忘れ得ぬことども

わがシャーロッキアーナ

 何を隠そう私はかなりのシャーロッキアンで、日本シャーロック・ホームズ・クラブにこそ入っておりませんが、そこそこ年季が入っているつもりでおります。いくつかの短編の私訳を作ってみたこともあるくらいで。
 「磯野家の謎」あたりから始まる謎本(私は「揚げ足取り本」と呼んでいますが)の元祖がシャーロッキアンであることは疑いなく、いわばシャーロッキアンの手法をマンガその他に応用したのが謎本だったと言えましょう。謎本は一時期ブームになり、すごい勢いでいろんな作品について書かれましたが、シャーロッキアンの眼から見ると、目新しいことなど何ひとつなかったというのが正直なところです。
 コナン・ドイルとしてはホームズものの作者として名が高まるのが不本意であったというのはよく知られています。ドイルは歴史作家を自任していました。推理小説と歴史小説というのは相性がよいようで、松本清張黒岩重吾をはじめとして歴史小説に手を染めた推理作家はわが国でも枚挙にいとまがありません。絵空事の推理ものを書いているうちに、現実に起こった歴史上の謎を解明してみたいという気分になるのでしょう。
 ともあれ、ドイルは推理小説は余技のつもりで、そのためかあらぬか、ホームズものの設定などにあまり気を遣いませんでした。また前後40年にわたって60編のシリーズを書いたということもあり、それぞれの作品で矛盾する点などがさまざまに顕れてしまったのです。例えば第一作の「緋色の研究」の中で、ホームズの性格や知識などの一覧表が出てきますが、その中で、文学の知識はゼロであると明記されているにもかかわらず、後年のホームズはゲーテスタンダールを原語で引用するなどの芸を見せています。
 しかしこういう矛盾をドイルの不注意としてしまうのはシャーロッキアンのなすべきことではなく、矛盾をなんとか合理的に説明しなくてはなりません。上記の文学知識の例で言えば、知り合って間もない記録者のワトスン博士を、ホームズが無知なふりをしてからかったのだということになります。
 ホームズものは人々の熱狂的な歓迎を受けたので、こういうツッコミもかなり早くから始められていたようです。ストランド誌に短編の連載が始まったその年のうちに、早くも「シャーロー・コームズ」なるパロディが登場しました。
 ドイルがこういうパロディの横行やツッコミのかまびすしさをどう思っていたのかはよくわかりません。伝えられるところでは、フランスのモーリス・ルブランが最初の本『怪盗紳士アルセーヌ・リュパン』の最終話にシャーロック・ホームズを登場させたのに抗議したのは確かなようです。ルブランは抗議を受けて急遽ホームズのイニシャルを取り替え、ハーロック・ショルメスなる人物にしてパロディであることを明確にしました。ちなみにリュパンものではこのあとのシリーズでもかなり執拗にホームズ(ショルメス)が登場します。
 パロディということになると、1944年(ドイルの死後14年)という早い時期に、エラリー・クイーン『シャーロック・ホームズの災難』というアンソロジーを出しており、しかもこの時点で「厳選」したものだというのですから、その数は想像を絶します。ちなみにこの本はドイルの遺族によって出版が差し止められ、復刊したのはずいぶんあとのことだったようです。遺族はドイル本人よりも非寛容だったようですが、ドイルの次男のエイドリアンディクスン・カーと協力してパスティシュ集『シャーロック・ホームズの功績』を出しているのですから、クイーンへの差し止めはやや嫌がらせ的な気もいたします。

 私自身の興味はというと、ホームズはいったいいくらくらいの収入を得ていたものだろうという点が昔から気にかかっています。
 ホームズはしばしば、
「ぼくにとっては仕事自体が報酬なのです」
などとカッコいいことを言って、多額な代金は求めないことを標榜したり、場合によっては全然お金をとらなかったりしていますが、生活に困っていたふしはありません。
 と言って、最初のうちは家賃の払いに事欠く(ワトスン博士と同居しはじめたのはそのため)くらいだったので、親の遺産が沢山あったわけでもないようです。
 ホームズの家は言うまでもなくベーカー街221B。当初は家賃の払いが危なかったくらいなのに、23年間そこに暮らすうち、「払った家賃で家そのものを買える」ほどになっていたそうですし、一旦ベーカー街を出て医院を開いたワトスンをもう一度呼び戻すため、遠い親戚に金を渡して医院を高額で買い取らせたという話もありますから、ほどなく不自由しない収入が得られるようになったのは確かです。
 が、ホームズの報酬についてはっきり記してある物語はごく少なく、それぞれを検討してもいまひとつはっきりしません。
 「ボヘミアのスキャンダル」では、依頼者のボヘミア国王から、当座の経費として1000ポンド受け取っています。この事件では何十人もの役者を雇ったりしてかなり大がかりなトリックを仕掛けていますが、それにしても実際に使ったのは100ポンドかそこらと思われ、残額を返したのかどうかは不明。たぶんそのまま報酬として貰ってしまったのでしょう。
 「緑柱石の宝冠」では、盗まれた宝石3個分の代金として3000ポンド、「それに私への報酬も少しばかりいただくとして」合計4000ポンドの小切手を銀行家ホールダー氏に要求しています。つまり経費込みで1000ポンドの報酬だったわけです。
 「プライオリ・スクール」では、大富豪であるホールダネス公爵が行方不明の息子に掛けた懸賞金6000ポンドをまるまるせしめています。この時公爵はワトスン博士にも同額を支払っているようですので、ホームズはこの誠実な協力者にここで大きく酬いたと言えましょう。
 収入を明記してあるのはこのくらいです。当時の1ポンドは、いろいろ勘案すると現在の2万円くらいに相当するようですから、この3件で得た8000ポンドほどで約1億6千万円というところ。なるほど、これなら生活に不自由もなかったでしょう。
 金持ちからは多くとった感じですが、かなり後期の「ソア橋」では、やはり大富豪のギブスン氏に向かって、
「私への報酬は一定の率になっています。全く申し受けないこともありますが、そうでなければこの率を動かすことはありません」
と大見得を切っています。これはどうもハッタリくさいですね。札びらで頬を叩くかのようなギブスン氏の傲慢な態度に一矢報いたのでしょう。
 確かに多くの事件ではホームズは依頼人からごく僅かな経費しかとらず、あるいは赤字だったのではないかと思われるようなケースも散見されますが、よく考えてみると、ホームズは「諮問探偵」つまり「コンサルタント」を自任しています。「世界唯一の民間諮問探偵」とも豪語しています。単なる私立探偵ではないのです。
 コンサルタント探偵であるからには、通常業務として考えられるのは、警察や他の私立探偵に対する助言でしょう。当時のスコットランドヤードには、まだ統括的な犯罪記録資料室のようなものはなかったようで、ホームズがその卓抜な記憶力と独自の検索システム(しばしば作中にも登場します)によって整理した資料に頼らざるを得ない場合もあったものと思われます。
 実際、「緋色の研究」「6つのナポレオン」「ブラック・ピーター」など、警察官からの依頼によって出馬した事件もいくつかあり、こういったものについてはそれこそ「一定の率」による規定の料金を受け取っていたに違いありません。実際には、ワトスン博士が記録しなかったこの種の事件がホームズの仕事の大部分を占めていたのではないでしょうか。
 それなら、困った依頼人から直接依頼を受けるのはいわば余分なアルバイト仕事であり、事件が面白くなさそうだと断るとか、「仕事そのものが報酬」だなどとカッコいいことを言って料金をとらないとか、おいおいそれで営業になるのかとツッコミたくなるようなことをしているのもわかるというものです。
 この他、ヴァチカン法王庁オランダ王室スカンディナビア王室フランス政府などの依頼も受けて事件を解決したそうですから、たぶんそれだけで一生食うに困らない程度の謝礼は貰ったことでしょう。つまりホームズの生活はまずまず安泰だったと。
 むしろ心配なのはワトスン博士の収入かもしれません。開業医になっていた時はともかく、ベーカー街に住んでいる時期は、退役軍医としての年金と、文筆業者としての原稿料や印税くらいしか収入はなかったと思われます。上記の「プライオリ・スクール」の時のように、たまにはホームズの口利きで大きな収入があったこともあるかもしれませんが……
 本業の医者をほったらかしにしてホームズの捜査に付き合ってばかりいたため、悲惨な状態に陥っているワトスン家の悲哀を描いたパロディなども少なからずあるので、やや気になるところ。

 こんな具合に、語り出すととどまりがつかなくなるのがシャーロッキアンのシャーロッキアンたるところで、どうでもいいことを大まじめに取り沙汰するという、いかにも英国発祥らしい遊びと言えましょう。近年の日本での謎本流行は、ようやく精神的な余裕が19世紀末の英国に近づいてきたということなのかもしれません。

(2000.8.2.)

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