忘れ得ぬことども

400年に一度の日

 平成12年の2月29日は、400年に一度の特別なうるう日だそうで、もうひとつの2000年問題(Y2K)と言われていました。
 月が地球の周りを廻るように、自転周期と公転周期がぴったり整数比になっていればこういう問題は起きないのですが、地球が太陽を廻るにおいては、自転を365回転ともう少ししないと元の場所に戻れないわけで、その剰りの分がうるうになるわけです。

 4年に一度、うるう日を入れれば、かなりの精度で近似できるということは、古代から知られていたのでした。
 それを2月にくっつけることにしたのは、ローマ時代の暦が、3月から始まるものだったからです。9月のことを英語でSeptemberつまり「7の月」、以後10月をOctober(octはオクトパス《タコ》、オクターブ《8度》などでもわかる通り「8」の意味)、11月をNovember、12月をDecember(decは単位のデシリットルなどでわかる通り「10」)と呼ぶのは、3月から数えているためです。また2月だけ日数が少ないのも、一年の最後の月だったからでした。つまりローマ時代の年末にうるう日を設定したのでした。現代でも、摂動などによる微妙なぶれを微調整するため、うるう秒というのが任意にカウントされることがありますが、これも年末につけることになっています。
 3月が年の初めというのが、私にはなかなか理解できなかったのですが、これは「3月」と言ってしまうからいけないので、その頃は「マルスの月」だったのでした。マルスというのはローマ神話の戦いの神で、ローマ人たちは勇ましい戦士神の名を年頭に置いたわけです。そして現在の2月にあたるのは「フェーベの月」でした。ちなみに1月のJanuaryヤヌス、4月のAprilアポロ、5月のMayマイア、6月のJuneユノーと、それぞれローマ神話の神様の名前に由来しています。ジューン・ブライド、つまり6月に結婚する花嫁は幸せになるなどと言われているのは、名前のもとになったユノー(ギリシャ神話のヘラに当たる)が主神ジュピターの妻で神々の女王と言うべき立場で、家庭や結婚を司る神様だからなのでした。7月Julyユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の名から、8月Augustはカエサルの後継者でローマ初代皇帝のアウグストゥスの名から付けられました。カエサル以前は、7月は「第5月」8月は「第6月」と、やはり数字の名前がついていたようです。
 そう知って納得しましたが、いまひとつ納得が行かないのは、古代中国のが、10月を年頭にしていたという点です。中国では古代から月名は数字で呼んでいたのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。ローマ暦のようなすっきりした説明があるのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示願えるとありがたいです。

 ローマ暦はカエサルがエジプトの天文学者に命じて定めたもので、1582年まで使われていました。
 ところが、千何百年も使っているうちに、暦のずれが大きくなってきたのでした。1年が365.25日であれば、4年に1度うるう日を設けるローマ暦(ユリウス暦)でよいわけですが、実際には約365.2422日であるため、百年で1日近くずれてしまいます。
 キリスト教の重大な祭典である復活祭は、春分のあとの最初の満月の日に開催されることになっていましたが、325年のニケイア会議で、春分の日は3月21日と決められていたのです。それから1200年近く経ってみると、肝心の春分がどんどんずれてしまい、満月も1回少なく数えざるを得ない状態となってしまったのでした。
 時の教皇グレゴリウス13世は、勅令を発して、強引に1583年の3月21日を春分ということにしてしまいました。そのため、その前年の10月5日から10月14日までを廃したのです。つまり1582年10月4日の翌日は10月15日だったわけです。10日間削除されていたのに、地主や金貸しは、月決めの地代や利息をそのまま取ろうとしたので、あちこちで混乱や暴動が起こったそうです。
 同時に暦法を改め、うるう年は4年に一回、ただし100の倍数の年はうるうが無し、ただし400の倍数の年はうるう、ということにしたのでした。そういうわけで、1700年、1800年、1900年が平準年だったのに、今年2000年はうるう年であるということになり、400年に一度の特別な2月29日となったわけでした。であるばかりか、グレゴリウス13世が改暦したいわゆるグレゴリオ暦になって、実にたった2回目のことなのでした。
 グレゴリオ暦のこの近似はかなり精密で、3000年に1日程度のずれとなります。さしあたって4180年頃までは改暦の必要がないだろうとのいうわけですが、月の日数がまちまちなのだけはなんとかできないものかと思います。実はカエサルは、当時の年頭である3月から順々に、31日と30日を交代させ、最後の2月だけ29日とし、うるう年は30日とするという、すこぶる整然たる暦を作っていたのに、アウグストゥスの時代になって、8月に戦争に勝ったことが3回もあったということで縁起を担ぎ、8月を31日(ローマ人は奇数を珍重した)にしてしまい、そのあとの日数をずらしたのでした。グレゴリウス教皇もどうせ改暦するなら、このあたりもきちんと直すべきだったのです。

 さて、「もうひとつのY2K」ですが、気象コンピュータ「AMEDAS」が誤作動してしまったそうですね。年頭にY2K予防のため、日付を「1900年」に戻して使っていたところ、上記のグレゴリオ暦のルールがプログラムに含まれていたため、2月29日はないものとされてしまっていたことに気がつかなかったというのだからお粗末な話です。他のところでも似たような問題は起こるかもしれませんね。せっかく元旦を無事に乗り切ったというのに、ここでつまづくとは……銀行は大丈夫かな?

(2000.2.29.)

【後記】
 幸い、それほど大きな混乱は起こりませんでした。よかったよかった。

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