを聞いた他の地方から来た子たちが、「トーキョーっぽい」と誤解して真似し始めたのが起こりだと言われます。
 なぜこの言い方を「トーキョーっぽい」などと誤解したのか不思議な気がしますが、これには私が「お客様の声」で紹介した、「専門家イントネーション」が影響しているのではないかと思います。
 どういうわけだか、各ジャンルの専門家たちは、自分の専門とする分野のターム(術語)を、一般的なイントネーションからずらして発音する癖があるようです。ことに目立つのは、本来尻下がりで発音されるべき言葉を、尻上がり、もしくはアクセントなしの平坦なイントネーションで発音することです。
 コンピュータ用語の「データ」「メモリ」「ディスク」「ロム」「ボード」「モニタ」「ドライバ」などなど、いずれも本来の外来語としては尻下がりに「デ↓ータ」「メ↓モリ」と発音するべきものです。もとになっている英単語のアクセントからしてもそのはずです。しかしコンピュータの専門家はかなり以前から、これらの単語をみんな尻上がりか平坦に発音しています。「メ↑モリ」という発音では「目盛り」と区別がつかないのではないかと思うのですが、その辺あまり頓着しないようです。
 コンピュータ業界がいちばん顕著ですが、音楽業界や放送業界、映画業界から建築業界などに至るまで、似たような事例にことは欠きません。どんなジャンルでも隠語のたぐいはあるものですが、この奇妙なイントネーションの変化は隠語とも言い切れないし、どういう言語心理から来ているものなのかよくわかりません。
 ともあれそれぞれの業界人がそのようなしゃべり方をしているので、逆にそういうしゃべり方をすれば「ギョーカイ人っぽい」→「カッコいい」と思った周辺の連中も真似し始め、かくて平坦発音大流行とはあいなったのでありました。軽薄と言えば軽薄ですが、ひとたび「カッコ良さ」のコンセンサスができてしまうと、あとは雪崩的に拡まってしまうのは言葉の話だけではありますまい。
 そしてこの「ギョーカイ人っぽさ」がいわば「都会人っぽさ」の指標のように思われ、従って専門用語でもなんでもない「カ↑レシ」のような言葉も、それが尻上がり・平坦イントネーションであるがゆえに「トーキョーっぽい」と見なされ、ここまで普及してしまったのではないか……というのが私の推理です。

(2002.8.16.)

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