忘れ得ぬことども

不思議な動物ボノボ

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 「お客様の声」炎のコンティヌオさんが「ボノボ」の話を出しておられました。この不思議な猿については私も興味を持ったことがあります。
 以前はピグミーチンパンジーと呼ばれ、チンパンジーの一種と考えられていました。名前が原産地で呼ばれている「ボノボ」となったのは、形容としてピグミーという特定の民族名を用いるのはマズいんじゃないかという配慮もあったことと思われますが、実はチンパンジーとはかなり異なる動物だということがわかってきたことが大きいのでしょう。
 チンパンジーと異なる動物であることがわかってきたのは、確か動物園で、ボノボをチンパンジーと同じ檻に入れておいたところ、なぜか他のチンパンジーとまったく交わろうとせず、常に孤独そうに見えたのを、係員が不審に思ったのがきっかけだったように記憶しています。よく調べてみると、形態も生態もチンパンジーとはずいぶん違ったところが多いことが判明したのでした。
 そして近年の生物学最強の武器である遺伝子解析をした結果、なんとボノボの遺伝子は、チンパンジーよりも、むしろヒトにずっと近いことがわかってしまったのでした。つまり、ヒトとボノボとの間に境界線を引くくらいならば、ボノボとチンパンジーとの間に境界線を引いた方がはるかに妥当だということです。
 そして、驚くべき類似性も明らかになったのでした。

 チンパンジーやオランウータンなどの類人猿が進化上ヒトときわめて近いというのはよく知られていますが、それでもなお類人猿が直接ヒトとリンクするとは言い切れない部分があります。そのひとつに、社会性ということが挙げられます。
 チンパンジーにせよ、オランウータンにせよ、ゴリラにせよ、基本的には森の中で単独生活を営んでいます。せいぜい家族単位であり、大きな群れを作ることはまずありません。
 これに対し、人類はとにかく群れなければ生きてゆけない動物です。その点類人猿よりむしろニホンザルなどに似ており、この「社会を作る習性」はどうも途中で獲得したものではなく、ヒトがヒトとなった初めから備わっていたらしい。その点、根っからの孤独生活者である類人猿とそれほど近縁であると言い切れるのかどうか。
 ところが、ボノボは群れを作り、かなり高度の社会性を持っているのだそうです。チンパンジーなどという「下等な動物」と同じ檻に入れられたボノボが淋しそうだったのは当然なのでした。

 さらに、ボノボには決まった発情期がないということがわかりました。
 動物のほとんどは、生殖できる時期というのが限られています。動物全般に話を拡げるとややこしくなるので、哺乳類だけに限定するとしても、どの種類にも発情期というのがあります。いわゆるサカリがついた時期で、この時期には啼き声まで普段と違っているのは、猫のケースなどを考えればわかりやすいでしょう。
 これ以外の時期には、たとえオスがその気になってもメスの方で相手にしませんし、そもそもオスだってそんな気にはならないようです。これはもちろん、妊娠・出産・子育てという一連の作業を、例えば外敵が少ないとか、エサが豊富にあるとか、そういう時期に限っておかないと、無駄ダマが多くなってしまって非効率だからです。
 長らく、この当然の道理に反する哺乳動物は、自然界でただ一種類だけだと考えられてきました。言わずと知れた人類です。人類には発情期がなく、言い換えれば年柄年中発情期、いつでもどうぞ状態である唯一のスケベな動物と思われていたのでした。
 ところが、ボノボはどうやらこのスケベ仲間に加われそうなのです。

 ヒトがいつでもどうぞ状態になったのは、耕作を始めて食物が確保でき、武器を発明して事実上天敵がいなくなったため、安心して年柄年中子作りに励めるようになったからだ、という説が今まで有力だったのですが、ボノボも同様だとすると、この説の根拠が少々怪しくなってきたようです。ボノボは非常に知能が高いようですが、さすがに耕作はしませんし、天敵がいないわけでもありません。
 ヒトはそのうち子作りに関係ない交尾、すなわち快楽のためのセックス、言い換えれば文化としてのセックスを始めるようになりますが、驚いたことにボノボの性行動も、文化としてのセックスとしか思えないようなふしが見られるそうです。
 売春、つまりメスがなんらかの見返りを求めて自発的に強いオス(人間の場合、それが「お金を持っているオス」になっているだけの話)に身を委ねる、という行動は、ニホンザルの群れでも見られるそうですが、もちろんボノボの群れにも普通に観察されるらしい。人類最古の職業と言われますが、それどころではなさそうですね。

 ヒトが、ヒトになることによっていつでもどうぞ状態が可能になったのではなく、逆に、いつでもどうぞ状態だったからこそここまで発達してきてしまったのかな、とも思うのですが、それならボノボがヒトのようになっていないのはなぜなのか。途中までほぼ同じような進化をしてきたのに、何かの理由で人類との生存競争に敗れたのか?
 ボノボの話を聞いたり読んだりしていると、人間とは一体なんなのだろうという疑問がふつふつと湧き上がってくるのを感じざるを得ません。あれだけ高い知能を持つ動物が群れを作って社会生活を営んでいるとすれば、おのずから群れの中での倫理とか道徳とかいう観念も芽生えていると考えた方が良さそうな気もするし。

 ちなみに、スケベな動物であるヒトは、霊長類中では断然、他を圧して巨根であるそうです。ゴリラなんか大きそうな気がしますが、相対的にはもちろん、絶対的にも人類のそれは抜きん出て巨大だそうで。
 ニホンザルなんか見ればよくわかりますが、発情期になるとオスもメスも、股間を真っ赤に腫れ上がらせてアピールしていますけれど、オスのアピールはもっぱらタマの方であって、サオの方はさして問題にされていません。確かに、優秀な子孫を残そうという場合に重要なのはサオよりもタマでしょう。
 しかし、人類は子作りと関係のない交尾を愉しむ方向に進んだため、サオが巨大化する傾向が出てきたものと思われます。こう考えると、おれのは小さいんではないかなんてことは、大して悩むに価しないことがわかりますね(^o^)
 同じようにスケベな動物であるらしいボノボのサオはどのくらいになっているのか、そのデータは寡聞にして存じませんが、他の霊長類よりは大きいんではないかと予想しています。
 まったく、不思議な動物が居たものです。ヒトと言い、ボノボと言い。

(2001.6.28.)

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 ボノボを扱った番組をNHKでやっていたので見ました。ジョージア大学言語学研究所に居るボノボと、日本の中学生たちが、衛星中継で話をしようという試みです。
 この研究所にはカンジというオスのボノボと、その妹のパンバニーシャというのが居て、人間の言葉を理解するばかりか、自分の意思を音声キーボードを使って伝えることさえできるのだそうです。本来は彼らの母親に人間の言葉を教え込もうという実験だったのが、研究員が母親にいろいろ教え込んでいるのを側で聞いていた赤ん坊の方が、いつの間にかどんどん言葉を憶えてしまっていたのだそうで。人間でも、大人になってから外国語を憶えるのは苦労するのですから、これも無理はない話です。
 のどや舌の筋肉の付き方が違うので、さすがに言葉を発音することはできませんが、音声キーボードを介してちゃんと意思の疎通はできているのでした。
 中学生たちは憶えたての英語で彼らに話しかけます。衛星中継を挟んでのことですからなかなか大変ではないかと思ったのですが、カンジ君たちの反応は上々でした。もっとも、ずっと研究員のスー・ランボー博士が付き添っていて、しょっちゅう口添えをしていたようですけどね。見ていると、どちらかと言えば妹のパンバニーシャちゃんの方が、発音が多少あやしげでも正しく認識してくれているような気がしました。

 ともかく、人間以外の動物と会話ができるというのはすごいことです。
 ペットを飼っている人は、自分のペットとなら話ができるとよく言いますが、それは本当に会話をしているわけではないことはもちろんで、その証拠に飼い主以外の人間とはさっぱり意思が通じません。一緒に暮らしている同士だから、表情や身振りなどからお互い相手の意思が大体想像できるというだけのことです。
 今回の番組では、見も知らない日本の中学生、しかもその場に居るわけではなくモニターに映っているだけの相手ともボノボがコミュニケイションできるということが示され、やはり並々ならぬ知能の持ち主であるとわかりました。
 チンパンジーに言葉を教える試みがほぼ失敗しているのですから、驚くべきことです。

 テレビ雑誌の番組案内では、依然としてボノボを「チンパンジーに近縁の類人猿」などと紹介していましたが、前にも書いた通り、遺伝子的にはボノボはチンパンジーよりむしろ人間に近縁らしいのです。
 番組の途中で、野生のボノボの生態を写したフィルムが挟まれましたが、子供をおぶって二本の脚で楽々と歩いています。他の類人猿のような、おぼつかない二足歩行ではなく、その足取りはすこぶるしっかりとしており、歩幅も広いものでした。二足と四足と半々くらいで暮らしているらしい。その骨格形態は、人類最古の完全な化石である猿人「ルーシー」ときわめて類似しています。
 前にボノボのことを書いた時、

 ──人間とは一体なんなのだろうという疑問がふつふつと湧き上がってくるのを感じざるを得ません。

 なんてことを書きましたが、それに対し、「お客様の声」に、

 ──人類の定義は「完全な二足歩行をする動物」だそうだ。

 と書き込みがありました。現生人類(ホモ・サピエンス)はそれでよいとしても、一応人類(ホモ属)とされているルーシーがはたして「完全な二足歩行」をしていたのかわかりませんし、ちょくちょく四足でも歩いていたなんてことになれば、ボノボと一体どこが違うのだという気がしてきます。
 その上この前書いたように、ボノボは人間同様決まった発情期がなく、いつでもどこでも交尾可能らしいのですから、こうなると、類人猿というより何やら「類猿人」とでも呼びたくなってきますね。
 「いつでもどこでも」と書きましたが、もしかすると交尾にあたってはそれなりの「ムード」なんてものまで要求するのかもしれません。中学生が出演する番組だけあって、交尾については何も触れられていませんでしたが、いずれ彼らの性生活の実態を扱った番組も放映して貰いたいものです。

 先週やはりNHKで「アジア自然紀行」というシリーズ番組をやっており、そこでも各種の猿が登場していました。人間みたいなことをしている時もありましたが、彼らはやはり猿で、猿以外の何者でもないようにしか見えません。
 しかし今日ボノボとのコミュニケイション実験を見ていると、実際、サルなのかヒトなのかよくわからなくなってくることがしばしばでした。黒人の老人などにこんなのが居そうだなあなどと思ったり(念のため──これは黒人を蔑視しているのではなく、単純にボノボの色が黒いからそう思っただけのことです。ニホンザルみたいに肌色をしていれば別の人種を連想したでしょう)。
 動物の進化のキーポイントのひとつに「幼形成熟(ネオテニー)」というのがあり、人類は幼形成熟した猿なのではないかという説があります。子供の猿の形態のままで成熟するようになったのだろうという話で、だとすると成体の猿が人間の老人のように見えるのもわかります。それでも仕草などに猿らしさはどうしたって顕れるわけなのですが、ボノボの場合これが本当に微妙なところなのです。
 300万年くらい経ったら、ボノボも人間のようになっているのかもしれませんね。その時人類の子孫との関係はどうなるか。いや、人類が滅びた時のスペアとして神様が用意した動物なのだったりして。ボノボはとても温和な性質で、人類のような無用な攻撃性が見られないそうなので、もしかしたら彼らの方がうまくやるかもしれませんね。
 そんなことをつい夢想してしまう不思議な動物──ボノボ。

(2001.8.13.)

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