忘れ得ぬことども

重力ラマルキズム

 ある科学哲学系サイトで「重力ラマルキズム」という文章を読んだのですが、これはどうやら私が一度掲示板で紹介したことのある新しい進化学説と同じもののようです。なかなか面白い考え方だと思いますし、従来のダーウィニズムの疑問点がこれによって氷解しますので、もう一度まとめてご紹介しておこうかと思います。
 アザラシという動物は、イヌとイタチの中間くらいの動物から進化したとされていますが、この進化の道筋として、

 ──昔々あるところに、イヌとイタチの中間くらいの動物が多数棲んでいました。
 ところがある日、天変地異が起こり、彼らの棲息場所が海に囲まれてしまいました。
 彼らは生きるために、海へ潜って魚を捕らえて食べるようになりました。──

 この先、説が分かれます。

 <A>ある時彼らの中に、遺伝子の異常が起こり、前足がヒレのように突然変異した個体が生まれました。仮にこの個体を新之介と名付けましょう(笑)。
 新之介は他の仲間達と較べ、前足がヒレのようになっているだけあって泳ぎが巧みで、たくさんのエサを捕まえることができました。
 そのため、他の仲間達よりも、たくさんの子供を作ることもできたのです。
 新之介の子供達は、彼の遺伝子を受け継いだためみな前足がヒレのようで、従ってやはり他の仲間達よりもたくさんエサが得られました。
 新之介の子孫にエサをたくさんとられてしまった他の仲間達の子孫は、次第に数が少なくなり、ついに滅亡してしまいました。
 残ったのは新之介の子孫ばかりで、彼らはアザラシと呼ばれる別の生き物に進化していたのでした。

 <B>彼らは海に潜ってバタバタと泳ぎましたが、その時の前足の使い方は、それまで陸上を駆け廻っていた時とはまったく違いましたので、多くの個体の骨の形などが変形してしまい、ヒレのようなものに変化してゆきました。
 彼らの子供達も、同じように海に潜らなければ生きてゆけませんでしたので、前足がヒレのように変化しました。
 そうして何代も続いているうちに、初めから前足をヒレのような形に作るように遺伝子が変化した個体が登場、それは別に淘汰される理由がありませんので、次第に群れの中に広まって、ついにもとの動物とは別の、アザラシと呼ばれる生き物になったのでした。

 <A>が従来のダーウィニズムによる説明、<B>が重力ラマルキズムによる説明で、どっちがもっともらしいかということですね。

 現在のダーウィニズムは、ダーウィンが最初に唱えた説そのものではありません。のちの遺伝子学の発展と結合し、ネオダーウィニズムというものになっています。基本的には遺伝子の突然変異自然淘汰とを二本柱とする立場で、それ以外には進化は起こり得ないとしています。
 突然変異によって従来種より生存に有利な個体が生まれると、自然淘汰により、その個体の子孫が繁栄するようになって元の種と入れ替わるというわけです。
 しかし、従来種より生存に有利な遺伝子の突然変異というのが、どの程度の頻度で起こるものなのかが疑問です。実際問題として、突然変異した遺伝子を持つ個体は、ほとんどが生存に有利どころか、奇形を生じたりして、自力で生きてゆくことすら困難になると考えた方が妥当でしょう。まして、子孫を残すところまでゆくかどうか。
 仮に子孫を残せたとしても、雌雄異体の動物であれば、配偶者は変異していない遺伝子を持っているわけですから、子供にその変異を残せる可能性は50%です。同じ変異が起こらない限り、代を累ねるに従ってだんだんと薄まって、ついには正常な遺伝子に埋没してしまうでしょう。
 こう考えると、突然変異と自然淘汰による進化というのは、そう滅多に起こるものではないという気がしてきます。生物がこれだけ多様に進化するためには、生命誕生から現在までの38億年ばかりではとても足りないのではありますまいか。

 ラマルキズムつまりラマルク説というのは、古典的には次の二点を柱とします。
 1.用不用説──よく使う器官は発達し、使わない器官は退化する。
 2.獲得形質の継承──用不用によって変化した形質(獲得形質)は生殖によって子孫に伝わる。
 このうち、2番の「獲得形質の継承」が問題となって、学説としては葬られてしまったのです。一代限りの獲得形質は、遺伝子が変化していない限り子孫へは決して遺伝しません。ボディビルをきわめた男の子供が最初から筋肉ムキムキで産まれてくるなんてことはあり得ないのです。
 もっともラマルクの時代には遺伝子などという観念はありませんでしたので、彼は別に「獲得形質が遺伝する」と言ったわけではないのですが、「生殖によって子孫に伝わる」というくだりが「遺伝する」と読み替えられてしまったわけです。

 重力ラマルキズムあるいは新ラマルク説は、遺伝子による継承を否定しているのではありませんが、そのもっとも大きな柱は、「環境要因が同じならば、同じ動物には同じ形質が発現する」という点にあります。つまり、息子だってボディビルをきわめれば親父と同じような筋肉ムキムキになるよ、ということですね。もちろんボディビルなんてのは自由意思でやることですので、この喩えは正確ではありませんが、上に書いたアザラシの進化のように、やむを得ざる環境変化ということがあれば、子孫代々同じ形質変化が発生してもおかしくはありません。
 そして、この形質変化という奴が、意外と簡単に起こるものらしいのです。
 何万年かあとの人が現代の日本人の化石を発掘したとしたら、20世紀頃に人種交替があったと結論するだろうと言われています。20世紀というわずか100年の間に、成人男子の体格が劇的に変化しました。平均身長は20p近く延び、ことに足の長さがずっと長くなり、顎が小さくなっています。身長が高く足が長く、顎の小さな外来民族に、従来の民族が追い払われてしまったのだろうと結論しても無理はありません。
 もちろんそんなことはないので、主に食生活の変化がこの体格変化を産み出しました。食生活程度で形質というのはこんなにも変わるのです。そして、背の高い父母の子供はやっぱり背が高いことが多いですが、食生活が父母と同様であればそれも当然でしょう。
 こういう実例を見れば、動物の形質変化なんて簡単なものだと思わざるを得ません。

 ホヤという動物はいわゆる原索動物に分類され、われわれ脊椎動物の近縁の祖先だとされています。ホヤは幼生の時はオタマジャクシのような形をしていて水中を泳ぎ回っていますが、やがて尾が落ち、岩に固着して成熟します。あとはプランクトンなどを捕って食べつつ、一生を岩にへばりついて過ごすわけです。
 これを、幼生の時のオタマジャクシ形態のまま成熟させることができれば、もっとも原始的な脊椎動物である円口類(ヤツメウナギの仲間)と非常に似たものになります。研究者は、海水中のある種のイオン濃度を調節することで、固着させないまま成熟させることに成功しました。さすがにそのまま生殖させることまではできていないようですが、一生泳いだままのホヤという不思議な動物ができたわけです。
 泳ぐことによって、この遊泳ホヤの身体に変化が生じました。慣性の法則が働き、内臓がだんだんうしろへ引っ張られて、細長い形態になったそうです。こうなるともうじき魚の形に変化するのは時間の問題という気がします。
 もしこの遊泳ホヤが生殖により子孫を作ったとして、イオン濃度が同じなら子孫もまた固着せず遊泳生活を送ることになるでしょう。しかししばらくの間、イオン濃度さえ元に戻れば、またもとの固着ホヤになるはずで、つまり遺伝子は変わらなくとも、形質の変化が累代受け継がれることはあり得るわけです。

 この場合の慣性とか、あるいは水中と陸上の重さの感じ方の差であるとか(水中では浮力のため、重さの感じ方がはるかに小さくなる)、主に重力などの環境条件を考慮に入れた学説であるため、重力ラマルキズムと称されるわけです。
 ラマルク説の1番・用不用説は、環境適応による形質変化という意味では完全に正しいわけですし、この説が葬られる原因になった2番・獲得形質の継承も、遺伝子による遺伝という意味ではなく、環境条件による形質変化の継続性という意味に捉えれば、この場合まったく妥当な考え方に思えます。
 むしろ今までの進化論がそういった環境条件をまるで考慮していなかったのが不思議というべきですが。
 研究者は慎み深く、これは生物一般に適用できる考え方であるとは主張せず、今のところ脊椎動物のみを対象とした仮説であることを認めています。たとえば昆虫類などになると、身体が圧倒的に小さいため、重力などの要因の働き方が脊椎動物とは違うかもしれないというわけです。
 しかし大筋の考え方は応用できるのではないかと私は予想しています。

 ダーウィニズムは20世紀には、一部の狂信的宗教を除いてはほとんど絶対の真理のように考えられてきましたが、実のところ仮説の域を出るものではありません。なぜなら、実験による検証を経ていないからです。動物の遺伝子に突然変異を起こさせることは可能になりましたが、それが生存に有利な変化を産み、従来種を淘汰してゆくというところまでは、一度も検証されていません。ただ、多くの事例を説明できるため、「蓋然性(プロバビリティ)の高さ」を買われただけのことです。
 しかし、蓋然性が高いことは、必ずしもそれが真理であることを意味しません。
 蓋然性の高さを真理と見間違えるほど非科学的な態度はないのであって、多くの擬似科学も同様の態度をとってきたことを忘れてはいけないのです。
 ダーウィニズムが擬似科学だと言うつもりはありませんが、実際にはいくつもの孔があることは認めざるを得ないと思いますし、よりもっともらしい説があるものならそれに取って代わられる可能性はいつでもあると考えるべきでしょう。

 重力ラマルキズムの、環境要因が同じならば獲得形質も同じになるという点は、すでにいくつもの実験で検証されています。そして、遺伝子の突然変異の意義も、ダーウィニズムとは逆の方向とはいえちゃんと織り込まれています。つまり、形質変化を固定化させるのはやはり突然変異によるもので、むしろ淘汰されない条件を満たした突然変異こそ遺伝子進化の実体であるというわけです。
 遺伝子というのは案外柔軟なものであって、外部環境によっていろんな働き方をするもののようです。前足を作る遺伝子であっても、必要とあればヒレを作ることもあるということらしい。遺伝子情報をコンピュータプログラムに喩えるなら、実は思いのほかIF文が多く、変数の価によっていかようにもアウトプットが変化するのだと言えるでしょう。
 未来SFなどで、反逆遺伝子のようなものが設定され、支配層の手によってその遺伝子のキャリアが抹殺されるというようなのがよくありますが、いちいち探し出して抹殺するよりは、その遺伝子が発現しないような環境を調えるという対処法の方がよほど簡単でしょうね。
 ともあれ遺伝子学も包含した形で蘇った重力ラマルキズム、遠からずダーウィニズムに替わる新しい進化論になるのではないかと私は期待しています。

 参考文献……西原克成「生物は重力が進化させた」(講談社ブルーバックス)

(2001.7.22.)

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