忘れ得ぬことども

アンデルセンの毒

 世界的な童話作家として有名なアンデルセン。この人、なかなか一筋縄では行かない存在であるような気がしてならないのは私だけでしょうか。
 アンデルセンはデンマーク人で、デンマーク語では-nd-の発音が鼻へ抜ける感じになるので、正しくはアネルセン、もしくはアナーセンと表記すべきでしょうが、まあ普通に言われているアンデルセンと書くことにしておきます。
 彼の童話は子供の頃にずいぶん読みましたが、同じ童話集と銘打たれたものの中でも、グリムペローのものとはどうも雰囲気が違うようだと、子供心にも感じていた憶えがあります。もちろんそれは、グリムやペローの童話集が基本的には民間伝承のリライトであるのに対し、アンデルセンの童話集はまったくの創作であるという点が大きいでしょう。グリム童話の深読みは最近ずいぶんおこなわれているようですが、そういう意味では純然たる創作であるアンデルセン童話については、それほど手がつけられていないような気がします。

 アンデルセンの童話を網羅的に読んだわけではないし、この文章を書くために特に読み直したというわけでもないので、記憶の中から漠然と感じることを書くだけなのですが、なんとなく彼の作品には、実は強烈な有毒成分が含まれているのではないかと思うのです。
 決して彼は、純真無垢な人物というわけではなかったと断言したい気分です。
 例えば代表作のひとつとされている「雪の女王」。少女ゲルダが、雪の女王に連れ去られた弟カイを追って苦難の旅を続けるストーリーですが、これは明らかにエレクトラ・コンプレックスが基調になっています。少女にとって圧倒的に強力な母親=雪の女王に対抗し、それを克服して自立するという、ほとんど童話とも思われないようなテーマがこの物語の底流にあることは確かです。
 さらに、奪われ、取り戻すのが血を分けた弟であるというあたり、近親相姦的な雰囲気があって、子供心にもなんだかこの物語にドキドキするものを感じたのは、そういう「危うさ」のせいだったように思います。
 「雪の女王」を子供向けオペレッタにしたのを見たことがありますが、あろうことか、ゲルダとカイを「お友達」にしてしまっていました。これではこの物語に含まれる毒がほとんど中和されてしまって、なんのことやらわからなくなります。おそらく子供の心に残るものは何もないでしょう。こんなしょうもない毒消しをしてしまった無能な脚本家は逝ってよろしい。
 ちなみに、評論家の呉智英氏が「ゲルダに恋してしまった」と書いていたのをどこかで読んだことがあります。そう、白雪姫シンデレラにはそんなにときめくものを感じなかったのですが、ゲルダには、マッチ売りの少女には、人魚姫には、男の子がほのかな恋心を抱く──はやり言葉で言えば「萌える」ことができるのです。その辺が、グリムなどとアンデルセンとがもっとも違うところかもしれません。

 やはり代表作のひとつである「野の白鳥(白鳥の王子)」は、グリム童話にも「カラスの王子」という酷似したものがあります。魔法によって鳥に姿を変えられてしまった兄たちを妹が救うというプロットはまったく同じですから、これはたぶんアンデルセンがグリム童話か、あるいはそのネタになったもとの説話に接して、自分なりに脚色したものと思われます。
 この物語のヒロイン、王女エリサにも何やらときめきましたっけ。
 生まれ育った城を追われたエリサは、兄たちを救うためにイラクサの繊維で7枚のチョッキを編むことになり、しかも編み終わるまで一言も口を利いてはならないという苦行を強いられます。途中で隣国の王様に見初められてその国に連れてゆかれますが、口を利けないために誤解を受け、魔女として処刑されることになるわけです。口を利けないための誤解というあたり、人魚姫の苦難とも共通しますが、エリサの場合しゃべろうと思えばしゃべれるのにそれができない点、より苦しみが大きいかもしれません。
 あわや火あぶりというところで白鳥になった兄たちが飛来し、エリサはほとんど完成していたチョッキを彼らに投げかけて、救われるのですが、7枚目のは袖が未完成だったため、いちばん下の兄だけは片手が白鳥の翼のままになった、というようなきめ細かいオチもつけています。
 このラストシーンはそれなりに感動的なのですけれど、なんとなくとってつけたようでもあり、むしろこの物語を読んで印象に残ったのは、エリサに次々襲いかかる苦難の描写の執拗さだったように思います。
 「野の白鳥」については奇妙な記憶があります。物語のどのあたりだったかさっぱり憶えていないのですが、ある絵本で、入浴中のエリサに3匹の蛙が乗ったら、ケシの花に変わった、というようなことの書かれたページを見たことがあるのです。他の版のテキストではそんなシーンを読んだことがなく、前後との脈絡も定かでなく、ただそのページの異様さばかりが印象に残りました。あまりに異様なのでたいていのテキストでは削除してあるのかな、とも思います。ともかく美少女の裸身と3匹の蛙の取り合わせがひどくエロティックで、私が後年多少色気づいてから、アンデルセンというのは実は一筋縄では行かない作家だったのではないかと思い始めたのは、そのシーンの強烈さのせいだったかもしれません。

 ハッピーエンドで終わらないものが少なくないのもアンデルセンの特徴です。私がオペラで題材にした「豚飼い王子」も決してハッピーエンドとは言えませんし、はっきりしたところではマッチ売りの少女も人魚姫も哀れな最期を遂げます。多少救済めいた描写もありますが、それが死んだヒロインにとってなんになるのだろうと思わされずにはいられません。
 ハッピーエンドのものであっても、それはどことなく付けたりで、作者の主眼はむしろヒロインの苦難の運命を執拗に描くことの方にあったのではないかと考えられるものが多いような気がするのは、読み方として勘ぐりすぎでしょうか。なお、「ヒロイン」と書いたのは、彼の童話の中で苦難の旅路にさまよい、悲惨な運命に弄ばれるのはなぜか女性が圧倒的に多い気がするからです。
 ぶっちゃけて言えば、アンデルセンという人はカワイイ女の子がカワイソーな目に遭う場面を書くのがこよなく好きだったんではないかという疑いを私は持っているわけです。冒涜かな(^_^;;

 ややマイナーですが、「ある母親の話」というすさまじい作品があります。これも「雪の女王」と似ていますが、連れ去られた赤ん坊を取り戻すために黄泉の国へ旅する若い母親の物語なのですが、行き合う連中はどいつもこいつも、情報と引き替えに彼女のいろんなものを奪って行きます。豊かな黒髪であったり、若々しい肌であったり、歯であったり眼であったり、ともかくもうヒロインはこれでもかというくらいズタボロになってゆきます。
 母性愛なるものがそれほどに気高く強いということを描きたかったのだ、という通り一遍な解釈には私は与しませんで、作者の裏の興味は、やはり若い女がそうやってボロボロになってゆく経過を執拗に書いてゆくこと自体にあったのではないかと。はっきり言ってかなり鬼畜ですよ、この話。うーむ、人妻モノか(をいをい)。

 そんなわけで、アンデルセンは童話という名前に隠れて、実は相当アブナいことを書いていた人だったのではないかというのが私の印象なのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。
 もちろん、それだからと言って彼の童話が子供に不適当だとはまったく思いません。描写がどこまでも美しいのは事実ですし、前述のオペレッタのごとく、そうした有毒成分を取り除いたものばかり与えられた子供は、どこかが欠落した人間になるのではないかという気もします。毒というのは使い方次第で薬にもなると決まったものですしね。

(2001.4.15.)

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