忘れ得ぬことども

ドラゴンクエスト放談

 去年の暮れに発売されるはずだった「ドラゴンクエストVII」が発売延期になり、待たされる身としてはつらいものがありますが、その間、旧作の想い出話で盛り上がっているのも、それはそれで楽しいかな、とも思います。
 前にもちょっと書きましたが、私はプレイステーションを買っていないし、サターンドリームキャストも入手していませんので、ここしばらくゲームからは遠ざかっていました。が、本来はかなりハマる方です。
 反射神経を要求されるアクション、シューティングのたぐいはいけませんが、RPG、アドベンチャー、シミュレイションなどは大好きで、ずいぶんやりこみました。
 このたびプレイステーション2も発売の運びとなり、プレイステーションとのソフトの互換性もあるという話なので、今度は入手しようと思っています。で、もちろんドラクエVIIをやるつもりです。
 以下、つれづれなるままにドラクエ話。

 私はファミコンに触れたのも遅く、すでに社会人になってからのことでした。最初は、友人が正月に里帰りする間だけ借りて、一緒に借りた「デジタルデビルストーリー 女神転生」にひたすら没頭していました。今考えると、最初にやったファミコンゲームがメガテンというのは、なんともディープな出逢いだったと言えます。
 RPGというのがそもそもどういうものだかもわからず、敵が出てくるとひたすら逃げまくっているうちにやられてしまうということを何度繰り返したことか。パスワードの意味もよくわかりませんでした。メガテンのその時の取扱説明書ときたら、すこぶる簡潔で、そもそも何を目的にどうやって進めて行けばよいのか、ろくろく説明していなかったのです。
 試行錯誤の末ようやく扱いに馴れると、あとはハマりました。実はその直前に、生涯ではじめての大失恋をしたばかりであったことも手伝って、他のことを考える気がしなかったのです。正月休み中で特に仕事もなかったし、寝食も忘れて7日間ばかり熱中したら、5キロ近く体重が減っていました。(^_^;;
 攻略本も無しになんとかクリアして、すっかりファミコンが気に入ったので、友人にそれを返した後、自分のを購入しました。そして、せっかくだからと思って、ファミコンRPGの王道とも言えるドラクエに手を伸ばしたのでした。

 もちろん順を追ってプレイしましたが、メガテンを最初から自力でクリアした身にとっては、ドラクエIの親切さがほとんどうざったいほどで、ゲーム全体の難度も低く感じ、まあ易々たるものでありました。ただ、メガテンをやっている時、仕掛けが難しくてうろついているうちに、ラストダンジョンのアンフィニ宮殿に入る前にすでに最高レベルに達してしまったということがあって、ドラクエでも、竜王の城に突入する前にメルキド高原を蜿蜒とさまよってザコを倒しまくり、最高レベルに達するまでラストダンジョンに向かわないというバカなことをしていたのでした。

 Iはもともと、プレイヤーにRPGのシステムというものを手ほどきするために作られたゲームで、制作者が最初作りたかったのはIIだったという話を聞いたことがあります。そのためもあってか、今でもIIこそドラクエの最高傑作だと言う人も少なくないようです。
 実際、難度もかなり高いゲームでした。その一因は、情報がかなり細分化されてあちこちに隠されていたせいではないかと思います。しかも、III以後と違って、移動呪文ルーラが、任意の街へ移動できるのではなくて、最後にセーブしたところへしか戻れないことになっていたので、情報やアイテムを拾い集めるのがかなり大変でした。
 戦闘システムがまだ不完全で、すでに倒してしまった敵に攻撃を加えてしまって空振り、というケースが何度もあって、やっている時はイライラしましたが、あとから考えるとそれもまた戦術を立てる楽しみになっていたようです。III以降では、ターゲットにした敵が倒されてしまうと、自動的に他の敵をターゲットにするようになりましたが、考えてみれば実際の戦闘においてそう簡単にターゲットを変えるということはできないのではないでしょうか。
 なお、IIでも私はバカをやりました。ラストステージというべきロンダルキア高原に到着したあと、金の鍵を捨ててしまったのです。鍵は解錠呪文アバカムで開けられるし、荷物も多くなったことだし、もう必要ないだろうと思ったのでした。
 ところが、アバカムを使えるムーンブルグの王女と、蘇生呪文ザオリクを使えるサマルトリアの王子が、敵の致死呪文ザラキでいっぺんに死んでしまい、進退窮まりました。というのは、ロンダルキア高原にはセーブ・回復ポイントはあったものの蘇生ポイントがなく、蘇生アイテム世界樹の葉も持っていなかったのです。すでにそこでセーブしてしまっていたため、ひとり残ったローレシアの王子が死んでも、そこのセーブポイントに戻るだけで、あとのふたりを復活させることができません。やむなく、2つの棺桶を担いで洞窟を逆戻りしてみると、なんということか、洞窟から街へ戻るところには鍵のかかった扉があるではありませんか。アバカムが使えず、金の鍵もないのでは、街へ戻りようがありません。どうしようもなくなって、私は泣く泣く、洞窟に入る前のパスワードを呼び出して、長い長い洞窟のクエストをやり直さなければならなかったのでした。それでもパスワード式だったのでまだ助かったのですが……(^_^;;

 IIの良さのひとつは、仲間にかけがえがなかったところでしょう。天にも地にも、この3人しか仲間がいないのだという心細さが、感動を強めていたように思います。その点、III以降は、仲間が取り替えられるようになって、ある意味冒険がお手軽になりました。
 とはいえ、IIIで私は何を考えたか、初期メンバーに商人を選んでしまったのでした。このゲームでは途中で商人キャラと別れるイベントがあります。普通はそこまで行くと、ルイーダの酒場に戻り、急遽商人キャラを仲間にして連れてゆけばそれで済むのですが、そこまでずっと一緒に戦ってきた商人と別れなければならなかった私の悲しみといったら……(^_^;;

 ストーリー的にいちばん好きなのがIVです。5章立てになっているゲームでしたが、第4章のラストで失意のマーニャミネアが船に乗って旅立つシーンでは本当に泣きましたからね♪
 それから、IVでは主人公(勇者)の性別を選べます。私は女の子にしておいたので、第5章の冒頭で住んでいた村を全滅させられ、たったひとりで旅立たなければならなくなったシーンも、えらく心細い感じで、良かった。ちなみに村が全滅させられる際、シンシアという主人公の友達が主人公の身代わりになって殺されてしまうのですが、これも男の子の主人公であった場合に較べると、よりリアルな印象を受けました(もっとも、このシンシアがエンディングで生き返ったのは興醒めだったぞ)。
 ラスボスも他のシリーズに較べるとキャラクターに陰翳があって感動的でした。私は基本的に、RPGでいやに強調される「自由度」などにはあまり興味がなく、ストーリーがよくできていればそれで満足する方です。順序がきっちり決められていても、映画を見るような感覚で進めることで、特に不満は感じません。そういう意味でIVはお気に入りの一作です。

 VとVIも、それなりに感動しましたが、そろそろRPGに対してもすれてきているので、IIやIVなどのようにはハマらなくなりました。ひとつには、物語が盛り沢山すぎるようになった気がします。本筋と関係のないエピソードがかなり増え、それはそれでリアルさが出たのかもしれませんが、ラスボスなどの印象が希薄になってきたのは否めません。
 Vの、主人公が石化して十年間そのまんまというところにぶっ飛んだりはしましたが。
 ちなみに私は主人公の結婚相手には幼なじみのビアンカではなく富豪の娘のフローラの方を選びました。われながらひねくれているな。しかしフローラはビアンカの覚えないイオナズンを修得しましたからねぇ(^_^;;

 VIでは呪文の他に「特技」というのが出てきて、それがまたむやみやたらと強力になりました。それまでの最強攻撃呪文だったはずのイオナズンやメラゾーマが、すっかりありがたみのない存在になり果ててしまったのが残念です。呪文のインフレ状態というのはそれまでにもあって、Iでは実に重宝したベギラマが、その後すっかり威力が落ちてしまったのを歯がゆく思っていましたが、この傾向は今度のVIIにも受け継がれそうです。
 敵モンスターが仲間になるという、メガテンをパクったようなシステムも、私としてはあんまり感心できないところです。さて、今後ドラクエはどのような展開を見せるのでしょうか。

(2000.2.21.)

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