忘れ得ぬことども

内田百間讃

 前にもちょっと書いたことがありますが、私は内田百間の大ファンで、ほぼすべての作品を、しかも繰り返し読んでいます。意外と周囲に同好の士が少ないのが残念です。
 ネットで検索しても、あまりヒットしないようです。マイナーな作家なのかな。
 略歴を示せば、明治22年に岡山の造り酒屋「志保屋」に生まれ、岡山中学(現朝日高校)・第六高等学校(現岡山大)を経て東京帝大ドイツ語科へ。東京に出てから夏目漱石に弟子入りし、鈴木三重吉小宮豊隆森田草平芥川龍之介らの知己を得る。卒業後一年半ほどプータローになるが、すでに妻子があり、母の他に祖母も健在だったため、売り食い生活、さらに借金漬けの生活へと転落。やがて陸軍士官学校陸軍砲工学校海軍機関学校法政大学など多くの学校の教授を兼任し、人もうらやむような高給取りになったにもかかわらず、ついに借金苦を逃れることができませんでした。借金取りに恩給証書を差し押さえられることを嫌って軍関係の学校をことごとく辞任、法政大学一本となりましたが、やがて学内の派閥抗争のためそこも退職、文筆に専念。のちに日本郵船の嘱託となったものの敗戦により再び失業。戦後になっても頑固に旧漢字・旧仮名遣いを押し通し、芸術院に推薦されたのも断り、わがままいっぱいを貫いて昭和47年に死去。
 以上を書くのに、私はまったく本を読み返していません。暗記してしまうほどに熟読したのでした。

 祖父の手文庫の中にあった「阿房列車」を読んだのが百間との出逢いでした。昭和20年代の新潮文庫で、当然ながら旧漢字旧仮名遣い、当時高校生の私にはいささか読みづらい紙面でしたが、そのユーモラスな文体に引き込まれて、一気に読んでしまいました。
 もちろん鉄道好きのよしみということもあったと思います。「阿房列車」は百間先生が「ヒマラヤ山系君」なるお供を連れて日本全国あちらこちらへ、意味も用事もなく汽車に乗って旅をするという内容の本ですので、まったく同病であった私の琴線に触れたのは当然でした。私もまさに、意味も用事もなく鉄道で旅をするのが大好きなのは皆さんご存じの通り。
 が、それにしても、文章の面白さ、さらに奇妙なロジックの面白さに、一読ファンになってしまったのでした。旅館で顔を洗うというだけのことなのに、
 ──長年同じ顔を洗つてゐるが、特にきれいになつたという事もなく、だんだん古くなつた計りである。
 とひとひねりした笑いを産み出すこの作家は、いったい何者なのだろうと思いました。

 祖父の手文庫には「阿房列車」と「第二阿房列車」がありました。このシリーズは「第三阿房列車」まであるということだったので、読みたくてならなかったのですが、新潮文庫ではとっくに絶版になっており、著者の遺志として仮名遣いを改めてはいけないということでもあり、もう復刊される望はないのだろうな、とがっかりしていたものです。
 その後しばらくして、たまたま書店でその「第三阿房列車」の、しかも新刊の文庫本を発見した時は、躍り上がりそうになりました。今はなくなってしまった旺文社文庫です。
 旺文社文庫はその頃、比較的文学史に埋もれがちであった明治・大正・昭和初期頃の作品を次々と刊行していました。阿房列車のみならず、内田百間の作品を、半ば一枚看板とでも言わんばかりに片端から文庫化してゆくつもりだったようなので、私は喜んで、次々と買ってゆきました。
 阿房列車シリーズ完結のあとは、百間の出世作となった「百鬼園随筆」「続百鬼園随筆」が刊行されていました。また処女作である「冥途」「旅順入城式」との合本)もそれに続いて……。
 捧腹絶倒のユーモアの一方で、時に見せる奇妙に自己嫌悪的な面、さらに何か柔らかく頼りないものを踏んでいるような印象の怪奇小説群……それらすべてが、20歳前の私にきわめて大きな影響を及ぼしたようです。
 文章を書くというのはこういうことなのかと教えられた気がしましたし、それまで愛読していた何人かの作家が、ひどく薄っぺらな存在に思えてきさえしました。

 40冊近い旺文社文庫版をすべて(「百鬼園俳句帖」のみ買い損ね……痛恨です)揃え、何度も何度も全編を読み返しました。いくつかのカバーはとうにすり切れ、造本が崩れてページがバラバラになってしまったものさえあります。全編を読み返すつもりなどなくても、何かの折にどれかの作品を読むと、それに続けてついつい全部読んでしまうということを繰り返しました。
 うち2冊ばかり、友人に貸したところ、その友人と疎遠になってしまい、欠けたままになっているのが気になっていたのですが、去年ネット経由でその古本を取り寄せることができて、ネットの威力に感心したものです。
 とにかく、読み返すたびに、注意が届いていなかったところが発見されますし、前回読んだ時から重ねた私自身の経験によって、さらなる面白さが目についてくるのです。並みの文章ではありません。
 旧仮名遣いの味も、百間を読むことによって体得することができましたし、文体ということをよく考えるようになったのも百間のおかげでした。若い頃にこの作家に出逢えたことを、私は本当に幸せだったと思います。

 旺文社文庫は潰れてしまいました。昨今他の文庫で、ぼつぼつと百間の作品が再刊されているようですが、あろうことか新仮名遣いに直されています。どうも百間の弟子で「阿房列車」に「見送亭夢袋」という綽名で登場している故中村武志「サラリーマン目白三平」の作者)あたりがゴーサインを出したらしい。いったいなんの資格があって師の遺志を踏みにじったのかと、私などは大いに憤慨しました。
 ──旧仮名遣いのままではなかなか読む人がおらず、そうすると作品そのものが埋もれてしまう。それではあまりに惜しい。
 という判断だったろうことは見当がつきます。しかし、私のように、それによって旧仮名遣いの味わいを体得する人間だっているわけで、いらざる気遣いであったとしか思えません。

 なお、通例百間の「間」の字は、門ガマエの中が「月」と書かれますが、ネットではこの異体字が出ませんので「日」のままにいたしました。他のサイトで「『日』は本当は誤り」と書いてあるところもありますが、別に誤りというわけではありません。初期の本では「日」になっている活字も使われています。

(2000.8.1.)

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