忘れ得ぬことども

イスラム雑感

 このところイスラム関係の本を何冊か続けて読んだのですが、われわれが理解するのはどうもなかなか難しそうだという印象が拭えません。イスラム教というのはある意味、日本人の感性からいちばん遠いところにある宗教なのかもしれないとさえ思えます。
 日本人は基本的に、森羅万象どこにでも神様がいると思っています。はっきりそう意識はしていないとしても、根っこにはそういう感覚があって、山を見ても森を見ても、それなりにどこか厳粛な気分になることがあるはずです。
 それだから、他人が信じる神様も、たとえ自分とは違っていてもそれはそれで認めようという気になりますし、現に仏教からキリスト教から受け容れてきました。
 その点、唯一絶対の神をあがめ、それ以外のものはあがめるどころか尊重することさえ許さないという激しさには、どうもついて行けないのです。いちばん厳しい派では、テレビを見ることさえ禁じるべきだとしているそうです。なぜなら、画像を鑑賞するのは偶像崇拝にあたるから。かのタリバーンも、テロのこととは別に、仏教遺跡を破壊したことでだいぶ評価を下げたのでしたが、異教の遺跡など破壊して当然という意識があることは確かでしょう。
 それでも、世界中で十何億というオーダーの人々がイスラム教に帰依しているからには、われわれとしても無視するわけにはゆきません。何かいいところがあるから帰依するに違いないわけで、それを知りたいと思います。ただ、こういう好奇心を、できればイスラムの人たちの方にも持って貰いたいと思っているのですが、それは無理な話なのでしょうか。

 コーランというのはアラビア語で読まなければならないそうですが、私はもちろんアラビア語など読めませんので、日本語訳を読んだことがあるばかりです。
 なぜアラビア語でなければならないかというと、神がムハンマドに語った言語がアラビア語だったからだそうです。神は有史以来、アブラハムやら、モーゼやら、エリヤやら、イエスやらを通じて人間に言葉を与えてきたけれども、人間はなかなか悔い改めない、そこで最後に、ムハンマドに自分自身の言葉で語りかけた、その言葉がアラビア語だったのでした。なんつーこじつけを、と異教徒たるわれわれとしては言いたくなるところですが、イスラム教とはまずここを信じなければ話にならないわけです。
 そして、神の言語であるアラビア語を母語としているために、アラブ人はもっとも神に近い民族なのだという感覚があるようです。しかし、この選民意識はそれほど強固なものではなかったようで、強固であればこれほど広まりはしなかったでしょう。なんとなく「イスラム=アラブ」というようなイメージがありますが、もちろんそんなことはありません。東南アジアやアフリカはもちろん、同じ中東でもイランなどはアラブとはまったく系列の違う民族です。ついでながらイランがシーア派という、イスラムの中でも少数派の宗派を国教としているのは、アラブなどよりはるかに古くすぐれた文化を育んできたイラン人のプライドのためだという説も。

 ともあれ私は日本語訳を読んだだけなので、コーランの本当の味はわかりませんが、旧約聖書の詩編であるとか、新約聖書のイエスの言行なんかに較べると、記述がおそろしく具体的でかつ現世的であり、多様な解釈を許さないところがあるように思われました。
 6世紀のアラビアでは、まだ人々は形而上的な思考をする段階には達しておらず、ムハンマドとしては具体的な言葉で日常の生活習慣とか、人付き合いの倫理とか、衛生観念とかいったことを教育しなければならなかったのだと思われます。
 コーランというのは教祖の言葉というよりも、「教育者の言葉」と解した方が妥当な気がします。人間というのは、ある時期、こうした形で教育されない限り、倫理とか規律とかいうものを身につけることができない生き物なのかもしれません。
 現在でも自己啓発セミナーのたぐいで、指導者の言葉を一字一句たがえずにみんなで復唱するというようなメソードが用いられることがありますが、コーランももともとそういった性格のものだったのではないでしょうか。文字に書かれたのはムハンマドの死後しばらく経ってからのことでした。
 イスラム教徒として努力し、その結果として命を落とした者は、例外なく極楽に迎えられます。この極楽というのがまたおそろしく具体的な描写を伴っており、仏教やキリスト教のそれとはひと味違っています。酒の川が流れ、ありとあらゆる食べ物が揃っているそうですし、迎えてくれる天女ときたら何度ヤっても処女のままなんだそうです。こんな極楽が保証されているのであれば、現世で少々の我慢をすることくらい大したことではないと思われるのでしょう。あの世で浴びるほど酒を飲めるのだから、この世で酒が禁じられていてもつらくないわけです。
 ついでながら、この「努力」という言葉が「ジハード」です。もっぱら「聖戦」と訳されていますが、戦争に限ったことではありません。
 教義の表現や描写がすこぶる具体的であるという点が、イスラム教が多くの人々に受け容れられた秘密ではないかと私は思っています。民族や種族に優劣がないとは思っていますが、形而上的な思考の得意不得意ということはあるように思えます。東南アジアのように、もともと仏教が盛んだった地域にイスラム教がかなりあっという間に拡がってしまったのは、かなり高度な思弁を必要とする仏教についてゆけない人々が多かったからではないでしょうか。

 イスラム教は世界宗教としてはかなり若いものです。仏教は創始以来2500年ほど経っていますし、キリスト教も2000年経ちました。それに対し、イスラム教はまだ1500年に達していません。
 乱暴な比較ではありますが、キリスト教成立1500年前後を考えてみれば、イスラム教の現在の「熱さ」も理解できそうです。15世紀といえばカトリック教会の権威がほぼ最高潮に達しており、それに対してぼちぼちと宗教改革のうねりが出始めていましたが、教会は全力でもってそれらを叩き潰そうとことごとに居丈高になっていました。いわゆる近代科学と教会権威が激突したのもこの時代で、ブルーノが火刑となり、ガリレイが迫害されたのはご存じの通り。
 現在のイスラム教は、キリスト教で言えばまさにこういう段階にあると考えてよいわけです。キリスト教とイスラム教、それにユダヤ教は、実は兄弟宗教であり、根はひとつなので、発展の経過もある程度似ているのかもしれません。
 キリスト教では、ルネサンス期の生産力の向上や、大規模交易に伴う富の蓄積などにより、それまでのカトリックの教義では対応できない事態が多くなり、それらを組み込んだ形での新しい教義が生まれました。言うまでもなくこれがプロテスタントです。しかし、カトリックとプロテスタントはその後数百年に渡って血みどろの戦いを繰り拡げました。イスラム教もこれと同じように進化するのだとすれば、そろそろルターカルヴァンに相当する改革者が生まれるのかもしれませんが、既成宗派はこれを叩き潰そうとし、これまた血みどろの戦いが蜿蜒と続くことになることでしょう。世界平和はまだまだ遠いようです。

 イスラム教はユダヤ教やキリスト教から分化した宗教だけに、それらとの連続性をちゃんと意識しています。イエスについても評価しており、ただし神の子ではなくて、ムハンマド以前の最大の預言者であったという位置づけです。もちろんイエスを神の子と見なさない点で、キリスト教徒にとっては容認できないわけですが。
 逆にイスラム側から見ると、キリスト教徒というのは、預言者のひとりに過ぎないイエスを神の子などと信じている点で誤謬を犯してはいるものの、その誤謬を改めさえすれば、自分たち同様救われるのだと解釈しています。だから本来、イスラム側からキリスト教を敵視することはありませんでした。中世の十字軍の時も、イスラム側は最初彼らを巡礼と見なし、エルサレムまで道案内したほどでした。
 ところが十字軍は、エルサレムに着くや、信じがたい乱暴狼藉を働き始めたので、イスラム側はびっくり仰天したわけです。当時、ヨーロッパは後進地域で、イスラム帝国となっていた西アジア地域の方がずっと文明が発達していましたから、十字軍というのはいわば先進文明圏に対する蛮族の侵攻であったのだという事実は記憶しておいた方がよいかもしれません。これにより両者の不信感が高まりました。
 ユダヤ教に対しても、むしろ同情を持って見ていたようですが、こちらは第一次大戦の時の英国の三枚舌が災いして不倶戴天の敵となりました。よく知られた話ですが、ドイツ帝国側についたオスマン・トルコ帝国を揺さぶるために、英国はオスマン朝支配下にあったアラブ人の独立を約束したフセイン・マクマホン協定と、パレスティナにユダヤ人国家の建設を約束したバルフォア宣言と、アラビア地域をフランスと分け合おうというサイクス・ピコ協定という、まったく相反する3つの約束を交わしたのでした。ユダヤ人たちはもちろんこれを真に受け、どんどんパレスティナに入植して先住の人々を追い払い、イスラエルを建国したのでした。追い払われたアラブ人たちが怒ったのは当然ですし、そもそもの発端となった英国に象徴されるキリスト教徒の背信にも怒り爆発です。
 結局これらが、現在の不穏な情勢につながっているわけで、外部のわれわれから見ると兄弟喧嘩みたいなものです。あんまり巻き込まれたい争いではありません。調停しようにも、彼らから見れば私たちは唯一絶対の神を信じない不埒な連中であり、いずれはこの世から消し去るべき存在なわけなので、大した権威も持ちようがなさそうです。
 しかしそれでも、石油のためにも、国際平和のためにも、放っておくわけにゆかないのが日本の立場としてつらいところで、並外れた外交手腕を必要とするところですが、そんな並外れた外交手腕を持つ外交官が、この国に居るのかどうか。
 せめて、相手を理解しようという気持ちだけは持ち続けなければなりますまい。

(2002.1.28.)

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